倫理学概論 I 第5回
規範を根拠づけるとはどういうことか①

●規範の「正当化」
 前回は「事例1」をめぐり「新生児の脳内出血の治療を行うべきか?行うべきでないか?」ということについて議論しました。つまり、みなさんは【行うべきだ】または【行うべきでない】という判断を下し、その理由について話し合ったわけです。「新生児の治療を行うべきだ」という判断も、「新生児の治療を行うべきでない」という判断も、どちらも「規範」(規範的判断、規範命題)です。そして、規範の理由や根拠について考える学問が倫理学であり、討論では、これらの規範はどう理由づけられるかを考察しました。こうしたことがまさに「倫理学する」ことです。
 ところで、ある規範がどうして正しい(正当)といえるのかを、根拠(理由)を示して説明することを、倫理学用語では「正当化* justification」と呼びます。

*倫理学用語の「正当化」という言葉には、一般にしばしば非難する意味をこめて「正当化」という言葉が使われる際の《正当でない規範や行動を、あれこれ理由をつけて正当だと言い張る》という意味は含まれていませんので注意して下さい。

 たとえば、討論で【治療を行うべきだ】という理由として出された「1.子には治療を受ける権利がある」は「治療を行うべきだ」という規範(規範的判断)を「正当化」しています。他の2から7までの理由についても同様です。また、【治療を行うべきでない】という理由として出された「A.両親の意思を尊重すべき」は「治療を行うべきでない」という規範(規範的判断)を「正当化」しています。他のBからDまでの理由についても同様です。
 さらに、【治療を行うべきでない】という理由として出された「D.どんな命でも救うべきというのは医師の倫理観の押し付けになる」は、【治療を行うべきだ】という理由の「5.医師として生きられる命は救うべき」を反駁することで、間接的に「治療を行うべきでない」という規範的判断を正当化しています。

 このように、規範の正当化は、さまざまなレベルで行われます。すなわち、ある規範の根拠は、その規範を直接に正当化することもあれば、その規範を反駁する理由を反駁したりして、間接的に正当化することもあります。
 さまざまな形で行われている正当化のされ方を整理することは、倫理学において非常に重要です。それは、規範を正当化する筋道、正当化の「論理」を明らかにする作業です。その作業において、第3回と第4回で説明した、「事実[命題]」と「規範[命題]」の区別が鍵になります。

●実践的三段論法
 規範の正当化のされ方を整理するには、「実践的三段論法」という推論形式が、ひとつの方法を提供します(第1回で注釈したように「実践的」とは「行為に関する」という意味です)。実践的三段論法は、ギリシアの哲学者アリストテレスが『ニコマコス倫理学』などの著作の中で定式化しているものです。
 アリストテレス自身が示したものとは厳密には異なりますが、この科目では、規範の正当化の筋道を示す一般的な形式として、以下のような推論を「実践的三段論法」としておきます。

 行為Aをすべきだ(大前提:規範命題)
 行為aは行為A[の一種]である(小前提:事実命題)
∴行為aをすべきだ(結論:規範命題)

 これは「行為aをすべきだ」という規範を正当化する根拠を整理して、「行為Aをすべきだ」という一般的・抽象的な規範と「行為aは行為A[の一種]である」という事実に訴えている、ということを示したものです。

★論理学の用語では、
・主張する内容を端的に表現した文を「命題」
・正当化したい規範を「結論」(例:「行為aをすべきだ」)
・結論の主語を「小名辞」(例:「行為a」)
・小名辞を主語とする、小名辞に関して一般的な事実を述べた命題を「小前提」(例:「行為aは行為A[の一種]である」)
・小前提の述語を「媒名辞」(「中名辞」ともいいます。例:「行為A」)
・結論の述語を「大名辞」(例:「すべきだ」)
・媒名辞を主語とし、大名辞を述語とする規範命題を「大前提」(例:「行為Aをすべきだ」)
と呼びます。

 すなわち、この実践的三段論法の形式では、ある特定の具体的な規範(「行為aをすべきだ」)を正当化するために、

(1) その規範の主語(小名辞:行為a)についての一般的事実を述べた命題(小前提:行為aは行為A[の一種]である)を見出す
(2) 小前提の述語部分の言葉(媒名辞:行為A)を主語とし、正当化したい規範(結論)の述語部分(大名辞:すべきだ)を述語とする、より一般的な規範命題(大前提:行為Aをすべきだ)を見出す
(3) 小前提と大前提がともに正しいことを示す

という三つの条件を満たせばよいことになります。これらは、小前提と大前提がともに正しい命題になるような「媒名辞」を見つけられれば満たせます。
 この例で小前提は、小名辞「行為a」が媒名辞「行為A」の部分集合である({行為a}⊂{行為A}。行為aの集合は行為Aの集合に含まれる)ということを述べています。この小前提が正しく、しかも「行為A」について述べられた規範命題(大前提)が正しいならば、媒名辞「行為A」の部分集合である小名辞「行為a」について同じ述語「すべきだ」を用いた規範命題も正しい、ということになります。

*したがって、より厳密には、この実践的三段論法は
 行為A[に属する行為]はすべてすべきだ(大前提:規範命題)
 行為a[に属する行為]はすべて行為A[に属する行為]である(小前提:事実命題)
∴行為a[に属する行為]はすべてすべきだ (結論:規範命題)
と書き表せます。
 ここで小名辞「行為a」をS、大名辞「すべきだ」をP、媒名辞「行為A」をMという記号で表せば、
   すべてのMはPである
   すべてのSはMである
  ∴すべてのSはPである
というタイプの三段論法(論理学用語では「第1格第1式」)に類似していることがわかります。

 ここで、事例1をめぐる議論に現れた推論のいくつかを、実践的三段論法の形式に整理してみます。討論で理由として挙げられたものには下線を付します。

 治療を受ける権利を護る[ことをす]べきだ(大前提)
 子を治療することは子の治療を受ける権利を護ることである(←子には治療を受ける権利がある[1]。小前提)
∴子の治療をすべきだ(結論。媒名辞は「子の治療を受ける権利を護ること」)

 生命は尊重すべき(6。=生命を尊重することをすべきだ。大前提)
 治療を行うことは生命を尊重することだ(小前提)
∴治療を行うべきだ(結論。媒名辞は「生命を尊重すること」)

 両親の意思を尊重す[ることをす]べき(A。大前提)
 治療しないことは両親の意思を尊重する[ことだ](小前提)
∴治療しないことをすべきだ(=治療すべきでない。結論。媒名辞は「両親の意思を尊重する[こと]」)

 幸せになれないことはすべきでない(大前提)
 [治療するのは]親も子も幸せになれない[事態を招くことだ](B。小前提)
∴治療す[ることをす]べきでない(結論。媒名辞は「幸せになれない[事態を招くこと]」)

★実際に大前提と小前提を見出す作業としては、上にも述べたように、適切な媒名辞を見出すことが肝要です。そのための手順としては、

(1) まず正当化しようとする結論を書く
(2) その結論に含まれている小名辞と大名辞を、それぞれ小前提と大前提に割り振って、結論の下に書く
(3) 小前提と大前提に共通に含まれうる媒名辞として適切な言葉を探す。その際、媒名辞によって表される集合({媒名辞})が、小名辞によって表される集合({小名辞})を部分集合として含み({媒名辞}⊃{小名辞})、なおかつ媒名辞を主語とし大名辞を述語とする規範命題(大前提)が正しくなるよう留意する

というふうに、実践的三段論法を逆さまに書いていくと便利です。
 具体的には、媒名辞をたとえば「X」とし、

結論:行為aをすべきだ
小前提:行為aはXである
大前提:Xをすべきだ

としておいて、{X}⊃{行為a}となり、かつ「Xをすべきだ」が正しくなるようなXを探します。そして「X=行為A」という解を得るわけです。

●前提を見出すことの重要性
 このように実践的三段論法を逆さにした形式で見出される小前提と大前提はともに、結論を正当化する(理由づける)根拠になっています。そして、これら二つの前提の両方が正しいといえれば、結論も正しいといえますし、二つの前提のうちどちらか片方でも間違っているなら、結論も間違っているといえます。つまり、これら二つの前提が正しいのか検討すれば、結論としての規範が正しいのかどうかを検証できるわけです。
 二つの前提のうち、小前提は事実に関して記述した命題(事実命題)ですから、記述された内容の真偽を検討すれば、正しいのか間違っているのかがわかります。すなわち、小前提に関しては「ほんとうに?」と問い、その真偽を検討することが、正しいのか間違っているのかを検討することになります。
 これに対し、大前提は規範命題ですので、事実の真偽を確かめることで正しいか否かがわかるわけではありません。大前提の正しさを検討するためには、それを一つの結論とみなして、再び「なぜ?」と問い、実践的三段論法を逆さにした形式で、その規範を正当化している小前提と大前提をさらに明文化して検討する必要があります。明文化された小前提にもし間違いが見つかれば、結論としての規範が間違っているといえます。しかし、もし小前提がすべて真であるなら、大前提に関して、実践的三段論法を逆さにした形式での検討を続けなければなりません。
 そして、このような分析と検討は、もうそれ以上分析できない、という大前提に至って、ようやく終わります。もうそれ以上分析できない大前提がどう考えても正しいのであれば、「なぜ?」と問い始めた最初の規範も正しいといえます。
 このように、規範の正当化(理由づけ、根拠づけ)は、少なからず手間がかかります。とはいえ、実践的三段論法を逆さにした形で分析し、規範を支える前提が見出されれば、その規範が正しいか間違っているか検討できます。
 規範は、「こうすべきだからこうしろ」と力ずくで押しつけるしかないようなものではありません。その理由を問い検討することができるものなのです。実践的三段論法を逆さにした形式を用いた分析は、その有力な方法の一つです。


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