Summary of the second session in the online seminar series of the International Symposium 2021

The second session in the online seminar series of the International Symposium 2021 was held via Zoom from 3:30pm to 5:30pm on Thursday, October 14, 2021.

Speaker: Hiro Fujimoto (Japan Society for the Promotion of Science Postdoctoral Fellow, Kyoto University). Dr. Fujimoto joined our joint research project in 2019, when he was a junior exchange fellow at Yale University and the National University of Singapore (April 2019 through February 2020). He received a Ph.D. from the University of Tokyo in 2019. He is the author of Medicine and Christianity: American Protestant Missionaries and their Medical Work in Japan (Tokyo: Hōseidaigaku Shuppankyoku, 2021) (published in Japanese).

Discussant: Masafumi Kitamura (Professor, Osaka City University)

 

“Medical Missionaries and Encounters between the West and Asia”

Dr. Fujimoto introduced his new book on American Protestant missionaries and their engagement in medical work in modern Japan. In a departure from the general tendency among scholars to devote attention almost exclusively to German medicine in terms of its contribution to medical progress in modern Japan, Dr. Fujimoto’s book directs the focus on American missionaries and their activities, thereby uncovering an unknown history of medicine in Japan between the late 1850s and the early twentieth century. His empirical analyses primarily of publications of various Christian denominations and their missionaries reveal a shift in how medicine worked for the purpose of American missionaries—from being an indirect way of proselytizing Japanese people, most of whom had initially been hostile to Christianity, to a way of practicing charity. Importantly, this development was concomitant with the process of professionalization of medical doctors and practitioners in both the United States and Japan.

Professor Kitamura, who specializes in German history, provided some observations on the shifting nature of what medicine meant in the United States and Japan by adopting a global perspective and providing European examples in which medicine was something that only a small number of well-to-do could afford until the turn of the twentieth century. He also emphasized that studying how the charitable medicine introduced by American missionaries interacted with, if not confronted, the indigenous forms of medicine that had been practiced by Japanese physicians would have particular relevance in seeking a deeper understanding of the experiences of peoples at the margin of society in modern Asia—the core issue under exploration by our joint research project of comparative study.

Further discussions centered on an even broader issue, specifically the possibility of situating Dr. Fujimoto’s observations of American missionaries at the intersection of the changing nature of medicine and the compartmentalization of religion during the modern period.


大阪市立大学国際学術シンポジウム2021 オンラインセミナー(第2回)の記録

報告:藤本大士氏(大阪市立大学UCRC研究員/日本学術振興会特別研究員PD)
「医療宣教に見る欧米・アジア間の移動と交流 ―医学史とミッション史の接点で―」

コメント 北村昌史氏(大阪市立大学文学研究科)
日時:2021年10月14日(木)15:30~17:30  Zoom方式利用

 

医療宣教に見る欧米・アジア間の移動と交流 ―医学史とミッション史の接点で―

藤本大士

 今回の報告では、日本における医療宣教師研究の到達点や課題について、2021年8月に法政大学出版局より刊行された『医学とキリスト教——日本におけるアメリカ・プロテスタントの医療宣教』(以下、本書)の議論を紹介しつつ、本書の医学史・ミッション史研究における位置づけについて確認した。その上で、医療宣教師の日本以外の国・地域での活動についても概観し、比較研究の可能性について検討した。

 本書は2019年3月に東京大学大学院に提出した博士論文がもとになっている。その後、2019年4月〜2020年2月、育成事業の若手派遣研究者としてイェール大学、シンガポール国立大学に滞在した。この間、博論の一部を学術誌への投稿をおこなったり(博論7章に該当する部分が『アメリカ太平洋研究』に掲載された)、単著出版に向けて、イェール大学神学部図書館などで資料調査をおこなったりした。帰国後は出版に向けて準備を進め、2020年10月に法政大学出版局学術図書刊行助成を獲得することができた。

 今回の報告ではまず、本書の研究史上での位置づけについて説明した。これまでの医学史研究では、ドイツ人医師が日本の医学教育に大きな貢献をおこなったことが注目されてきた。それに対し、本書はアメリカ人医療宣教師を取り上げ、ドイツ人医師以外の西洋人医師が日本の医学に与えた影響を明らかにした。一方、ミッション史研究では、個別の医療宣教師に着目したものが多く、近代日本において医療宣教師の果たした役割の全体像が明らかになっていなかった。そこで、本書は日本で活動したアメリカ人医療宣教師を可能な限り取り上げ、その役割の評価をおこなった。

 次に、本書で取り組んだ研究課題を3つあげた。第一の課題が、医学史とくに医学教育史の観点から、「日本における医学教育がドイツ医学に基づいて進められるなか、アメリカ人医療宣教師は医学教育にどの程度関与したか?」であった。第二の課題が、医学史とくに医療実践史の観点から、「アメリカ人医療宣教師は、ドイツ医学が支配的な日本において、なぜ活動を続けることができたのか?」であった。第三の課題が、ミッション史の観点から、「日本宣教におけるアメリカ人医療宣教師の役割は、時間の経過とともにどのように変化していったのか?」であった。

藤本大士著『医学とキリスト教-日本におけるアメリカ・プロテスタントの医療宣教』(法政大学出版局、2021年)

 その後、本書の全体像と各章の内容について説明をおこなった。本書は9章から成る。最初の3つの章では、1859年頃から1900年頃までを対象とし、日本において医療宣教がはじまり、拡大し、そして縮小する過程を描いた。その後の4つので章は、1880年代半ばから医療宣教の変革が叫ばれるなか、医療宣教師たちがどのような戦略により、近代化しつつある日本の医学と差別化をはかったかを明らかにした。最後の2章において、第二次世界大戦後に発展していく医療宣教の活動を示した。今回の報告では、とくに戦前のことを中心に取り扱ったので、最後の2章の部分については詳しくは説明しなかった。

 最後に、本書で残された課題や今後の研究の方向性について論じた。本書の終章では、アメリカ人以外の医療宣教師(イギリス、カナダ)、カトリックによる医療宣教、キリスト教に基づいたハンセン病者に対する事業、日本人クリスチャン医師による医療宣教などを今後の課題として掲げていた。

 さらなる課題として、「都市・周縁〈史料と社会〉科研」の研究目的などと照らし合わせるならば、比較研究を進めていく必要があるとも指摘した。たとえば、日本以外で活動した医療宣教師との比較があげられるだろう。中国、台湾、朝鮮などの医学史研究においては、医療宣教師がそれぞれの国の近代医学の先駆者として位置づけられることが多いため、医療宣教師の活動はよく知られている。一方、日本の医学史研究において、医療宣教師の活動に言及されることはきわめて稀であった。というのも、西洋医学教育を最初にもたらしたのがオランダ人医師であり、その後はドイツ人医師による医学教育が支配的になったからである。このように、それぞれの国・地域における外国人医療宣教師の活動を比較分析することで、医療宣教師研究がさらに発展していくことになるだろう。

参考:書籍へのリンク https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-32606-6.html

  

コメント

藤本氏の報告を聞いて

北村昌史

 今回、藤本氏の著作『医学とキリスト教――日本におけるアメリカ・プロテスタントの医療宣教』法政大学出版局、2021年』)をあらかじめ読んだうえ、本報告に臨んだ。報告そのものも著作の内容を的確にまとめ、藤本氏の今までの研究の成果が十分伝わるものであったが、時間の関係から興味深いディーテールが省かれていた。病院の立地や社会的機能を明らかにしている本書の情報は、近代日本の都市社会史にとっても重要な手掛かりをもたらすはずであり、ぜひとも一読していただきたい。

 筆者は近現代ドイツ社会史を中心に研究を進め、近年、ナチス政権の誕生に伴い1933年に日本に亡命したドイツの建築家ブルーノ・タウトをテーマとしている。このコメントは、藤本氏の研究とは微妙にずれた立場からのコメントであることをご了解いただきたい。アメリカに由来する医療宣教の日本における展開を、幕末から戦後まで丹念に解明した、本報告は、着実な実証研究に基づきグローバルな視野をもった研究であることをまず指摘したい。

 報告では医療宣教自体が体系的に研究されていないことが指摘されているが、日本における宣教活動そのものが歴史研究の対象となりづらかったように思われる。筆者の関心との関連でいえば、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、キリスト教宣教を行いながら、設計のみならず、近江兄弟社においてメンソレータムの販売、ハモンドオルガンの輸入、教育事業を行ったが、それらは宣教活動を支えるためであった。建築家としては、1980年代までは完全に忘れられ、他の事業についても断片的には知られていたが、ヴォーリズについて体系的に研究がおこなわれ、全体史が試みられるようになったのは、今世紀に入ってからである。そうした成果は、近年刊行された2冊のヴォーリズの伝記に表れている(吉田与志也『信仰と建築の冒険――ヴォーリズと共鳴者たちの軌跡』サンライズ出版、2019年、および山形政昭・吉田与志也『ウィリアム・メレル・ヴォーリズ――失意も恵み』ミネルヴァ書房、2021年)。藤本氏の報告もこうした動きと連動したものといえ、今後日本における宣教活動の再検討を促す重要な研究といえる。

 筆者が関心をもっている日独関係史についていえば、明治時代のドイツ文化や制度の導入と第1次世界大戦後の両国の関係を連続してみる視点は十分確立していない。それに対して、本報告は、幕末から戦後まで一貫して医療宣教という観点から日米の関係をとらえ、そしてその関係の変化をクリアにした。欧米諸国のアジア進出の動きがはっきりしてきた19世紀中葉以降の日本・アジアと欧米諸国の関係史について今後参照軸となりうる研究といえる。

 以上、本報告は極めて射程の広い実証研究といえるが、教えていただきたい点がある。

 本報告であつかう「医療」の内実である。筆者の専門であるヨーロッパに関していていえば、19世紀末まで医療は基本的に裕福な人たちのためのものである。一般の人は薬局や雑貨屋で薬を購入することで体調不良の場合対処していた。そうした状況の中でも慈善医療という形で貧しい人にも医療の機会は提供されていた。ベルリンでは、18世紀前半に設立されたシャリテという病院が存在した。ここでは、医療は無料で受けられるが、患者は基本的に様々な医療の実験台である。快復はもとより、命すらも保証されるわけではなく、19世紀半ばの段階でもベルリンの人々の間では、ここに運ばれるくらいなら死んだほうがましと考えられている。ほかにも救貧行政の枠内での無料医療は提供されていたが、制度的にも人員的にも不十分で幅広い人々が受診できるものではなかった。

 ヨーロッパでは、19世紀前半では医療という存在が普通の人々の生活からまだ乖離していたが、1832年以来数度にわたるコレラ流行を背景に、19世紀後半になり病院制度が拡充していく。プロテスタントのルター派の街ベルリンでは、病院建設はカトリックのイニシアティヴで始められるが、これも宣教活動の一環といえる。これをきっかけにベルリンでは病院の建設が進み、シャリテも近代的研究施設の性格をもつ病院へとその性質を変貌させる。コレラ菌を確定したコッホもこの病院に勤めていた。1883年にビスマルクにより疾病保険制度が導入され、病院の医療はここにようやく一般の人にも身近なものとなる。

 細菌学の発展に伴う医学そのものの変化も含め、19世紀半ばと20世紀の間では「医療」は大きく変化しており、それはアメリカも同様であったと思われる。そうであってみれば、医療宣教においても幕末と20世紀になってからの「医療」のあり方が異なってくるはずであり、その点確認したい。その医療宣教の「医療」が、日本における慈善医療の伝統とどのように対峙したのかも知りたいところである。江戸時代における貧しい階層への医療の在り方と医療宣教の医療の相違や連続性の問題は、「近世~近代移行期における周縁的社会集団の世界」というテーマにとって重要なものである。

 以上、大きな射程をもつ優れた実証研究にふれたらもってしまう、ないものねだりかもしれない。藤本氏の今後の研究をわくわくと期待したい。

 

討論要旨

 質疑応答では、まず北村氏のコメント内で出された質問に対して、報告者が以下のように回答した。

  • 19世紀と20世紀での医療の違いという指摘は、その通りであり、自分もそれは念頭においている。20世紀に入るとより良い治療法が出てきたりして、医学を1~2年学んだだけの人ではなく、もっと専門的な教育を受けている人が日本に来るようになり、担う仕事も役割分担が進んでいく。
  • 慈善医療の伝統については、日本でも貧しくて金が払えない人には分割払いとするなど、慈善的な医療が存在した。聖路加病院と同じタイミングで、慈善医療で褒賞された日本の団体もあった。

 次に、全体の質疑応答が行われた。主な内容は以下のとおりである。

  • 慈善医療は他国も行っていたのかとの質問があり、アメリカは教会などの団体が行っていることが特徴だが、個人の医者ベースでなら、他国も日本や中国で行っていたと答えた。また、1880年代半ば以降にアメリカ人医療宣教師の活動が縮小したとあったが、他の西洋人医師の日本での活動はどうたったのかという質問には、オランダ・イギリス・フランスなど、他国の出身者も同時期に減少していったと答えた。
  • 在来の開業医と慈善医療との間で、利害の対立は生じなかったのかとの質問があり、淀川大洪水の時に大阪のミッション系病院が慈善医療を行ったのに対し、現地の医師や寺院から反対の声が上がったことなど、患者を取られるという問題でやはり対立は存在したと答えた。この点について、日本人医師との協力や対立など、具体的に詳しく関係性を見ていくことで論点が深まるだろうとの意見も出た。
  • 医療宣教師の役割が慈善医療に変化することについて、日本の側の背景はあるのかとの質問には、日本でも1900年頃から、日露戦争などで増えた貧しい人たちに施薬を行い、病院も新たに建ちはじめるなどの変化があったことを答えた。
  • 最初は宣教の目的であったとして、それがある程度果たされた後でも医療宣教を敢えて続けようとしたのはなぜなのか、という質問に対しては、医療宣教師自身の選択、という問題が大きく、医者か宣教師かどちらに重点を置くかはその人しだいであり、基本的に医師に重点を置く人は日本に残って医療を行い、その中で宗教活動もした、ということになるのではないか、聖路加病院の場合は特にその傾向が強いと思うと答えた。
  • 本報告中では、医療宣教師について医学史の問題として着目しているが、そもそも近現代史上ではどのように位置づくのかも考える必要があること、また宗教史の問題としても、宗教の領域化(前近代には医療などと宗教とが未分化的だったのが、近代には他のものと切り離されていくこと)が進んでいくことに注意が必要であることや、宗教の中で愛ということが強調して説かれるようになるのは近代に入ってからのことであり、そのことが慈善医療にもつながっていくととらえるべきではないかとの意見も出た。これに対しては、そのような視点から考えると、医師は医療に専念し、宣教師もチャプレンになるなど、それぞれに専門化をとげていく動きを関連づけてとらえることができそうであると答えた。
  • 今回の議論を通じて、医療宣教師をめぐる問題には、日米両方の変化が絡んでいることが鮮明になってきた。これは今後につながる重要な点だろうとの意見が出た。そして最後に報告者からは、医学の専門職化は意識していたが、宗教も近代の中で変化するという論点は、十分に意識できていなかったところなので、今後はこの点にも注意していきたいという展望が示された。

(討論要旨の文責・渡辺祥子)