倫理学入門 第2回
規範を根拠づけるとはどういうことか

●規範の「正当化」
 前回は、プリントに記した事例1に関し「新生児の治療を行うべきか?」ということについて討論しました。そこでみなさんは【行うべきだ】または【行うべきでない】という判断を下し、その理由について議論し合いました。「この新生児の治療を行うべきだ」という判断も、「この新生児の治療を行うべきでない」という判断も、いずれも「規範」の一つです。そして、規範の根拠について考える学問が倫理学であり、討論では、これらの規範はどう理由づけられるか議論したのですから、みなさんはもう「倫理学をしている」ことになります。
 ところで、ある規範がどうして妥当(正当、正しい)といえるのか、ということを、根拠(理由)を示して説明することを、倫理学用語では「正当化* justification」と呼びます。

*倫理学用語の「正当化」という言葉には、私たちが日常的に「正当化する」という言葉を使うときの《常識的に判断すれば妥当でないとみなされる規範や行動を、理屈をこねてむりやり正当なものとする》という否定的な意味は含まれていませんので注意して下さい。

 たとえば、討論で【行うべきだ】派から出された「1. 治療しないのは殺人にも近いこと」という理由は「治療を行うべきだ」という規範(規範的判断)を「正当化」しています。他の2.から4.までの理由についても同様です。また、【行うべきでない】派から出された「A. 治療費や養育費を負担するのは親だ」という理由は「治療を行うべきでない」という規範(規範的判断)を「正当化」しています。他のB.からG.の理由についても同様です。
 さらに、【行うべきでない】派のE「親にも親の人生があるから、子どもに束縛されるべきではない」という理由に対し、【行うべきだ】派は「責任は負わざるをえない」と反論しています。この「責任は負わざるをえない」という反論は、3の「親は子どもを助ける義務がある」によって理由づけられています。つまり、この場合に3の「親は子どもを助ける義務がある」という理由は、直接的に「治療を行うべきだ」という規範を正当化するとともに、Eの「親にも親の人生があるから、子どもに束縛されるべきではない」に対する反論「責任は負わざるをえない」の理由になることを通して、間接的にも「治療を行うべきだ」という規範を正当化していることになります。

 このように、規範の正当化は、さまざまなレベルで行われます。すなわち、ある規範の根拠は、その規範を直接に正当化する場合もあれば、ある正当化理由を正当化することを通して、間接的に正当化することもあるのです。
 さまざまな形で行われている規範の正当化のされ方を整理することは、倫理学において非常に重要です。それは、規範を正当化する道筋、正当化の「論理」を明らかにする作業になります。その作業において、前回話した「事実[命題]」と「規範[命題]」を区別することが欠かせません。

●実践的三段論法
 規範の正当化のされ方を整理する場合には「実践的三段論法」という推論形式が参考になります。これはギリシアの哲学者アリストテレスが『ニコマコス倫理学』という本の中で最初に定式化したといわれています。アリストテレスが書いたのは、次のような推論でした。

   軽い肉は健康によい(大前提:規範)
   鳥の肉は軽い肉である(小前提:事実)
  ∴鳥の肉は健康によい (結論:規範)

 これは「鳥の肉は健康によい」という規範を正当化する根拠を整理して、「軽い肉は健康によい」という一般的・抽象的な規範と「鳥の肉は軽い肉である」という事実に訴えている、ということを示したものといえます。

★少しややこしいですが、論理学用語では、
・主張する内容を端的に表現した文を「命題」
・正当化したい規範を「結論」(ex.「鳥の肉は健康によい」)
・結論の主語を「小名辞」(ex.「鳥の肉」)
・小名辞を主語とする、小名辞に関して一般的な事実を述べた命題を「小前提」(ex.「鳥の肉は軽い肉である」)
・小前提の述語を「媒名辞」(ex.「軽い肉」)
・結論の述語を「大名辞」(ex.「健康によい」)
・媒名辞を主語とし、大名辞を述語とする規範命題を「大前提」(ex.「軽い肉は健康によい」)
と呼びます。

 すなわち、この実践的三段論法の形式では、ある特定の具体的な規範(鳥の肉は健康によい)を正当化するためには、

(1) その規範の主語(小名辞:鳥の肉)についての一般的事実を述べた命題(小前提)を見出す
(2) 小前提の述語部分(軽い肉である)の言葉(媒名辞:軽い肉)を主語とし、正当化したい規範(結論)の述語部分(大名辞:健康によい)を述語とする、より一般的な規範命題(大前提:軽い肉は健康によい)を見出す
(3) 小前提と大前提がともに正しいことを示す

という三つの条件をクリアすればよいことになります。具体的には、小前提と大前提がともに正しい命題になるような「媒名辞」を見出すことがカギになります。
 この場合、小前提は、小名辞「鳥の肉」が媒名辞「軽い肉」の部分集合である({鳥の肉}⊂{軽い肉}。軽い肉でない鳥の肉はない)ということを述べています。この小前提が正しく、しかも「軽い肉」について述べられた規範命題(大前提)が正しいならば、媒名辞「軽い肉」の部分集合である小名辞「鳥の肉」について同じ述語「健康によい」を用いた規範命題も正しい、ということになります。

*したがって、より厳密には、この実践的三段論法は
   すべての軽い肉は健康によい(大前提:規範)
   すべての鳥の肉は軽い肉である(小前提:事実)
  ∴すべての鳥の肉は健康によい (結論:規範)
と書き表せます。
 ここで小名辞「鳥の肉」をS、大名辞「健康によい」をP、媒名辞「軽い肉」をMという記号で表せば、
   すべてのMはPである
   すべてのSはMである
  ∴すべてのSはPである
というタイプの三段論法(論理学用語では「第1格第1式」)になっていることがわかります。

 もっとも、規範の正当化の論理形式はこの実践的三段論法に尽きるわけではありません。しかし、実践的三段論法はその最も基本的な形式を表しているものの一つであることは確かです。
 ここで、前回の討論に現れた推論のいくつかを、実践的三段論法の形式に整理してみます。討論で理由として挙げられたものには下線を付します。

 殺人に近いことをしてはならない(大前提)
 治療しないのは殺人にも近いことだ(1、小前提)
∴治療しないことはしてはならない[=治療すべきだ](結論)
(媒名辞は「殺人に近いこと」)

「劣っている者」を排除することを認めることがあってはならない(大前提)
 障害を理由に治療しないのは「劣っている者」を排除することを認めることになる(2、小前提)
∴障害を理由に治療しないことがあってはならない[=障害があっても治療すべきだ](結論)
(媒名辞は「『劣っている者』を排除することを認めること」)

 治療費や養育費を負担する者の意思を尊重すべきだ(大前提)
 治療費や養育費を負担するのは親だ(A、小前提)
∴親の意思を尊重すべきだ[よって治療をすべきでない](結論)
(媒名辞は「治療費や養育費を負担する者」)

 不幸になることは避けるべきだ(大前提)
 コミュニケーションがとれないのでは不幸になる(G、小前提)
∴コミュニケーションがとれないことは避けるべきだ[よって治療せずに死にゆかせるべきだ](結論)
(媒名辞は「不幸になること」)

★実際に大前提と小前提を見出す作業としては、上にも述べたように、適切な媒名辞を見出すことが肝要です。そのための手順としては、

(1) まず正当化しようとする結論を書く
(2) その結論に含まれている小名辞と大名辞を、それぞれ小前提と大前提に割り振って、結論の下に書く
(3) 小前提と大前提に共通に含まれうる媒名辞として適切な言葉を探す。その際、媒名辞によって表される集合({媒名辞})が、小名辞によって表される集合({小名辞})を部分集合として含み({媒名辞}⊃{小名辞})、なおかつ媒名辞を主語とし大名辞を述語とする規範命題(大前提)が正しくなるよう留意する

というふうに、実践的三段論法を逆さまに書いていくと便利です。
 具体的には、媒名辞をたとえば「X」とし、

結論:鳥の肉は健康によい
小前提:鳥の肉はXである
大前提:Xは健康によい

としておいて、{X}⊃{鳥の肉}となり、かつ「Xは健康によい」が正しくなるようなXを探します。そして「X=軽い肉」という解を得るわけです。
 このやり方については、中間レポートで詳しく練習します。

●規範のレベル──特定の具体的な規範から、より一般的な規範へ
 実践的三段論法においては、結論と大前提が規範を表す命題になっています。そして特定の具体的な規範(結論)が、より抽象的な規範(大前提)を前提として正当化されています。たとえば「子どもの生きる権利を尊重すべきだ」という規範は「人間の生きる権利を尊重すべきだ」という、より一般的で抽象的な規範を前提としています。すなわち、「人間の生きる権利を尊重すべきだ」という、より一般的で抽象的な規範が(大前提として)あり、その上で「子どもは人間だ」という事実が(小前提として)あるから、「子どもの生きる権利を尊重すべきだ」という特定の規範が正当化できるのです。
 このように、規範の正当化のされ方を実践的三段論法の形式に整理し、大前提となる規範の根拠を問うていくと、それは具体的なものから、より抽象的なものへとさかのぼっていくことになります。

 このように、ある規範が正しいといえるための大前提をさかのぼっていき、もうそれ以上さかのぼらないときに前提となっている究極的な規範のことを、倫理学用語で「原理 principle」と呼びます。十分に大前提をさかのぼっていった場合に見いだされる「原理」はきわめて抽象的で、ごく一般的な内容しか含んでおらず、それだけでは具体的に何をすべきか示しはしません。
 一方、原理を大前提として正当化される、より具体的な指示を含む規範のことを、原理と対比させて「規則 rule」と呼びます。

 原理と規則の区別は相対的なものです。同じ内容を持つ規範が原理として扱われることもあるし、規則として扱われることもあります。たとえば「人を殺すな」という規範は、それ以上理由を問うことのできない(問うべきでない)究極的な「原理」とされることもあります(たとえば「殺してはいけないから殺してはいけないのだ」といった正当化がなされる場合)し、さらに抽象的な規範によって正当化される「規則」とされることもあります(たとえば「人を殺してもよいことになるとみんなが不幸になり、みんなが不幸になることは避けるべきだから」といった正当化がなされる場合)。
 また、本来は「規則」である規範が、いつのまにかそれ以上さかのぼらないで究極的な「原理」であるかのように扱われることもあります。戒めがタブーとなって理由を説明できなくなる場合や、校則が理由を問うことを禁じられるようになる場合などは、その例といえましょう。
 ですが、原理と規則を区別することは、倫理学においてきわめて重要な意義をもっています。ある規範が原理とされているときに、それが本当に究極的な原理であり、それ以上理由を問いようがないものなのか、それとも、本来は規則にすぎないのに、あたかも原理であるかのように装われているだけなのか、を見分けることは大切なことです。
 また、本当にそれが原理ならば、それはあらゆる規範の前提となる唯一の原理といえるのか、を確かめることも大事です。それがもし唯一の原理ならば、あらゆる規範をその原理に従って正当化できることになるからです。その原理を日常的な心がけとすれば、私たちはきわめて首尾一貫した、「筋の通った」生活を送れるようになります。そして、そのように生き方を首尾一貫させる、「筋の通った生き方をする」ための原理を探すことを、倫理学は最重要課題の一つとしてきました。

●事実に関する知識の重要性
 また、実践的三段論法の形式による正当化の整理は、事実に関する知識が倫理的判断にとって非常に重要であることを明らかにしています。なぜなら、小前提となる事実命題がまちがっていれば、規範の正当化は失敗してしまうからです。
 たとえば討論では「E. 親にも親の人生があるから子どもに束縛されるべきではない」という理由に対して「介護体制があるから束縛されない」という反論がなされ、さらにこれに対して「介護体制は完璧ではないし、結局親がみることになる」という再反論がなされました。ここでの論点は、実際に介護体制はどうなっているのかという事実に関する問題です。もし、介護体制がまだ不十分で結局は親が面倒を見ざるをえないというのが真実なら、「十分な介護体制がある」という主張は誤りになりますから、「十分な介護体制があるから治療すべきだ」とはいえません(もっとも、その場合でも、「子どもの介護に人生が束縛される」ということが「治療すべきでない」とまでいえる十分な理由かどうかは、なお議論が残るでしょうが)。
 このように、規範の正当化にとって小前提に当たる事実命題の真偽は非常に重要なので、「事実さえ解明されれば、妥当な規範はおのずと決定される」という考え方も生まれてきます。これは「科学さえあればよい、倫理学(道徳哲学)はいらない」という考え方につながります。
 しかし、実際には、事実すなわち小前提の真偽のレベルではなく、原理すなわち大前提のレベルで、どれが正しいのか決着がつかないことがあります。いくら事実が解明され真偽が確定しても、規範のほうで複数の原理が妥当性を主張しあって、どれが正しいのか決定できないことがあるのです。その場合は、倫理に関する「多元主義」や「相対主義」に至ることになります。次回はこの話へ進みましょう。


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