解説
文学研究科都市文化研究センターは、平成23年度、日本学術振興会「頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム」に対して、「東アジア都市の歴史的形成と文化創造力」という事業名で応募し、採択された。本事業プログラムでは、東アジアの都市を中心とする史資料を収集し、WEB上で利用できるようにするために、「東アジア都市文献データベース」の構築を掲げている。このデータベースの一つは中国都市史資料データベースである。
中国都市史資料データベースの構築に当たって、2011・2012年度は、科学研究費補助金基盤研究(C) 「珠江デルタの城郭都市に関する文化的考察」(研究代表:井上 徹)との共同事業として、中国都市史料講読会を組織し、関連資料の講読を進めた。取り上げたのは、清・李士楨撰『撫粤政略』八巻(近代中國史料叢刊第三編所収)である。著者の李士楨(字は毅可)の生没年は明・万暦47/後金天命4(1619)年~清・康煕34(1695)年。本姓は姜で、東莱の都昌(現在の山東昌邑)に生まれた。明・崇禎15/清・崇徳7(1642)年、清朝に帰属して漢軍正白旗の藉を与えられ、李姓に改めた。清・順治4(1647)年、貢生出身より長廬運判を授けられ、これが彼の官歴の始まりである。その後、安慶知府、河東運副、延安知府、分守江西湖東道、河南按察使、浙江布政使、江西巡撫と順調に官途を歩み、康煕20(1681)年12月、広東巡撫に異動した。康煕26(1687)年に退職するまで、広東巡撫としての李士楨は、財政、文教、防衛など様々な政策に携わって改革を進め、清朝支配下の広東政治の基礎を固めるのに大きな貢献をなした。なお、王利器著『李士楨李煦父子年譜―⦅紅楼夢⦆與清初史料鈎玄』(北京出版社、1983年)は李士楨とその子の李煦の経歴、業績に関して詳細に資料を収集しており、すこぶる有用である。
『撫粤政略』八巻のうち第一巻は「撫江政略」、第二巻から第八巻までが「撫粤政略」である。「撫粤政略」は李士楨が広東巡撫在任中に著した各種布告、奏疏、官府間の移動文書などを収録するが、これらの文書のなかには、広東省城を中心として都市行政に関わるものが多く含まれている。中国都市史料講読会では、「撫粤政略」のうち都市行政に関わりの深い文書を中心として講読を進めた。講読会のメンバーは辻高広(大阪市立大学大学院文学研究科後期博士課程)、申斌(大阪市立大学大学院文学研究科前期博士課程)、山本一(大阪大学大学院後期博士課程)、田由甲(大阪大学大学院後期博士課程)、井上徹(大阪市立大学文学研究科)である。講読会では、メンバーがそれぞれ関心のある文書を選んで読解し、発表を行う形式をとった。中国都市史資料データベースには、講読会で取り上げた文書(標点)と語句の説明、文書に関する若干の考察を収録している。
2013年3月31日 中国都市史料講読会