せんねんより御ふれふみデータベース

 『せん年より御ふれふみ』は横半帳上・下2冊からなる史料である。大阪市立大学(当時)が古書店から購入したもので、その編者・伝来などは不明であるが、編纂の意図や性格は上巻冒頭の序文によってうかがうことができる。
 それによれば、同史料は、近世(江戸時代)の大坂町奉行所が出した町触(まちぶれ)の数が膨大となったため、その検索の便宜のため、これを分類・編纂しようとしたものである。「御武家方之御作法」については、町人にとっては不要であると述べており、編者は町人身分の者であろうと推測される。史料中に「勘四郎町年寄いつミや善兵衛」が差出人になっている一札や、同人から提出した町内の「飢人数」の書き上げなどが見られることから、編者は勘四郎町の年寄か、勘四郎町の町人であると推測されている(なお、近世の大坂には南勘四郎町・北勘四郎町の2町があったが、いずれに相当するかは不明)。
 編纂された時期については、序文に宝暦3(1753)年の年紀があり、その頃にほぼ出来上がったと考えられる。しかし、目録部分の貼紙に「宝暦十一年巳十二月迄御法度書写申候」と記され、実際に本文には追記も見られるため、宝暦11(1761)年頃まで部分的に追記がなされたのであろう。
 帳面には基本的に近世大坂の町触が収録され、「御武家方御定」から「町年寄用聞之丁人幷丁代之事」までの項目ごとに分類・編纂されている。ただし、武家諸法度や町からの書き上げ、町名・橋名、あるいは河原巻物の写しなど、町触以外の史料も収録されている。
なお、史料の全文を翻刻した史料集として『せん年より御ふれふみ―近世大坂町触関係史料―』(都市文化研究センター、2004年)が刊行されているので、併せて利用されたい。

*以上の解説文は、『せん年より御ふれふみ―近世大坂町触関係史料―』(都市文化研究センター、2004年)の序文「刊行にあたって」(塚田孝氏執筆)を一部改変する形で齊藤紘子が作成した。