講談本について―𠮷沢コレクション資料紹介を兼ねて―

1.講談本とは

 講談本とは、講談師が読む講談を速記し、活字刊行した本のことである。「講談は速記術の発明以降特に明治二〇年代から盛んに新聞・雑誌に連載され、完結するや直ちにその多くが速記本として各種の書店から刊行された。それを集大成したのが明治後半大きな勢力となった例の大川屋である。」(𠮷沢英明「「長編講談」の原本を探る」『日本古書通信』第769号 平成5年8月)

 講談本は、明治20年代から大正、昭和戦前期まで、形を変えつつも手軽な娯楽本として広く読まれた。貸本屋に並び安価で貸し出され、床屋に置かれて待ち時間に読まれていたことを思えば、現代でいえば漫画喫茶・ネットカフェに並び、今なお理髪店の待合にも置かれている、コミック本・漫画雑誌のような存在だったと言えるかもしれない。

2.最初の講談本

 語り芸を速記技術により活字刊行した〈速記本〉は、三遊亭圓朝の落語を速記した『怪談牡丹灯籠』(若林玵蔵筆記 明治17年7月刊 東京稗史出版社)に始まるとされる。講談の場合、これに少し遅れ、二代目松林伯圓の講談を速記した『安政三組盃』(全二十編)(若林玵蔵筆記 第一編 明治18年10月刊 速記法研究会)(*画像1)を講談速記本の嚆矢とするのが定説である(佐野孝『講談五百年』(昭和18年5月 鶴書房)に「日本最初の講談速記本」(P242)とある。『定本講談名作全集 別巻』(講談社 昭和46年2月)「講談の濫觴と沿革/講談の速記と速記本の流行」ほかでも)。

 しかし、𠮷沢英明氏はこの定説に異を唱え、桃川如燕の講談を速記した『越国常盤廼操』(こしのくにときわのみさを)初篇(傍聴速記法学会筆記・発兌 明治18年3月刊)こそが講談速記本の嚆矢であるとする。𠮷沢英明「明治の速記本から(三)」(「諸芸懇話会会報」第144号 平成6年3月)では『越国常盤廼操』の初篇を紹介し、「全一〇冊の内、初編(本文には巻の一)を所持するのみ。堅い文章であるが速記に誤りない。内容は両越評定と思われる。「牡丹燈籠」の第一編が(ママ)一七年七月、「安政三組盃」の第一編が明治一八年一〇月の刊であるから、本書はその中間期の出版ということになる。」と述べている。𠮷沢氏はその後「講談資料―尋ね求めて三〇年」(「日本古書通信」第790号 平成7年5月)でも、『越国常盤廼操』に続いて『安政三組盃』が出た、と書き、さらに「講談エッセイ(十一)講談速記は如燕より始まる伯圓にあらず」(「上方芸能」第130号 平成10年10月)において、『越国常盤廼操』初編の自序などの画像を入れて、講談速記本の嚆矢が同書であること、さらに、同じ桃川如燕口演の『百猫伝』(速記法学会筆記 明治18年10月 鈴木嘉右衛門刊)も「「安政―」と同年月の出版とは申せ、版権免許はこちらの方が五ヶ月も早い!伯圓本に先行しているのをお忘れなく……。」「講談速記の嚆矢を如燕とすべし、これが私の結論であります。」と主張している。

延広真治氏は𠮷沢氏の「諸芸懇話会会報」の説にふれて「この書(引用者注:『越国常盤廼操』)が従来注目されなかったのは、初篇のみで完結せず、文章体に酷似している点を挙げ得るのに対して、『安政三組盃』が伯円の代表作の一つとして喧伝され、単行本として版を重ねたためであろう。」(新日本古典文学大系明治編7『講談 人情咄集』(平成20年12月 岩波書店)解説注(3)より)と述べている。

 𠮷沢氏が所蔵していた『越国常盤廼操』初編は、現在まだ本学に搬入した𠮷沢コレクションの中からは見つけ出せていない。𠮷沢氏の著書『講談明治速記本集覧 附落語・浪花節』(私家版 平成7年4月)に同書の項目があり(P152)、詳細が記されている。書影は国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。

 なお、一般に講談本の嚆矢とされる『安政三組盃』について、佐野孝『講談五百年』(先掲)では、二葉亭四迷が「浮雲」などで実践した言文一致体について、「彼(引用者注:二葉亭)は松林伯圓の安政三ツ組盃も再読三読したと思はれる節がある」(P323)と述べ、圓朝の落語速記本が二葉亭や山田美妙など近代作家の文体に与えた影響はよく語られるが、講談速記本のそれも看過できないことを指摘している。

画像1:𠮷沢コレクションより二代目松林伯圓講述・若林玵蔵筆記『安政三組盃』(第壱編、明治18年)

3.明治末期からの講談本

 明治20年代から30年代にかけて、講談速記本の刊行は東京でも大阪でも隆盛を見た。しかし、純粋な〈速記〉であったのもこの頃までで、「四〇年前後から不思議なことに表紙と本文(又は奥付)の演者名の異なる速記本が現われ、この傾向は昭和迄続いている」(吉沢英明「「長編講談」の原本を探る」先掲)というように、実際の講演速記ではなく速記者や編集者によって添削や改編、創作、演者名の変更(捏造)などの手を入れられた講談本が刊行されるようになった。

 立川文庫に代表される袖珍版の講談本叢書が流行するのも明治末期からであるが、それらももちろん純粋な速記本ではなかった。大正期に入ると、全125冊の叢書で、1冊あたり五百ページ前後もある博文館長篇講談がよく読まれ、ほかの出版社も長編講談叢書を刊行、講談本は長編化した。

 大正期後半には、速記に似せて書かれた書き講談・最初から講談風の読み物として創作された新講談が人気を博した。新講談の書き手には、長谷川伸・吉川英治・大佛次郎らがふくまれており、そこから大衆文学が生まれて隆盛していった。

4.講談本と貸本屋

 講談本は貸本屋で安価で貸し出されて人々に読まれた。明治25年生まれの芥川龍之介は、少年時代に貸本屋で借りた講談本を読みふけったことを、以下のように述懐している。

僕の岩見重太郎を知つたのは本所御竹倉の貸本屋である。いや、岩見重太郎ばかりではない。羽賀井一心斎を知つたのも、妲妃のお百を知つたのも、国定忠次を知つたのも、祐天上人を知つたのも、八百屋お七を知つたのも、髪結新三を知つたのも、原田甲斐を知つたのも、佐野次郎左衛門を知つたのも、――閭巷無名の天才の造つた伝説的人物を知つたのは悉くこの貸本屋である。僕はかう云ふ間にも、夏の西日のさしこんだ、狭苦しい店を忘れることは出来ぬ。軒先には硝子の風鈴が一つ、だらりと短尺をぶら下げてゐる。それから壁には何百とも知れぬ講談の速記本がつまつてゐる。最後に古い葭戸のかげには梅干を貼つた婆さんが一人、内職の花簪を拵へてゐる。――ああ、僕はあの貸本屋に何と云ふ懐かしさを感じるのであらう。僕に文芸を教へたものは大学でもなければ図書館でもない。正にあの蕭条たる貸本屋である。僕は其処に並んでゐた本から、恐らくは一生受用しても尽きることを知らぬ教訓を学んだ。

(「僻見」(初出「女性改造」大正13年4月)引用は『芥川龍之介全集』第十一巻(岩波書店 2007年11月第二版)による)

 𠮷沢英明「講談資料―尋ね求めて三〇年」(先掲)には、新聞雑誌連載から単行本化した講談本の集大成、大川屋から刊行されたいわゆる大川屋本について、「菊版で紙装、本文は粗紙で二〇〇頁程度、派手な石版表紙、貸本屋の印が散見する」(下線引用者)とあり、国内の公共図書館でも「大川屋本はほとんど存在しない」といい、「これでは将来貸本文化、講談出版史を研究せんとする学徒が出てもあまり役に立たないのではないか」と述べている。

 𠮷沢コレクションにはこの「貸本屋の印が散見する」本が、現在までの調査でも数多く確認されている。大川屋本から一例を挙げる。(*画像2)表紙の上に、貸本屋のカバーがかかっており、そこに帳票が貼り付けられている。

 さらにこの『仙石騒動』には、𠮷沢氏によるメモ書き(𠮷沢メモ*画像3)が挿まれている。メモには

・裏表紙等に信州上田松尾町上田屋書店の青の象形印(引用者注:*画像4)
・奥付に{明二七・七・一二発行}編輯者鈴木源四郎。即ち原本が九皐館であることを示す。
・表題が仙石騒動、内題が仙石家騒動記。各頁最上部に横に仙石。奥付にカッコして仙石
・本表紙の上に私製表紙、(蔵書印)

とある。『講談明治速記本集覧 附落語・浪花節』(先掲)執筆時のメモかもしれない。同書P221下段に本書『仙石騒動』の項目があり、それ以外にも本書と同文とされる潮漁講演『仙石家騒動記』再版が2冊(表紙を異にするのみ、とある)、同じ221ページに項目立てされている。いずれも「九皐館本が原本」で「大川屋が明二八・三に譲受再版し、更に合冊本を出版」と記されている。合冊本とは本書のことで、本書『仙石騒動』は、松林伯圓の「烈女於照の伝」との合冊になっている。

 このような〈𠮷沢メモ〉つきの本も現在までに何冊か確認できている。

画像2:𠮷沢コレクションより『仙石騒動(内題:仙石家騒動記)』(伊東潮漁〔内題著者名による。表紙の「伊東()漁」は誤記か〕講演・今村次郎速記 明治27年7月12日印刷発行・明治41年11月5日十版、聚栄堂大川屋書店)
画像3:画像2『仙石騒動』に挿まれた〈𠮷沢メモ〉
画像4:広告最終ページ右上に青の書店印

5.𠮷沢氏の思い

 最後に、𠮷沢英明氏が自らの約三十年間(平成7年時点)にわたる講談研究と資料蒐集について語った「講談資料―尋ね求めて三〇年」(先掲)から、氏の講談本蒐集についての思いがわかる一節を抜粋紹介したい。

 「古本大学」はいくら通学しても卒業とならない。〔中略〕往日、軟文学の花咲一男氏からご注意を受けたことがある。「キミ、古書収集は焦らずゆっくりやるべきだ、卑怯な手を使うな、自然体だよ」。抽選となると何人もの名前を借りる御仁もいるし、売価に上乗せする客もおるらしい。又夜討朝駆けもあるとか聞いている。蔵書はン万冊であるが無理せずに淡々と三〇年―—漸やく講談に関する日本有数のコレクションとなった。〔中略〕全国各地の古書店各位のご協力がなくしてはなし得なかったであろう。今となっては感謝の気持で一杯である。〔中略〕特殊な文献は金だけでは絶対に集まらない。継続する強い意志と古書店からの信頼を得て初めて成功するものである。〔中略〕私は定年を待てずに三年前に五五歳で退職。濡落ち葉とか粗大ゴミには生涯ならず、優秀な「古本大学」の落第生として今後も勉強を続ける覚悟である。

 𠮷沢氏の編著には、しばしば古書店主への謝辞が添えられている。

 𠮷沢氏が、数多くの古書店主の信頼と協力を得て、このような思いで蒐集された一大コレクションが本学に入った。コレクションの一点一点に𠮷沢氏と蒐集に関わられた人々の思いが宿っている。コレクション受入れ関係者一同、心して整備と調査研究にあたりたい。

(記:奥野久美子/閲:高橋圭一)