ルール地域(その1):炭鉱地域の盛衰
筆者にとって、ルール地域はドイツで最も長く過ごした場所であり、最初の研究フィールドでもある。大学院生の頃は採炭と集落発展との関係を、その後は19世紀半ば~戦間期における都市形成と土地・住宅政策の歴史を、そして近年では「都市改造」や「社会的都市」といった市街地更新事業へと、研究の主要な関心は徐々にシフトしていったものの、ルール河谷に下っていくボーフム大学付属植物園やSchalke 04のホーム・スタジアムの風景は、今でも懐かしく思い出される。
ルール河畔の農村風景。
工業化以前は、こうしたのどかな地域であった。
ドイツ炭鉱博物館正面。
ボーフムのランドマークである。
ボーフム都心近くに未利用のまま放置された炭鉱跡地。
中央奥に見えるのは19世紀モデルの巻上げ櫓(通称「マラコフ塔」)
現在ライン川左岸地域で行われている褐炭露天掘り。
ここまで機械化・自動化を図らなければ採算が取れない。
ルール地域では、石炭産業最盛期に「コロニー」と呼ばれる炭鉱従業員住宅地が多数建設された。熟練労働者の獲得競争が激化する過程で、いわゆる家父長的労働者福祉施策の一環としてデザイン性に優れた質の高い「田園郊外」風住宅地も生まれた。その一部は現在でも保存され、人気のある住宅地となっている。
現存する最古のコロニー・アイゼンハイム(オーバーハウゼン;1846年)
ダールハウザー・ハイデ(ボーフム)
トイトブルギア(ヘルネ)。
改修前(左)と改修後(右)
石炭産業が衰退した後のルール地域では、IBAエムシャーパークをはじめとする様々な構造転換プロジェクトが試みられた。
製鋼所跡地を公園化した事例(デュースブルク)
炭鉱の機械ホールを展示場に転用(ドルトムント)
炭鉱跡地に建設された複合商業施設「ツェントロ」。
正面(上段左)、遊園地(上段右)、ショッピングセンター内部(下段)
持ち家自助建設支援プロジェクトの現場。
建設中(左)と完成後(右)