旧東西境界地帯から東部ドイツへ
1980年代の留学当初はブレーメンに住んでいたこともあって、旧東ドイツとの国境地帯は緊張感が漂っていたとはいえ、比較的身近な地域であった。90年代以降にも知人が暮らす港町ロシュトックや古都ドレスデンなども訪問し、ドイツ統合後の街の変容を目のあたりにすることができた。以下では、1980年代~2000年代の写真から、そうした変化の一端を振り返る。
ブレーメン中央駅前(1983年)
リューベック近郊に設置された東西両ドイツの境界標識(1983年)
バルト海岸の海水浴場(1992年)
旧東ベルリン中心部「マルクス=エンゲルス橋」(当時)にて。
後方にテレビ塔と大聖堂が見える(1983年)
ボーフム大学の巡検で訪れたハルツ山地の高層湿原。
ここが当時の東西境界であった(1984年)
ハンザ都市としても栄えたバルト海岸の港町ロシュトックは、ドイツ統合以降、港湾機能がハンブルクに移り、衰退が著しい。
中心道路「ランゲシュトラーセLangestraße」。社会主義時代にはパレードが行われたマギストラーレである(1998年)
ロシュトックの中心商店街。
急速に西ドイツからチェーン店が進出しつつあった(1992年)
海上に浮かぶホテルとショッピングセンター。
不思議な光景だが、当時は土地所有権が係争中で未確定状態であったことから、都心部では投資が進まず、更地が目立っていた(1998年)
郊外の集合住宅群(1998年)。
旧東ドイツ時代の住宅団地には、統合後にスーパーが併設されたものの、現在は空き住戸が目立つ。
統合後に建設された駐車場付き・中層の集合住宅。
このようなタイプでないと、入居者の確保が難しい。
ドレスデンは、旧ザクセン王国の首都であり、ドイツを代表するレジデンツ都市の一つ。(写真はいずれも2009年夏)
エルベ河畔に展開するアルトシュタット(旧市街)のパノラマ
ノイマルクト広場で出番を待つ観光馬車
エルベ河畔に海砂を運び込んで作られたビーチ
エルベ川沿いにハンブルクまで伸びる自転車専用道路
都市再生事業で整備されたポケットパーク