Part 2: “The World of Social Groups in Early Modern Osaka: A Series on the Interpretation of Historical Documents”

Hero Image: The Yoshino Goun monjo -Document 124-2, Issatsu,
owned by the Department of Japanese History, Osaka City University
吉野五運文書124-2、「一札」、大阪市立大学日本史学教室所蔵

Introduction

  As the title of this series indicates, we will be exploring the world of social groups revealed in the historical documents (komonjo) left to us by the people of early modern Japan. Our guide, Dr. Watanabe Sachiko, will present an accessible introduction to the reading of Edo-period sources using the Yoshino Goun monjo, an archival collection held by the Japanese history division in the Department of Literature at Osaka City University.

  The analysis proceeds methodically through the deciphering of the original handwritten documents, unpacking their dense style into “spoken” form (yomikudashi), and preparing a modern Japanese translation. The aim is to reconstruct the web of socio-economic relations constituted by the Yoshino Goun, a house of apothecary (gōyakuya), specifically their distribution and sales structures and the field of social groups tied into them.

  As such, this series provides a concrete introduction to the agenda and methods early modern Japanese urban social history, which aims to bring to light, in fine detail, the world of these social groups. We very much hope that the series will find wide readership among those with an interest in the history of the Edo period and its rich legacy of komonjo.


The Yoshino Goun Documents (Part 2) – Dr. Watanabe Sachiko

In this installment, continuing our introduction to the Yoshida Goun monjo (YGM), we will go through a complete example document. As discussed last time, the collection contains a set of just over one hundred similarly formatted contracts. To determine what kind of contracts they are and why they were preserved together, first we must decipher the text. We break up the work into three distinct steps, which helps us catch different types of errors and facilitates consultation with other scholars.

First we transcribe the original document’s handwritten cursive characters (kuzushi-ji) into print characters (katsu-ji):

Yoshino Goun monjo – Document 124-2

   一札

一、其元殿御家方、人参三臓円儀、我等懇望に、此度其御地和泉屋利兵衛殿、取次所儀、御頼申遣候処、御承知被成、則御紋付御看板壱枚御預け、取次所に御定大慶候、然上は随分出情候て、幾久弘め申候、万一、以来思召儀出来候か、又は代銀相候節、右看板御引取、外方へ取次処御差出候とも、一言御座候、為後日看板預り証文仍て如件

享和元酉年
十月
対州府中新中町
   枡屋 要助(印)
大坂
証人 和泉屋 利兵衛(印)
  吉野五運殿



The original document is written in sōrō-bun, a compact epistolary style distinguished by two main features: 1) hiragana and katakana generally appear very sparingly because phonetic verb tails (okurigana) and grammatical particles are often dropped (also, adpositions that do appear, along with many conjugative/honorific verbal elements, are often replaced by kanji); 2) said particles and verbal elements are regularly condensed into Chinese style (kanbun), i.e., placed at the head of their grammatical phrases rather than the rear as in spoken Japanese (in the above text, examples of 1 are underlined and 2 written in red). Therefore, the next step is to unpack the text into spoken form (yomikudashi-bun):

Spoken Form

一つ、そこもと殿御家ほう人参三臓円にんじんさんぞうえんの儀、我等われら懇望につき、このたびその御地和泉屋利兵衛殿(を)もって、取次所の儀、御頼み申し遣わし候処、御承知成し下され、すなわち御紋付御看板一枚御預け下され、取次所に御定め下され、大慶致し候、しかる上は随分出情つかまつり候て、幾久売り弘め申すべく候、万一、以来思し召しに相叶いがたき儀出来しゆつたい候か、又は代銀相滞り候節、右看板御引き取り、外方ほかかたへ取次処御差し出し成され候とも、一言いちごん申し分御座無く候、後日のため看板預り証文、よってくだんのごとし、

 (日付・差出人・宛先は省略)(Date, sender, addressee abbreviated)

Last, we render our reading of the text into modern Japanese:

Modern Japanese

   一札(=一通の書付)

 あなたの家で作っている人参三臓円(の商売)を、私は強く望んでいるので、このたびそちら(=大坂)の和泉屋利兵衛殿から、取次所について頼ませたところ、承知してくださって、御紋付の看板一枚を預けてくださって、取次所に定めてくださって、たいへん喜ばしく思います。これからはできるだけ精を出して、末永く売り弘めを致します。万一、これから後に、お考えにそぐわないことが生じるか、または代銀(の支払い)が滞った時には、右記の看板を引き取り、他のところへ取次所を出されても、一言も不満を申しません。後日のため、看板預りの証拠となる文書は、このとおりです。

享和元年(1801年)
酉年十月
対州(対馬国)府中新中町
   枡屋 要助(印)
大坂
証人 和泉屋 利兵衛(印)
  吉野五運殿



Using the modern Japanese, let us confirm the main points of the contract, which the sender, Masuya Yōsuke, submitted to the house of Yoshino Goun on becoming a licensed distributor of a ginseng medicine they produced (ninjin sanzōen): first, he applied for license through the good offices of Izumiya Rihē of Osaka; upon being granted such, he took a placard for that medicine into his keeping; finally, in cases of delinquent payments to the house or other unforeseen difficulties, he promised not to bring any complaints should the placard be confiscated and granted to some other distributor.

The fact that so many of the same type of contracts have been preserved provides a sense of the extent of Yoshino Goun’s distribution network for their ginseng medicine. In the next part of this series, we will go deeper into the contents of the contract to consider what exactly a distributor was and what kind of person could become one.


第2回:「近世大坂の社会集団の世界―史料と解説―」シリーズ

まえおき

 このコンテンツは、「近世大坂の社会集団の世界―史料と解説―」と題するシリーズです。大阪市立大学文学研究科日本史学教室が所蔵する近世の古文書(こもんじょ)である吉野五運(よしのごうん)文書を題材に、日本近世の人々が書き残した古文書を読み解くことで見えてくる社会集団の世界について、研究補佐のドクター・渡辺祥子がわかりやすく解説します。

 古文書史料の解読や読み下し、現代語訳を丁寧に説明しながら、史料の分析も進めます。大坂の鰻谷(うなぎだに)で合薬屋(ごうやくや・薬種を調合して小売する商人)を営んだ吉野五運をとりまく流通・販売の構造、また、それに関わった多様な社会集団の世界を復元します。

 社会集団の世界を緻密に解明する日本近世都市社会史研究を実践的に紹介するコーナーです。日本近世社会史や日本の古文書に関心を持つ多くの皆さんに読んでいただきたいシリーズです。


吉野五運の史料と解説・その2

 今回は、吉野五運文書の紹介として、一通の文書を具体的に取り上げてみたいと思います。吉野五運文書の中には、まとまって残っている同じような形式の証文が100通余りあります。それがどういう内容のものなのか、なぜまとまって残っているのか、などを考えていくためにも、まずはそのうちの一通を解読していくことにしましょう。

 解読にあたっては、三段階に分けて作業を進めていきます。そうすることで、文字の読み間違い・言葉の意味のとり違いなど、各段階ごとでタイプの違う誤りが見つけやすくなり、他の研究者と議論がしやすくなります。

 

 

まず、元の文書の手書きの筆記体(くずし字)を活字に変換します。

「吉野五運文書」124-2

   一札

一、其元殿御家方、人参三臓円儀、我等懇望に、此度其御地和泉屋利兵衛殿、取次所儀、御頼申遣候処、御承知被成、則御紋付御看板壱枚御預け、取次所に御定大慶候、然上は随分出情候て、幾久弘め申候、万一、以来思召儀出来候か、又は代銀相候節、右看板御引取、外方へ取次処御差出候とも、一言御座候、為後日看板預り証文仍て如件

享和元酉年
十月
対州府中新中町
   枡屋 要助(印)
大坂
証人 和泉屋 利兵衛(印)
  吉野五運殿



 原文は、簡潔な書状の形式で書かれてあります。文章の書かれ方には、二つの大きな特徴があります。1)ひらがなとカタカナは、ほとんど使われません。送り仮名や助詞は、漢字で書くか、あるいは省略されてしまう場合が多いのです。2)助詞や動詞の中には、漢文のような形で書くことが慣例化しているものがあります。日本語の話し言葉のように、後ろにつくのではなく、語句の頭に漢字で書かれるのです。(上記のテキストでは、1の例に下線を引き、2の例は赤字にしてあります。)

 そこで、第二段階は、原文を声に出して読んだとおりの文字に書き直す、読み下しという作業を行います。

読み下し文

一つ、そこもと殿御家ほう人参三臓円にんじんさんぞうえんの儀、我等われら懇望につき、このたびその御地和泉屋利兵衛殿(を)もって、取次所の儀、御頼み申し遣わし候処、御承知成し下され、すなわち御紋付御看板一枚御預け下され、取次所に御定め下され、大慶致し候、しかる上は随分出情つかまつり候て、幾久売り弘め申すべく候、万一、以来思し召しに相叶いがたき儀出来しゆつたい候か、又は代銀相滞り候節、右看板御引き取り、外方ほかかたへ取次処御差し出し成され候とも、一言いちごん申し分御座無く候、後日のため看板預り証文、よってくだんのごとし、

 (日付・差出人・宛先は省略)

 最後に、テキストの読み方を現代の日本語に変換します。

現代語訳

   一札(=一通の書付)

 あなたの家で作っている人参三臓円(の商売)を、私は強く望んでいるので、このたびそちら(=大坂)の和泉屋利兵衛殿から、取次所について頼ませたところ、承知してくださって、御紋付の看板一枚を預けてくださって、取次所に定めてくださって、たいへん喜ばしく思います。これからはできるだけ精を出して、末永く売り弘めを致します。万一、これから後に、お考えにそぐわないことが生じるか、または代銀(の支払い)が滞った時には、右記の看板を引き取り、他のところへ取次所を出されても、一言も不満を申しません。後日のため、看板預りの証拠となる文書は、このとおりです。

享和元年(1801年)
酉年十月
対州(対馬国)府中新中町
   枡屋 要助(印)
大坂
証人 和泉屋 利兵衛(印)
  吉野五運殿



 現代語訳を見ながら、内容を確認していきましょう。この史料は差出人の枡屋要助が、吉野五運家で製造している「人参三臓円」という薬の取次所となる時に、吉野五運に宛てて提出した証文です。その中身としては、大坂在住の和泉屋利兵衛を介して取次所になりたいと頼んだこと、それが認められて取次所となり、薬の看板を預かったこと、代銀の支払いが滞るなど支障のあるときは、看板を取りあげられて他所に取次所を出されても文句を言わないこと、などが記されています。

 同様の証文が多数残っているということは、証文を提出して吉野五運家の人参三臓円の取次所となった人たちが多数いたということです。次回は証文の内容にさらに深く入りこんで、この取次所とはどういうものなのか、取次所になるのはどういう人たちなのか、というようなことを考察していきたいと思います。