第6回 内向する世代と告白詩人たち
 
ロバート・ロウエル(Robert Lowell, 1917-77)の「辺鄙な所で起きる」"Waking in the Blue"(『人生研究』Life Studies [1959]収録)という詩に以下のような部分があります。
 
In between the limits of day,
hours and hours go by under the crew haircuts
and slightly too nonsensical bachelor twinkle
of the Roman Catholic attendants.
(There are no Mayflower
screwballs in the Catholic Church.)
 
After a hearty New England breakfast,
I weigh two hundred pounds
this morning. Cock of the walk,
I strut in my turtle-necked French sailor's jersey
before the metal shaving mirrors,
and see the shakey future grow familiar
in the pinched, indigenous faces
of these thoroughbred mental cases,
twice my age and half my weight.
We are all old-timers,
each of us holds a locked razor.
(Selected Poems [Farrar, 1976], p.88)
 
  一日の境界のあいだ、
  何時間もの時間が短髪の看守たちと
  ローマカトリックの付き添い人の
  若干あまりに馬鹿げた独身風に輝く顔の下で過ぎる
  (カトリック教会にはメイフラワー号の
  変人たちはいないのだ。)
 
  お腹いっぱいのニューイングランド風朝食の後で、
  私は今朝二百ポンドもあった。
  金属製鬚そり用鏡のまえで
  フランス人船乗りが着るタートルネックのジャージ服を
  通りの雄鳥さながらに格好つけて着込み、
  これらサラブレッド精神病患者たちの
  やつれた独特な顔のなかに
  震える将来が次第に当たり前になってくるのを見る、
  彼らは私より年は倍だが、体重は半分なのだ。
  われらは老人だ、
  各々が施錠された剃刀をもっている。
 
この詩は詩人が精神病院に入っていた時期(1954年に入退院)の体験をもとに書いたものです。しかし、この詩がそういった入院体験を背景としてもつこと以上に、やはり時代性を感じざるをえません。なぜなら、一般的に「冷戦時代」と呼ばれる時代が始まるからですが、特に 1950年代は、朝鮮戦争 (1950-53)とベトナム戦争 (1954-75)という二つの熱戦にみる東西対立・緊張の強まった時期であり、アメリカ国内では物質的繁栄の裏側で思想的にきわめて抑圧的な時期でありました。この時期の対外的なナショナリズムは実に国内での反共政策(赤狩り)を生み、左翼知識人、ボヘミア集団を形成していた芸術家たちは総じて大衆のヒステリアの餌食として「身代わりの山羊」となり、「魔女狩り」の標的にされたのでした。ですから「これらサラブレッド精神病患者たち」とは詩人の自画像をも含めた知識人一般の健康状態への言及であり、赤狩りを敢行するアメリカ人(ピューリタン)の狂気を「メイフラワー号の変人たち」と呼ばしめる視点は詩人自身の信仰心(カトリシズム)を浮かび上がらせています。つまり、最後の二行に集約された意味は単なる個人の入院体験の告白ではなく、当時の社会に対する告発であります。
 このような告白詩と呼ばれる形を典型的にもっとも凝縮してあらわしたのが、シルビア・プラス(Sylvia Plath, 1932-63)の詩です。彼女の (ガス自殺による)31年という短い生涯はその没年に至るまで急激なカーブを描きます。特に死後出版された詩集『エリエル』Ariel (1965)はほとんど殺気に満ちた詩行が続いています。特に自殺(1963.2.11)の間際に書いたとされる「間際(エッジ)」"Edge" (1963.2.5付け)という詩は(最後の)自殺遂行後の自分の姿を描いています。
 
The woman is perfected.
Her dead
 
Body wears the smile of accomplishment,
The illusion of a Greek necessity
 
Flows in the scroll of her toga,
Her bare
 
Feet seem to be saying:
We have come so far, it is over.
 
Each dead child coiled, a white serpent,
One at each little
 
Pitcher of milk, now empty.
She has folded
 
Them back into her body as petals
Of a rose close when the garden
 
Stiffen and odors bleed
From the sweet, deep throats of the night flower.
 
The moon has nothing to be sad about,
Staring from her hood of bone.
 
She is used to this sort of thing.
Her blacks crackle and drag.
(The Collected Poems, ed. Ted Hughes [Harper, 1981], pp.272-73)
 
  その女は完成された。
  彼女の死んだ
 
肉体は完遂の微笑みをまとい、
ギリシア的必然性の幻影が
 
彼女の着物(トーガ)の巻きひだに流れ、
剥きだしの
 
脚が言うには、
私たち、だいぶ長くやってきたわね、終わったのよ、と。
 
死んだ子のひとりひとり、白蛇のようにとぐろを巻き、
いまでは空っぽの、ちいさな
 
ミルク入れをもっている。
彼女は子供たちを
 
自身の肉体の中へと折りこむが、
ちょうどバラの花弁が、
 
庭が硬くなり、匂いが
夜花の甘く、深い喉から血を流すときのようだ。
 
月はなにも悲しんだ顔をせず、
彼女の骨張った覆いの隙間から眺めている。
 
彼女はこの種のことには慣れっこだ。
自身の暗黒が音をたて、のびていく。
 
いかがですか。なんとも鬼気迫るものがあると思いますが、この他にも発熱について書いた「熱、華氏 103度」"Fever 103°"(1962.10.20付け)や包丁による切り傷について書いた「切り傷」"Cut" (1962.10.24付け)や蜂の昆虫学者であった父親について書いた「父さん」"Daddy" (1962. 10.12)など日常生活や伝記的テーマについて書いた詩があります。それにしても、二児を抱え自殺の道を選ぶとは、夫の英詩人テッド・ヒューズ (Ted Hughes, 1930-)とのあいだに何があったのか、自殺の真の理由は何か、といった伝記的な興味は尽きませんが*、
例えば、皆見昭『詩人の素顔―シルヴィア・プラスとテッド・ヒューズ』(研究者出版、1987年)をお読みください。
彼女の詩を丁寧に読むならば、そこには必ずしもそのような告白的体験の再現ではない神秘化や神話化がなされています。例えば、次の詩は自身を(死後4日めにイエスによって復活させられた新約聖書の人物)ラザロの女性版になぞらえたものです。
 
Lady Lazarus
 
I have done it again.
One year in every ten
I manage it ――
 
A sort of walking miracle, my skin
Bright as a Nazi lampshade,
My right foot
 
A face a featureless, fine
Jew linen.
 
Peel off the napkin
O my enemy.
Do I terrify? ――
 
The nose, the eye pits, the full set of teeth?
The sour breath
Will vanish in a day.
 
Soon, soon the flesh
The grave cave ate will be
At home on me
 
And I a smiling woman.
I am only thirty.
And like the cat I have nine times to die.
 
This is Number Three.
What a trash
To annihilate each decade.
 
What a million filaments.
The peanut-crunching crowd
Shoves in to see
 
Them unwrap me hand and foot ――
The big strip tease.
Gentlemen, ladies
 
These are my hands
My knees.
I may be skin and bone,
 
Nevertheless, I am the same, identical woman.
The first time it happened I was ten.
It was an accident.
 
The second time I meant
To last it out and not come back at all.
I rocked shut
 
As a seashell.
They had to call and call
And pick the worms off me like sticky pearls.
 
Dying
Is an art, like everything else.
I do it exceptionally well.
 
I do it so it feels like hell.
I do it so it feels real.
I guess you could say I've a call.
 
It's easy enough to do it in a cell.
It's easy enough to do it and stay put.
It's the theatrical
 
Comeback in broad day
To the same pace, the same face, the same brute
Amused shout:
 
'A miracle!
That knocks me out.
There is a charge
 
For the eyeing of my scars, there is a charge
For a word or a touch
Or a bit of blood
 
Or a piece of my hair or my clothes.
So, so, Herr Doctor.
So, Herr Enemy.
 
I am your opus,
I am your valuable,
The pure gold baby
 
That melts to a shriek.
I turn and burn.
Do not think I underestimate your great concern.
 
Ash, ash
You poke and stir.
Flesh, bone, there is nothing there ――
 
A cake of soap,
A wedding ring,
A gold filling.
 
Herr God, Herr Lucifer
Beware
Beware.
 
Out of the ash
I rise with my red hair
And I eat men like air.
23-29 October 1962
(The Collected Poems, pp.244-47)
 
女性ラザロ
 
またやってしまった。
十年ごとのある年に
それをうまくやり通すのだ――
 
一種、歩きながらの奇跡で、わたしの皮膚は
ナチのランプ傘のように明るく、
右足は
 
文鎮となり、
顔は特徴のない、形の整った
ユダヤのリンネル製品となる。
 
紙ナプキンを剥がしたまえ、
おお 我が敵よ。
わたしは恐怖の的だろうか。――
 
鼻、目のくぼみ、歯一式をどうです。
くさい息は
一日でなくなるだろう。
 
じきに、じきに、墓穴が飲み込んだ
肉体はわたしのうえで、
居心地が良くなり、
 
わたしは微笑みかける女となる。
まだ三十歳なのだ。
猫のように九回死ねるのだ。
 
今回は三回目だ。
十年間を無に帰するのは
なんとも無駄なことだが。
 
百万ものフィラメントがあるのだ。
ピーナッツをぐちゃぐちゃやる群衆が
押し合いへし合いで
 
わたしの手や脚が剥がされる様をみようとする――
大きなストリップ・ショーなのだ。
紳士、淑女の皆さん、
 
こられはわたしの両手、
わたしの両膝なのだ。
骨と皮だけになるかもしれない
 
にもかかわらず、わたしは相変わらず同じ女性なのだ。
最初にそれが起こったのはわたしが十歳の時。
事故だった。
 
二回目にわたしは
それがずっと続いて決して戻ってこないつもりだった。
貝殻のように
 
わたしは岩の間に閉じこもった。
まわりの人たちは何度も呼んで、
ねばつく真珠のようにわたしから虫をつまみ出さねばならなかった。
 
死ぬことは
他のすべてのことと同じく、一つの芸術だ。
わたしはそれをこの上なくうまくやるのだ。
 
地獄のように感じるようにやるのだ。
実感するようにやるのだ。
わたしの天職だと言うことが出来る。
 
小部屋でそれをやるだけでよい。
単にやって黙っているだけでよい。
それは劇場で
 
同じ場所、同じ顔、同じ獣のような
面白がる叫び声に対して行う
日中の返り咲きだ。
 
「奇跡だ。」という言葉
だけでわたしは打ちのめされる。
わたしの傷跡を見せろ
 
わたしの心臓の音を聴かせろ
という声がある――
本当なのだ。
 
おまけに言葉や肌で触れ、
血を少し、
髪の毛や服をくれといった
 
とても大きな声もあるのだ。
やめてよ、先生。
いい加減にね、敵さん。
 
わたしはあなたたちの作品、
あなたたちの貴重品、
溶けて金切り声をあげる
 
純金の赤子。
わたしは身をよじり、燃える。
あなたたちの大いなる関心を見くびってるなんで思わないで。
 
灰になる、灰になる
あなたたちは指を突っ込みかき混ぜる。
肉も骨もなにもそこにはないのだ――
 
一塊の石鹸、
結婚指輪、
詰めた金歯しか。
 
神さん、魔王さん、
気をつけろ
気をつけろ。
 
その灰から
わたしは赤髪をして立ちあがり、
空気のように人間を食らうから。
1952年10月23-29日付け
 
自殺行為によって自身の肉体が公衆の面前にさらされるという意味での「大きなストリップ・ショー」という芝居仕立てやナチのガス室殺戮という描写、最後に灰となった自分がラザロのごとく復活するという言及などは単に過去の自殺行為の劇的再現以上のものであります。もう一人、プラスよりだいぶ年上ですが、ジョン・ベリマン(John Berryman, 1914-1972)という詩人も、後に投身自殺し、また父親のピストル自殺についても書いています。
 
 Nothin very bad happen to me lately.
 How you explain that? I explain that, Mr Bones,
 terms o' your bafflin odd sobriety.
 Sober as man can get, no girls, no telephones,
 what could happen bad to Mr Bones?
 If life is a handkerchief sandwich,
 
 in a modesty of death I join my father
 who dared so long agone leave me.
 A bullet on a concrete stoop
 close by a smothering southern sea
 spreadeagled on an island, by my knee.
 You is from hunger, Mr Bones,
 
 I offers you this handkerchief, now set
 your left foot by my right foot,
 shoulder to shoulder, all that jazz,
 arm in arm, by the beautiful sea,
 hum a little, Mr Bones.
 I saw nobody coming, so I went instead.
(The Dream Songs [Farrar, 1959], p. 83)
 
 最近オレにはひでえことは起こらねえ。
 それをどうやって説明するのか。ミスター・ボーンズよ、オレならこう言おうか。
 あんたの妙に不可解な禁酒のせいだと。
 限りなくシラフで、女子学生を追いかけたり、深夜の酔っぱらい電話もしないせいだと。 もちろんアンタにはひどいことなど起こり得るはずがない。
 ただし、人生がハンカチにくるんだサンドウィッチのように食べてしまえば、白いハンカチしか残らないことには変わりねえ。
 
 死んじまえば全ておしまい、の慎ましさにおいてオレは父親と同じだ。
 奴はだいぶ前にオレをよくも捨てやがった。
 一発の弾丸がコンクリの土手の上、
 けぶるメキシコ湾近くの孤島で、手足を広げて倒れた父親の所、しかもオレの膝元に落ちてやがった。
 ミスター・ボーンズよ、オマエの憂欝はこころの飢えからだ。
 
オレはアンタにこのハンカチをくれてやるから、いいかい、
オレの右足にアンタの左足を添えて縛り、
肩と肩をあわせ、賑やかに、
腕を組み、あの美しい海辺で
鼻歌混じりにやろうぜ、ミスター・ボーンズ君。
このように嘘ぶいても誰もやってこないので替わりにオレが逝ってやった訳だ。
 
この詩は全部で 385篇もある "dream song"を集めた詩集『夢の歌』76番ですが、「ヘンリーの告白」という題がついています。ヘンリーとは詩人の分身のような登場人物ですが、ブルース的な語りで「ミスター・ボーンズ」という相方と対話するのです。父親同様、深酒をしては前後不覚の破廉恥行為を続けた詩人ベリマンが『夢の歌』執筆に専念するなか、奇妙にも禁酒を続けるという伝記的事実(Paul Mariani, Dream Song: The Life of John Berryman [Amherst: U of Massachusetts P, 1996], p. 291)がありますが、父親の自殺を回想し、自ら、自殺行為をやろうと決意する詩のなかのフィクティヴなもう一つの自己は神秘的なものです。(ついでに言えば、実は集中的に『夢の歌』を創作し出した詩人に起こった一連の出来事がこの詩の創作には関係してるようで、当時、詩人はミネソタ大学で教鞭をとりつつも、アル中で入退院を繰り返しており、母親から父親の John Allyn Smith,Sr.と母親の再婚相手John Angus Berrymanについての暴露的な手紙を受け取り、父親の浮気や母親の再婚目的などを知ったと伝記にはあります。また、執筆開始時に行っていた彼自身の夢分析も関係あるらしく、1954年にアイオワ大学での醜聞による失職の結果、友人の詩人アレン・テイトに頼んでミネソタ大学に移ってまもなく、先妻の Eileen Simpsonと別れ、困窮する一人暮らしを続ける中、彼は「自分の悪夢を体系的に記録し始めた」(Mariani 290) とあります。)
 もう一人、ロウエルやベリマンより一世代上ですが、告白的というより内向的な詩人がいます。優秀な教師でもあったシオドア・レトキ (Theodore Roethoke, 1908-63)です。 1953年の詩集『目覚め』(The Waking)には以下のような哀歌があります。
 
ELEGY FOR JANE
My Student, Thrown by a Horse
 
I remember the neckcurls, limp and damp as tendrils;
And her quick look, a sidelong pickerel smile;
And how, once startled into talk, the light syllables leaped for her,
And she balanced in the delight of her thought,
A wren, happy, tail into the wind,
Her song trembling the twigs and small branches.
The shade sang with her;
The leaves, their whispers turned to kissing;
And the mold sang in the bleached valleys under the rose.
 
Oh, when she was sad, she cast herself down into such a pure depth,
Even a father could not find her:
Scraping her cheek against straw;
Stirring the clearest water.
 
My sparrow, you are not here,
Waiting like a fern, making a spiny shadow.
The sides of wet stones cannot console me,
Nor the moss, wound with the last light.
 
If only I could nudge you from this sleep,
My maimed darling, my skittery pigeons.
Over this damp grave I speak the words of my love:
I, with no rights in this matter,
Neither father nor lover.
(The Collected Poems of Theodore Roethke [Anchor, 1975], p.98)
 
  ジェインのための哀歌
  (落馬して亡くなった私の生徒)
 
  巻きひげのようにしなだれかかる首筋を思い出すのだ、
  そして素早い視線、横にひろがるカワマスのような微笑み、
  一旦会話に入りこむと、言葉が軽やかに飛び出て、
  嬉々とした思考のバランスをとる、
  風に尻尾をそよがし、
  小枝に歌を震わす嬉しそうなミソサザイのようだ。   
  影も彼女と共に歌い、
  木の葉の囁きもキスに変わり、
沃土もバラ咲く白い谷間に歌ったものだ。
 
おお、悲しいときは、かくも澄んだ深みに身を投げ、
父親さえも探すことが出来なかった。
藁で頬を軽く掻きながら、
澄んだ水を掻き混ぜる。
 
私の雀よ、君はもうここにいない、
エニシダのように待ち、細い影をつくった君よ。
湿った岩の脇も最後の光にくるまった苔も
私を慰めることはない。
 
この眠りから君を突き起こすことが出来たなら、
私の不具になった愛しいひと、私の軽快な鳩よ。
この湿った墓の上で私は愛する者の言葉を喋った。
が、この件において、私は
父親でも恋人でもないのだ。
 
このように歌う詩人は実は少し前の戦争体験で十分に心の傷を負っているのです。伝記的にそうだというよりも、抑制された感情をこのように告白的に吐露する手法にそれが現れているように私には思えます。同じ世代の詩人でもよりあからさまに戦争体験を歌った詩人もいます。
 
THE DEATH OF THE BALL TURRET GUNNER
 
From my mother's sleep I fell into the State,
And I hunched in its belly till my wet fur froze.
Six miles from earth, loosed from its dream of life,
I woke to black flak and the nightmare fighters.
When I died they washed me out of the turret with a hose.
(Randall Jarrell[1914-65], Selected Poems [Anatheum, 1980], p. 137)
 
  回転砲塔射撃手の死
 
  母の眠りから私は国家のなかに落ち、
  濡れた毛皮が凍りつくまでその腹の中にうずくまっていた。
  地上から六マイルの地点で人生の夢から解き放たれ、
私は黒い高射砲と悪夢の戦闘機に目覚めた。
私が死んだとき、彼らは私を砲塔からホースで洗い流した。
 
THE LEG
 
Among the iodoform, in twilight-sleep,
What have I lost? he first inquires,
Peers in the middle distance where a pain,
Ghost of a nurse, hastily moves, and day,
Her blinding presence pressing in his eyes
And now his ears. They are handling him
With rubber hands. He wants to get up.
 
One day beside some flowers near his nose
He will be thinking, When will I look at it?
And pains, still in the middle distance, will reply,
At what? and he will know it's gone,
O where! and begin to tremble and cry.
He will begin to cry as a child cries
Whose puppy is mangled under a screaming wheel.
 
Later, as if deliberately, his fingers
Begin to explore the stump. He learns a shape
That is comfortable and tucked in like a sock.
This has a sense of humor, this can despise
The finest surgical limp, the dignity of limping,
The nonsense of wheel-chairs. Now he smiles to the wall:
The amputation becomes an acquisition.
 
For the leg is wondering where he is (all is not lost)
And surely he has a duty to the leg:
He is its injury, the leg is his orphan,
He must cultivate the mind of the leg,
Pray for the part that is missing, pray for peace
In the image of man, pray, pray for its safety,
And after a little it will die quietly.
 
The body, what is it, Father, but a sign
To love the force that grows us, to give back
What in Thy palm is senselessness and mud?
Knead, knead the substance of our understanding
Which must be beautiful in flesh to walk,
That if Thou take me angrily in hand
And hurl me to the shark, I shall not die!
(Karl Shapiro [1913-], quoted from Understanding Poetry, ed. C. Brooks & R. P. Warren [Holt, 1976], pp. 173-74)
 
 
ヨードホルムのあいだ、薄明の眠りのなか、
何を失ったのか、と彼はまず訊ね、
中程のあたりを覗くと、そこには痛みと
看護婦の亡霊が忙しく動き、日の光り、
自身の両眼に覆い被さる彼女の眩ませる存在が
今度は彼の両耳にも。彼らはゴム手袋で
彼を扱っている。彼は立ちあがりたくなる。
 
いつか、自分の顔近くの花のそばで
考えることになる。それを何時みるのだろうか、と。
すると痛みが、未だ中程のあたりで、こう答える、
何を見るって。すると彼は痛みがなくなっているのがわかる、
おお、どこにいったのだ、と彼は震え、泣き出すのだ。
彼は子犬が悲鳴を上げる車輪に押しつぶされて泣く
子供のように泣き出すだろう。
 
後に、あたかもわざとらしく、彼の指は
切断された脚をまさぐろうとする。彼は
居心地よく靴下のなかに包み込まれた形を感じる。
これはユーモアの感覚であり、最良の外科手術を施された手足よりも
上手く出来ていて、びっこをひくこともなく、
車いすを使う必要もない。今度は彼は壁に向かって笑う、
切断は一つの獲得だ、と。
 
というのも、その脚は自分がどこにいるのか分からず(すべて失われているわけでない)、
確かに彼の方も脚には責任がある。つまり、
その脚は損傷であり、孤児であり、
彼は脚のこころを教化せねばならない、
なくなった部分のために祈り、人間の
形をした部分の平安を祈り、その安全を祈り、
少しすれば、それは静かに死んでいくだろうから。
 
主よ、肉体とはわれわれを育てる力を愛し、汝の掌において
無感覚でカスであるようなものを戻す徴(しるし)ではないのか。
捏(こ)ねろ、歩行のために肉体において美しくあらねばならぬ
われらの理解の物質を捏ねろ、そうすれば、
もし汝が怒ってわれを手におさめ、
鮫に投げつけようとも、われは死なないのだ。
 
この二つの詩は戦争をテーマにしつつもほとんどユーモラスに死や負傷を描いています。自身の伝記的な告白というよりは戦争体験を戯画化することで、こころの傷を癒そうとするかのようです。戦争詩や反戦詩と呼ばれるものには、国家や軍隊といった大きな存在に対するあからさまな告発や非難を行うものから、上記のような個人的体験を普遍化するものまでありますが、どういった形の詩が優れているかは別問題でありそうです。以下のロウエルの詩は優れた詩ですが、いわゆる「告白詩」ではありません。もっと告白的な詩を続けて引用しますので較べてみてください(以下、研究観賞用ですのであまりコメントはいたしません)。
 
For the Union Dead
"Relinquunt Omnia Servare Rem Publicam."
 
  The old South Boston Aquarium stands
In a Sahara of snow now. Its broken windows are boarded.
The bronze weathervane cod has lost half its scales.
The airy tanks are dry.
 
Once my nose crawled like a snail on the glass;
my hand tingled
to burst the bubbles
drifting from the noses of the cowed, compliant fish.
 
My hand draws back. I often sigh still
for the dark downward and vegetating kingdom
of the fish and reptile. One morning last March,
I pressed against the new barbed and galvanized
 
fence on the Boston Common. Behind their cage,
yellow dinosaur steamshovels were grunting
as they cropped up tons of mush and grass
to gouge their underworld garage.
 
Parking spaces luxuriate like civic
sandpiles in the heart of Boston.
A girdle of orange, Puritan-pumpkin colored girders
braces the tingling Statehouse,
 
shaking over the excavations, as it faces Colonel Shaw
and his bell-cheeked Negro infantry
on St. Gaudens' shaking Civil War relief,
propped by a plank splint against the garage's earthquake.
 
Two months after marching through Boston,
half the regiment was dead;
at the dedication,
William James could almost hear the bronze Negroes breathe.
 
Their monument sticks like a fishbone
in the city's throat.
Its Colonel is as lean
as a compass-needle.
 
He has an angry wrenlike vigilance,
a greyhound's gentle tautness;
he seems to wince at pleasure,
and suffocate for privacy.
 
He is out of bounds now. He rejoices in man's lovely,
peculiar power to choose life and die
when he leads his black soldiers to death,
he cannot bend his back.
 
On a thousand small town New England greens,
the old white chuches hold their air
of sparse, sincere rebellion; frayed flags
quilt the graveyards of the Grand Army of the Republic.
 
The stone statues of the abstract Union Soldier
grow slimmer and younger each year
wasp-wasted, they doze over muskets
and muse through their sideburns . . .
 
Shaw's father wanted no monument
except the ditch,
where his son's body was thrown
and lost with his "niggers."
 
The ditch is nearer.
There are no statues for the last war here;
on Boylston Street, a commercial photograph
shows Hiroshima boiling
 
over a Mosler Safe, the "Rock of Ages"
that survived the blast. Space is nearer.
When I crouched to my television set,
the drained faces of Negro school-children rise like balloons.
 
Colonel Shaw
is riding on his bubble,
he waits
for the blessèd break.
 
The Aquarium is gone. Everywhere,
giant finned cars nose forward like fish;
a savage servility
slides by on grease.
(from For the Union Dead [1964]; Selected Poems, pp.135-37)
 
    連邦軍死者に捧ぐ
「彼等は国家への防衛にすべてを投げうった」
 
昔のサウス・ボストン水族館は いま
雪の砂漠(サハラ)の中に立つ。壊れた窓は板止めされている。
青銅の風見の鱈は 鱗も半ば失った。
風通しのいい水槽は乾いている。
 
かつては 私の鼻がカタツムリのようにそのガラスを這った――
私の手は
おじけづいた従順な魚の鼻から
漂い昇る泡をつぶしたいとうなずいた。
 
私は今 手をひっこめる。じっとして
魚と爬虫類の棲む暗い下方の無為徒食の王国を
求めて 屡々溜息をもらす。去る三月のある朝
私は ボストン公園(コモン)
 
新しい有刺鉄線の柵にもたれた。黄色い
恐竜の蒸気シャベルが その檻の中で唸っていた。
何トンもの泥や雑草をすくい上げ
下界のガレージを抉り出すために。
 
ボストンの中心部では 駐車場が
市のサンドパイル*のように繁殖する。
オレンジ色の帯万霊節のカボチャ(ピュアリタン・パンプキン)色の梁(はり)
がんがん鳴る州会議事堂をひきしめる。
 
それが穴掘り現場の上で震える正面には
ショウ大佐**とまんまるい頬の黒人義勇兵の
ゴーデンス作の揺れ動く南北戦争の浮彫りが立ちはだかる、
ガレージの地震に つっかい棒の割り板を当てられて。
 
ボストンを行進して二ヶ月後
連隊の半分は死んでいた。
献碑のとき ウィリアム・ジェームズ***には
青銅の黒人たちの息づかいが聞こえるほどだった。
 
彼等の記念像は 魚の骨のように
ボストンの喉につかえる。
大佐は
羅針のように痩せている。
 
彼の 怒った ミソサザイのような警戒
グレイハウンドの優美な緊張。
彼は 歓楽にたじろぎ
プライバシーを求めて窒息するかと見える。
 
彼はいまや 我々の手には届かぬ。
人間の 生を選びそして死んでゆく麗わしい
固有の能力に 彼は悦びを見出す――黒い兵士を
死へと導くとき 彼は背をまげることはできぬ。
 
ニューイングランドの 無数の小都市の公園(グリーン)には
古く 白い教会が
希薄な 誠実な反逆の雰囲気をとどめている。
すり切れた旗が 南北戦争軍人墓地を縫っている。
 
アブストラクトの連邦軍兵士の石像群は
年々細身になり 若返ってゆく――
ほっそりした腰の彼等はマスケット銃にもたれて
まどろみ、短い頬ひげを見せて瞑想する……
 
ショウ大佐の父は 溝のほかに
記念碑など望まなかったのだ、
息子のからだが抛り込まれ
部下の「黒ん坊たち」とともに消えたあの溝のほかには。
 
溝は近い。
ここには この前の戦争の立像はない。
ボイルストン通りには 一葉の商業写真が
煮えたぎるヒロシマを見せている、
 
モズラー金庫 爆風にも生き残った
「ちとせの岩****」の上で。宇宙は近い。
私がテレビの前にうづくまると
黒人生徒の枯渇した顔が風船玉のように浮かび上る。
 
ショウ大佐もまた
彼の泡にまたがっている、
彼は待っている
祝福された休止を。
 
水族館はもう無い。いたるところに
巨大な尾鰭をつけた自動車が魚よろしく鼻突き出して走る。
野蛮な奴隷根性が
なめらかに車輪をすべらせてゆく。
 
注)この詩は一九六○年「アトランティック・マンスリー」誌に発表、一九六四年に同名の詩集に収録。
*「サンドパイル」は、軟土に杭を抜いた跡に砂を詰めてつくる、建築用の基礎。
**ロバート・グールド・ショウ(Robert Gould Shaw)一八六三年に第五四マサチューセッツ志願兵の連隊長に任ぜられ、同年七月十八日にワグナー砦に必死の攻撃を加え戦死した。オーガスタス・セント・ゴーデンス作の有名な記念碑は、一八九七年ボストン・コモンに建立された。
***William James(一八四二ー一九一○)は、文豪ヘンリーの兄で、心理学者・哲学者。彼はこの記念碑の除幕式で次のようなスピーチを行なった―「大佐は裸も同然であったが、彼の不屈の部下、黒人兵たちとともに一つの塹壕に投げ込まれ、その上にシャベルで砂が盛れれたが、この場所のしるしとなるべき杭も石も何一つ立てられなかった……」
****"Rock of Ages" 賛美歌の題名へのあてこすり。
(以上、訳・注ともに徳永暢三による、『現代詩集U』[新潮社]、pp.222-27)
 
この詩では詩人は眼前のボストン・コモン公園の地下駐車場建設工事を描写するうちに、自然と子供時代の記憶へと容易に導かれ、さらにショウ大佐の記念像を見ては南北戦争時の時代意識にまで遡っていますが、このような場面転換を可能にするのは単に語り手の意識の流れ以上に宗教的・黙示録的な歴史感覚や皮肉な風刺精神によって現代の風物を語り直す態度によっています。ショー大佐と黒人歩兵隊の辿った末路を描く部分になると、「彼等の記念像は 魚の骨のように ボストンの喉につかえる」とあり、羅針盤の針の如く痩せた彫像のショー大佐が「歓楽にたじろぎ プライバシーを求めて窒息する」ともあって、いかにショー大佐の英雄的行為が現代のアメリカにおいては青臭いものにみえてくるという観察ともなり、それは逆に今日の物質主義的な商業文化(「[車という]野蛮な奴隷根性がなめらかに車輪をすべらせてゆく」)批判へと展開しています。
 最後にアン・セックストン(Anne Sexton, 1928-74)という人気のあった詩人のいわゆる「告白詩」(四十歳での生理をテーマ)をみて、いかにプラスのものと似ているようで異なるかを確認して講義を終えることにします。
 
Menstruation at Forty
 
I was thinking of a son.
The womb is not a clock
nor a bell tolling,
but in the eleventh month of its life
I feel the November
of the body as well as of the calendar.
In two days it will be my birthday
and as always the earth is done with its harvest.
This time I hunt for death,
the night I lean toward,
the night I want.
Well then ?
speak of it!
It was in the womb all along.
 
I was thinking of a son . . .
You! The never acquired,
the never seeded or unfastened,
you of the genitals I feared,
the stalk and the puppy's breath.
Will I give you my eyes or his?
Will you be the David or the Susan?
(Those two names I picked and listened for.)
Can you be the man your fathers are ?
the leg muscles from Michaelangelo,
hands from Yugoslavia,
somewhere the peasant, Slavic and determined,
somewhere the survivor, bulging with life ?
and could it still be possible,
all this with Susan's eyes?
 
All this without you ?
two days gone in blood.
I myself will die without baptism,
a third daughter they didn't bother.
My death will come on my name day.
What's wrong with the name day?
It's only an angel of the Sun.
Woman,
weaving a web over your own,
a thin and tangled poison.
Scorpio,
bad spider ?
die!
 
My death from the wrists,
two name tags,
blood worn like a corsage
to bloom
one on the left and one on the right?
It's a warm room,
the place of the blood.
Leave the door open on its hinges!
 
Two days for your death
and two days until mine.
 
Love! That red disease ?
year after year, David, you would make me wild!
David! Susan! David! David!
full and disheveled, hissing into the night,
never growing old,
waiting always for you on the porch . . .
year after year,
my carrot, my cabbage,
I would have possessed you before all women,
calling your name,
calling you mine.
(Selected Poems of Anne Sexton, ed. by D. W. Middlebrook & D. H. George [Houghton, 1988], pp/ 96-97)
 
  四十歳での月経
 
わたしは息子を生むことを考えていた。
子宮は柱時計でも
鳴り響く鐘でもなくて、
その生命の十一ヶ月に入って
わたしは暦同様、肉体の
十一月を感じている。
二日たてば、私の誕生日となるが、
いつものごとく、大地は収穫を終えている。
今回、わたしは死を覚悟だ、
わたしは夜を心待ちにし、
夜を欲している。
そうとなれば、
そのことを口にしようじゃないの。
それはずっと子宮のなかにあったのだから。
 
わたしは息子を生むことを考えていたのだ・・・
あなたのことだ。決して手に入れることのなく、
決して種を植えられなかったり、紐をゆるませることのなかった、
性器から生まれるあなたのことを怖れた、
茎のようにか細く、子犬のように静かに息をしているあなたのことを。
わたしか彼の両眼をさしあげようか。
デイビドかスーザンという名前になってくれる。
(二つの名前はたまたま耳にして選んだものだけど。)
あなたはあなたの父親たちが、そう、
ミケランジェロの彫像のような脚の筋肉をし、
ユーゴスラビア人のように
どこか農民で、スラブ人で、意志の固く、
どこか生き残った者で、生命力に満ち溢れているような人たちであって、
おまけにスーザンの目をしているなんて
ありうるだろうか。
 
こういったこともあなたがいなくなって起こったの、
だって二日も出血しているから。
わたし自身は洗礼もなく死ぬわ、だって
三番目の娘で両親は気にもかけなかったの。
わたしの死はわたしの命名日にやってくるわ。
命名日のどこがいけないっていうの。
だってそれは日中の天使に過ぎないのよ。
あなた自身のうえに巣を張って
薄いもつれた毒をまく
悪い蜘蛛の
蠍座の女が、
死ぬのよ!
 
両手首からわたしの死が、
二つの名札をつけ、
コサージュのように
花開く血をまとう、
一つは左に、もう一つは右によ。
それは暖かい部屋で
血の居場所となるの。
扉を蝶番の上で開けたままにしておいて頂戴!
 
あなたの死に二日間、
そしてわたしの死までにもう二日間。
 
愛なんて!あの赤い病気ったら、
来る年も来る年も、わたしを狂おしくさせるのね、デイビド!
デイビド!スーザン!デイビド!デイビド!と呼んでは
大声で髪をふり乱し、夜に呻くのよ、
決して年をとらず、
玄関であなたをいつも待ち続けているというのに・・・
来る年も来る年もだなんて、
わたしのニンジンちゃん、わたしのキャベツちゃん、
わたしはすべての女性に先んじてあなたを所有したのよ、
あなたの名前を呼びながら、
あなたをわたしのものだと叫びながら。