倫理学概論 I 第2回
「事実」と「規範」の違い①指図性

 ところで、「〜はわるい」「〜はよい」「〜してはいけない」「〜してもよい」「〜すべきだ」「〜すべきではない」といった文(命題=言いたい内容を端的に表現した文)で表現される規範は、「〜である」「〜となる」といった文で表されることがらと区別する必要があります。このことは非常に重要で、この区別をしっかり理解することが、本科目の主要な目的の一つです。

●記述としての事実命題
「〜である」とか「〜となる」といったような文で表現されることがらは、規範との区別を明確にする場合は「事実」と呼び、その文のことを「事実命題」と呼びます。事実命題とは、この社会や世界や宇宙で過去に生じたか、現に生じているか、または将来必ず(必然的に)生じることを、端的に記述した命題です。いいかえれば、この社会や世界や宇宙で生じる「現象」を記述するのが、事実命題です。事実命題には、こうでなければならないとか、こうあるべきだとか、こんなことは起こってはならなかったというような意味は全く含まれていません。過去に起こったとか、現に起こっているとか、将来必ず起こることを、客観的に記述したのが事実命題です。

●規範命題は「指図性」をもつ
 これに対して「〜はわるい」「〜はよい」「〜してはいけない」「〜してもよい」「〜すべきだ」「〜すべきではない」といった規範命題は、単に事実を記述するのではなく、そうなること・そうすることのよしあしや、それらに対する願望、禁止、命令などの意味(倫理学用語で「指図性」[prescriptivityの日本語訳。「指令性」という訳もある。<prescribe 指図する、命令する、規定する]といいます)を含んでいます。こうした「指図性」をもつという点で、規範命題は事実命題と異なっています。

 また、事実命題は、いわば観察者の目で客観的に記述されているのに対し、規範命題は「指図性」を含むことからもわかるように、発言する者はその規範命題を自分の発言として引き受け「コミット(関与)」しなければならず、観察者のように距離を置く立場に立つことはできません。これも、規範命題が事実命題と大きく異なる点です。

●倫理学(道徳哲学)は客観科学にとどまらない
 事実命題によって記述されることがら、すなわち社会や世界や宇宙の現象について探究するのが、いわゆる「科学」です。前回触れたように、科学は、観察者の立場から客観的な記述を行うので「客観科学」と呼ばれることもあります。客観科学は、自然が引き起こす現象を記述する「自然科学」と、人間が引き起こす現象を記述する「社会科学」に大きく分けられます。
 しかし、規範を扱う倫理学は、客観科学にとどまりません。規範自体は人間についての現象のひとつなので、規範について記述する客観科学はあります(規範についての社会学、心理学、文化人類学、歴史学など)。そして、規範について記述する客観科学を「記述的倫理学」として倫理学の一部に含めることもあります。しかし、倫理学は規範について記述するだけでなく、規範について「なぜそういえるのか」理由を示そうとする学問です。そして、「そういえる理由」を示すことは、規範という現象を客観的に記述するだけでは果たせないので、倫理学は客観科学の枠を超えます。
 倫理学や哲学は「人文科学」に含まれるとされることがありますが、「科学」という言葉を「客観科学」という意味で用いるならば、「人文科学」という呼び方は不正確な言葉遣いです。むしろ「人文学」と呼ぶべきでしょう。

*気をつけてほしいのは、
「『〜はわるい』『〜はよい』『〜してはいけない』『〜してもよい』『〜すべきだ』『〜すべきではない』と言われている[とされている、という規範がある]
という命題は、規範に関する事実を客観的に記述した事実命題であり、規範命題ではない、ということです(「と言われている」「とされている」「という規範がある」はしばしば省略され隠れています)。これらは上述した、規範について記述する客観科学(規範社会学、規範心理学、規範人類学、規範歴史学など。倫理学の中に位置づけるなら「記述的倫理学」)によってもたらされた事実命題です。
「『〜はわるい』『〜はよい』『〜してはいけない』『〜してもよい』『〜すべきだ』『〜すべきではない』、なんちゃって」というような発話も、「なんちゃって」という言葉で「などと言われている」という事実を記述している限り、規範に関する事実命題の一表現です(「なんちゃって」も省略され隠れていることがあります)。

●客観科学にとどまらない学問は多い
 客観科学だけが学問なのではありません。倫理学(道徳哲学)だけでなく、経営学、法学、政策学、教育学、工学、医学、看護学、社会福祉学なども、客観科学にとどまらない学問です。
 というのは、これらの学問も、単に客観的に対象を観察し記述することではなく、実際に、会社や組織を経営したり、法を適用したり、政策を行ったり、人を育てたり、ものを作ったり、人の病を治したり苦痛を緩和したり、患者や障害者をケアすることを、最終的な目的としているからです。


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