中国語中国文学研究室の沿革

中国語中国文学研究室の沿革

中国語・中国文学専攻 昭和40年

大阪市立大学は,一八八〇年に創設の大阪商業講習所にはじまり,一九二八年の大阪商科大学の創設,戦後の学制改革による一九四九年の新制市立大学開学を経て,百二十年を迎えた。新制大学開学時は,商,経済,法文,理工,医,家政(現生活科学)六学部であったが,後,法文と理工はそれぞれ独立し,現在は八学部・研究科と看護短期大学部,経済研究所を擁する総合大学である。

法文両学部の分離独立は一九五三年のことで,文学部としての歴史もまもなく五十年を迎えようとしている。独立時の文学部は,文学科一学科に十専攻が属する体制で,その中に中国学専攻が所属していた。後に中国語・中国文学専攻と改められたが,哲学・思想・文学・語学の総体的な研究教育をめざした体制であって,最近再び中国学に改められ,その理念が維持されている。文学部の組織は,一学科十専攻から,五学科への編成替えを経て,現在は三学科十五コース体制であり,中国学は言語文化学科中国学コースとなっている。

大学院文学研究科も,五十三年の市立大学大学院創設とともに整備が行われ,各専攻で時期の前後はあるものの,修士課程,継いで博士課程あわせて十二専攻が設置された。中国学専攻も中国語・中国文学専攻(博士課程は中国文学専攻と称した)が設置され,前後期一貫の五年生大学院として,長くこの体制が続いた。しかし,近年の大学改革の動向の中で,文学部も大学院に研究教育の重心を移すこととなり,二〇〇一年四月から,文学研究科が部局となるとともに,従来の十二専攻を三専攻十五専修に改編した。その結果,中国語・中国文学専攻は言語文化学専攻に属して,中国学専修となった。

中国学専修の創設時の教員は,神田喜一郎(文学),高倉克己(語学),本田済(哲学),香坂順一(語学),西野貞治(文学)の諸先生であったが,まもなく橋川時雄(古代中世文学),増田渉(近代文学)の両先生が着任された。その後も,順次退任着任があり,望月八十吉(語学),伊藤漱平(近世文学),鳥井克之(語学),橋本万太郎(語学),尾崎実(語学),宮田一郎(語学),片山智行(近代文学),佐藤晴彦(語学),大内田三郎(語学),花登正宏(語学),王占華(語学),三浦國雄(哲学),山口久和(哲学),齋藤茂(文学),岩本真理(語学)の諸先生が在籍され,研究教育に多大の足跡を残された。

※注: 本紹介文は『東方学会報』第81号「研究室便り・55」より中国語中国文学研究室に関連する内容を一部抜粋、加筆したものである。著者の中村圭爾氏は元大阪市立大学文学研究科教授(歴史学教室)。転載を御快諾下さったことに対して,改めて感謝申上げます。

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