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科研(基礎研究(C))報告書のためのノート(3/99)A Note for 1997-1999
Science/Humanities Promotion Project sponsored by the Ministry of Education, Science and Culture
<<最終報告書にむけて研究を進めておりますが、このノートをご覧になった方の意見をお聞かせください。>>
Any comment will b)e welcome; m@il to: koga@lit.osaka-cu.ac.jp

1.研究課題名 (project title):インターネットは文学表現をどのように変えるか(How the Internet Can Change Literature Now)
2.課題番号(project serial number) :094610491
3.研究代表者 (project chair):古賀哲男 KOGA Tetsuo(大阪市立大学文学部 助教授Osaka C. U., Assoc. Prof. )
4.研究分担者: 荒木映子 ARAKI Eiko(大阪市立大学文学部 教授 Osaka C. U., Prof.)       
          菱川英一 HISHIKAWA Eiichi(神戸大学文学部 助教授 Kobe U., Assoc. Prof.)         
          田口哲也 TAGUCHI Tetsuya(同志社大学言語文化教育研究センター 助教授 Doshisha U., Assoc. Prof.)
5.研究代表者連絡先: 〒558-8585  大阪市住吉区杉本3−3−138 大阪市立大学文学部
Osaka City University, Faculty of Literature
3-3-138, Sugimoto, Sumiyoshi-ku, Osaka 558-8585 JAPAN

TEL 06-605-2437(研究室); FAX 06-605-2357(文学部事務) email: koga@lit.osaka-cu.ac.jp
URL: http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/~koga
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[概要] インターネットというサイバーメディアの力が文学表現という活字メディアをどのように変質させるか、と明らかにし、今日の前衛文学が実際にインターネット上で創作されている過程を追うことにより、文学のテクノロジー化を理論化する。
(Summary of Research Project)
The aim of our project is to explore and theorize on the following questions regarding the intricate relationship between our literary activities and the mediating technology, now cybernated and digitalized. Those questions are briefly: 1) How can such a cybermedia technology as the Internet tranform our print culture which has traditionally fostered our literacy and literary arts? 2) Why do we have to think doubly mediated/estranged from our primary "nature," when compared with our ancient forebears? In other words, even before the Gutenberg revolution, has language both as a tool of communication and as a mediating techonology really become a source of power for our human beings? 3) When in our contemporary computer age we feed on the cybermedia so naturally, does such an avantgarde way of language use by the langauge poets really become a "radical artifice" (Perloff) of its own, to effect an oppositon to the media-controlled mass society? Indeed when our cultural memory of human history evapoate as a result of almost "transparent" techonology-effects in speed and distance (call it a Baudrillardian postmodernity), we must begin to suspect our human identity really as a great Nothingness or a SF image of another hyperdigitized intelligence of its own.

(For more details, click here.)
研究目的
<研究背景> 研究代表者および研究分担者の共通する研究領域は英米の現代詩であり、特に代表者の古賀は米国の前衛文学・前衛理論を、また、分担者もそれぞれ、 英国の世紀末から今世紀初頭にかける文化表象(荒木)、英米現代詩moの詩学理論および言語学的分析(菱川)、英語圏の国際的文芸交流(田口)と多分に共通した研究テーマを抱く研究チームである。チームのうち、三名は所属する日本アメリカ文学会関西支部が主催するシンポジウム「情報化・メディア時代における言葉の可能性」(平成8年9月、大阪市立大学)において講師を務め、意見交換を行った。特に代表者はシンポウムの司会を務める過程で他の研究分担者の従来の関心を統合し、よりダイナミックな研究目的を創出することとなった。既に「人文科学とコンピュータ」の重点領域研究に着手している菱川は人文科学のために、新たなデータベース開発を進めている。また、田口も所属の同志社大学においてコンピュータ支援による文学研究の開発チームに加わり、高度なコンピュータ支援教育に携わっている。尚、同氏は2年に及ぶ在外研究により、英語圏における文芸交流の現場を検証し、海外の作家・研究者相互のインターネットによる創作・意見交換についてより包括的な認識を得てい る。さらに代表者および分担者(荒木)の所属する大阪市立大学は平成8年10月に日本有数の学術情報総合センターを開設しており、キャンパスLAN化のみならず、海外の研究者・機関と直接インターネットによる情報交信・文化交流を恒常化氏、われわれの研究基盤を整備することとなった。
<研究目的> われわれの専門研究者チームが目標とするのは単にコミュニケーション・ツールとしてのインターネットがそれを使う人間の文芸をいかに変容させるか、といった概念的・一般的な問題提起ではない。むしろ、インターネットというサイバー・メディアの力が文学表現という活字メディアをどのように変質させうるか、という半ば現実に起こりつつある現象を扱うことによって、文学自身のテクノロジーの変貌を暴き出すことにある。つまり、現実に変容しつつある文芸表現の内実を先端メディアの変革力との関係で捉えることによって、これまで戦争体験や疎外された個人といった状況的な問題意識や古い文学手法の改変といった審美的価値基準によって文学の内実を語ってきた態度を、極めてラディカルに「変える」ことを意味する。今世紀後半に顕著となった社会的・文化的特性であるポストモダニティはインターネットというような先端メディアのもつ力によってますます増幅し、今日のほぼ充溢するメディア統制社会を生み出した。今日の文学的前衛主義も従ってそのようなメディアと巧みに絡み合う現象として出現することになる。特に60年代以後の対抗文化が育てた(反)資本主 義的芸術、修正主義的歴史意識、ニュー・サイエンス、エコロジーといった現象はメディア=表現媒体の概念がいかに自らのテクノロジーによって一般大衆教育を行いうるかという使命を持ったものとして浮上する。これらの問題意識をより包括的・具体的に理論化するのがわれわれの研究目的である。 
<研究の独創性および予想される結果と意義>日本国内におけるポストモダニズム論およびメディア論の大半が未だ高度産業技術社会論の枠組みに縛られていると思われるため、よりグローバルな前衛芸術表現やメディア芸術が志向している文化ネットワークの意義(文化の創造、社会のイデオロギー生産がメディアに依拠する点)を徹底して理論化することにより、その成果は例えば、Masao Miyoshi & H. D. Harootunian, eds. Posmodernism and Japan (1989)が示唆するような学際的研究に結実されることを期待している。

<基礎的な理論化にむけての共通認識・問題設定>
1. <線形的なテクストと非線形的なハイパーテクストの関係について>
従来の「線形的」(linear)(「閉じた」「固定した」「連続的な」を含む)テクストと「非線形的」(non-linear)(「開いた」「流動的な」「非連続的な」を含む)ハイパーテクストとの関係を理論化する。長畑が指摘する以下の問題点を考察する。 i) 新しいエクリチュールの獲得 ii)自由な作品発表の場の獲得 iii)読者のネットワーク環境による詩作品の形態的多様性(作品の受容形態の不安定) iv)機械的環境へのアクセスの不平等
2.<並行法概念による詩テクストの処理の進む方向について>菱川が報告する研究内容について他のメンバーが一定の理解を示し、その有効性について議論できるようにする。特に以下の点について考察する。 i)「並行法」(parallelism)の概念の有効性 ii)コンコーダンス作成プロセスの理解、あるいはコンコーダンス活用法について iii)コンコーダンスによって読みとられた線形的テクストと非線形的ハイパーテクスト化された文字情報の関係 iv)例えば、ハイパーテクスト化されたPoundを読むプロセスの特徴・問題点、等
3.<多文化主義の時代における文化理解の方法・問題点について>
Perloffが問題にする架空の被曝者詩人アラキ・ヤスサダの受容のあり方について考察する。特に以下の点について議論する。 i)作者の主体性をいかに考えるか。Foucalut的立場と匿名の開かれた(ハイパー)テクストの関係(ロマン派的個性(originality)神話の消滅、など) ii)文学行為の政治性の意味(positionalityとempowermentに関する) iii)「連歌」と「新しい文」(Silliman 1987)の関係 iv)オリエンタリズムの問題
4.<自己を書くという自伝的行為の実験的側面について> 荒木(1996)が提起するモダニズム文学の自己言及性について同一テクストへの自己再帰性が孕むテクスト内部での照応関係とテクスト外的な要素への遡及可能性について理論化する。特にプレ(プロト)・モダニズムからポスト・モダニズムに至る過程での主体の再帰性(reflexivity)や脱構築性を議論の題材としたい。

5.<ポストモダンなテクスト形態とは? Davidson(Perloff 1988)の意見について>

6.<ポストモダニティの波及効果;前衛実験の大衆文化への複製効果について>


平成9年度の研究実績の概要

研究代表者・古賀は、研究テーマについての総合的なレビューを受け、理論化の方向性を確定するために、平成9年11月21日より30日まで米国 Stanfordd大学にて Marjorie Perloff教授と懇談を行った。懇談内容は主としてポストモダニズム理論およびアヴァンギャルド芸術(言語詩)についてであるが、その詳しい内容はパーロフ教授との懇談を参照されたい。尚、発表論文@の一部内容は当研究の出発点であるシンポジウム「Shall We Dance?―現代詩の復権:情報化・メディア時代における言葉の可能性とは?」(1996)の報告Aとなっている。

分担者・荒木は『生と死のレトリック―エリオットとイエイツ』(1996)で明らかにした立場を、よりテクスト分析の観点から再考しており、その具体的な成果は発表論文Bの基本的主張(自伝と墓碑銘における自己表象の比喩形式)に現れている。

分担者・菱川は電子ネットワーク上での詩の創作を調べる過程で、幾つかの興味深い事例を発見した。その一つは日本の伝統的な連歌に似た創作手法の共同執筆であり、そこではある詩人の書いたT行に別の詩人が別の行を繋げるという方法によって、行間に微妙な緊張関係が生成し、このことはネットワーク理論のみならず、詩の並行法理論 (cf. http://www.lit.kobe-u.ac.jp/^hishika/^tokutei.htm)にとっても重要な意義をもつ。発表論文Cでは、二人の詩人間の微妙な影響関係を辿る作業においてこの種の共同創作の理論化を行っている。

分担者・田口は60年代のビート詩の再評価を分析するなかで、ビート詩人相互のネットワークの基盤を歴史的に跡づけている(発表論文 DEF)。特に日本と、アメリカの交流史を中心に、ネットワーク生成の原理、その精神的背景を論じている。


平成10年度の研究実績の概要

研究代表者・古賀は、研究テーマについての総合的なレビュー(平成9年11月21日より30日まで米国 Stanfordd大学にて Marjorie Perloff教授と懇談)を行った成果を、パーロフ教授との懇談に報告した(平成11年3月更新)。また、平成10年12月18日の東京・浜離宮朝日小ホールにおけるシンポジウム「日中国際芸術祭」に出席し、平成11年度に予定している中国・北京における国際学会の準備となるべき知見を得た。

分担者・荒木は、コンピュータ文化から逆照射して、印刷と声の文化について、伝達手段、発信者との関係等の視点から、理論化を検討中で、その成果の一端は、現在執筆中の「声とペルソナ--- dramatic monologue再考」(仮題)に発表の予定である。

分担者・菱川は既に発表済みの詩の「平行法」の具体的な実例を Ezra Poundの詩において(ヘブライ詩の観点から)検証する作業を学会発表した(日本パウンド学会、平成10年10月31日、関西大学)。尚、現在、上記北京における国際学会での発表にむけて、 Poundの試論にとって重要な意味を持つFenollosaの詩学をヘブライ詩の原理と対比して検討すべく、準備中でもある。

分担者・田口は昨年からの研究の続行として日本と、アメリカの交流史を中心に、ネットワーク生成の原理、その精神的背景を論じてた論文「ビート・ジェネレーションとアメリカ社会」Gを完成した。 また、その実践として、白石かずこの詩作品をジョン・ソルト氏と共訳し、Sheep's Afternoon(指月社)〔業績H〕として出版した。


研究発表業績一覧

@古賀, 哲男, 「アメリカ戦後詩の死角:今日の文学研究とは?(覚え書きその2)」(『人文研究』【大阪市立大学文学部紀要】48・11(1996): 13-32).
A古賀, 哲男,「ミニ・シンポジウム『Shall We Dance?---現代詩の復権』報告」(『関西アメリカ文学』【日本アメリカ文学会関西支部会報】34 (1997): 72-73).
B荒木, 映子,「顔を与えること、消すこと---リファテールとド・マン」(『人文研究』【大阪市立大学文学部紀要】49・7(1997): 119-131).
C菱川, 英一, 「1911年・ギーセンの夏---パウンドとフォード」( Kobe Miscellany【神戸大学英米文学会会誌】21 (1996): 79-94).
D田口, 哲也, "Politics of the English Landscape" (The City and the Country, ed. by J?rgen Kamn 【ドイツ・Die Blaue Eure社刊論集】1997: 19-30).
E田口, 哲也, 「A Loser in the Rain: Alan Blessdale's Story of Yosser Hughes」(『同志社大学英語英文学研究』【同志社大学人文学会会誌】68 (1997): 239-257).
F田口, 哲也, 「The Winter of Discount and the Decline of Trade Union in Britain」(『同志社大学英語英文学研究』【同志社大学人文学会会誌】69 (1998): 133-150).
G現在投稿中のため、下記論文を参照。田口, 哲也, 「The Working Class Audience of Rock Music, Liverpool in the 1960s」(『言語文化』【同志社大学言語文化学会会誌】1・2 (1998): 293-313).
H田口, 哲也 / ジョン・ソルト(共訳), 白石かずこ(著),『Sheep's Afternoon』【東京・指月社刊詩集】(1997, ページ番号なし、約30ページ).