倫理学入門 第8回
義務論と功利主義(公益主義)の対比

 前回まで3回にわたって、義務論と目的論について説明してきました。義務論者と目的論者の間の論争は、実際には義務論者と功利主義者(公益主義者)の間の論争としてたたかわされることがほとんどです。そこで、今回は義務論と功利主義(公益主義)の特徴について、両者を対比させながらまとめることにします。

●功利主義(公益主義)と対比した場合の義務論の問題点
 義務論とは《ある規範を守るべきなのは、その理由を問うことのできない「義務」として私たちに課せられている》と考える倫理学説のことでした。これに対して功利主義(公益主義)は《一人ひとりの利益・幸福を平等に重みづけて足し合わせた「みんなの利益・幸福」の総量(効用、功利性、公益性)を最大にすることがよい》と考える倫理学説のことです。ところで、功利主義(公益主義)には次のような問題点があることを前回に述べました。

(1) 全体の効用(公益性)を増大させるなら、少数者の犠牲を容認してしまう
(2) 全体の効用(公益性)を増大させるなら、盗みや嘘や人殺しなどの「常識的には行ってはいけないとされる行為」も容認してしまう(とくに行為功利主義[行為公益主義])の場合)
(3)「みんな」の範囲が確定できないので効用(公益性)を計算できず、どうしたらいいのかわからない場合がある
(4) 個人間の利益や幸福の比較が困難で効用(公益性)を計算できず、どうしたらいいのかわからない場合がある
(5) 現にみんなが利益や幸福をもたらすと「感じている」ことを元にするので、多数者の価値観を反映するだけになり、差別を是正できないことがある

こうした問題点は、義務論の場合は生じないように思われます。義務論者は「少数者を犠牲にしてはいけない」「盗みや嘘や人殺しをしてはいけない」「差別は是正すべきだ」ということを、全体の効用(公益性)の増減とは無関係に、つねに主張することができます。というのは、義務論者は、それらの《ルール》を守るのは我々の義務だ、と端的に主張するからです。
 ですが、このことは、筋金入りの功利主義者(公益主義者)の側から見ると、逆に大きな問題であることになります。というのは、功利主義者(公益主義者)にしてみれば、義務論者こそ

(1') 少数者を守るために、全体の効用(公益性)を減少させてしまう
(2') 盗みや嘘や人殺しなどを行ってはいけないという常識を守るために、全体の効用(公益性)を減少させてしまう
(3') (4') 効用(公益)計算という確実な根拠が得られないのに、したほうがいい行為を指示してしまう
(5')「差別」の是正のために、みんなが利益や幸福をもたらすと感じていることを顧みず、多数者の価値観を踏みにじってしまう

という問題点を抱えているように見えるからです。
 また義務論者は、なぜ特定の《ルール》を守るのが我々の義務になるのか、という点に関して「《ルール》は我々が守らなければならないものだからだ」という同語反復的な説明しか与えません。これは、功利主義者(公益主義者)の目には、きわめて恣意的な、不合理なことのように映ります。
 さらに義務論は、複数の義務が衝突する場合(ある一つの義務を果たそうとすると他の義務が果たせない場合)に、どの義務を果たすことが正しいのか、ということについて何も指示できません。なぜなら、どちらも果たすべきである義務であることに変わりはないからです。これは、効用(公益性)の計算さえ行えれば正しい行為が一つに決まるはずの功利主義(公益主義)からすれば、倫理学説としてきわめて不十分だということになります。

●目的論と義務論の対比
 以上のように、功利主義(公益主義)にも義務論にもさまざまな問題点があり、しかも一方の長所は他方から見ると短所であるであるような関係になっていることが多いのです。そこで、目的論と義務論を、目的論が究極的目的とする「利益や幸福」と、義務論の根本である「《ルール》は守るべきだ」という点に即して対比させ、それぞれの特徴を際立たせておきましょう。そうすると、目的論は、

【ある行為が究極的にみて社会全体に利益や幸福をもたらすことが明らかならば、それがいかに守るべき《ルール》に反するとしても、行うべきだ】

という考えであることになります。これに対して義務論は

【ある行為がほんとうに守るべき《ルール》に反しているならば、それがいかに究極的にみて社会全体に利益や幸福をもたらすことが明らかであろうとも、行ってはならない】

という考えであることになります。


【シラバスに戻る】