大阪市立大学国際学術シンポジウム 準備セミナー(第2回) 小円座「江戸における「町」の再検討」

報告:ジョン・ポーター
「近世前中期における町の創出過程と拝領町屋敷―江戸の坂本町を事例に―」

日時:20201115(日)14:00~17:00  Zoom方式利用

 

報告の内容

坂本町が成立する以前、その周辺地域を示す絵図(出典:『坂本町旧記』天・地・人3巻、国立国会図書館デジタルコレクションよりhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2547492?tocOpened=1

 本報告では、これまでに町共同体の社会=空間構造に着目した分析を蓄積してきた都市社会研究の動向を受けて、「坂本町旧記」(旧幕引継書 国立国会図書館蔵)を用いた個別町の事例分析を行う。

 まず坂本町の創出過程と、その後の歴史的展開について見ていく。江戸の坂本町一丁目は、近世前期に武家屋敷の跡地を呉服師八人衆が拝領したことで成立した。家持は他町・他国の居住で、初発から家守の管理下に置かれた。拝領町屋敷であることに規定され、売買ができなかったために、町屋敷の区画は分割されず当初の均等な区画を保ち続けた。いっぽう、同じころに成立した坂本町二丁目では、各区画の面積にはばらつきがみられた。同町も武家屋敷の跡地が町地となったものであるが、拝領屋敷は一部のみであり、ほとんどは売買が自由で、区画の分割や統合が可能な沽券地であった。一丁目と二丁目の区画の違いは、各町の成立過程の違いに起因するものであると推測できる。このように、土地の性格としては違いのある両町であるが、どちらも成立当初から町屋敷のほとんどが家守の支配下に置かれていたことは共通しており、両町で諸費用を二ツ割にして分担したり、河岸荷置場を共同で管理したりなど、家主(≒家守)中の申し合わせにより密接な協調関係を構築した。

 次に、拝借上納地の設置と請負人仲間の成立について見ていく。享保期の火事により、両町の裏続きの地面は、町奉行所の命令で火除け地として没収された。この火除け地の管理を命じられた両町の家主中は、その管理費を賄うため、地代を上納する約束で火除け地を拝借し、町屋を開発する許可を得た。開発を主導したのは、請負人仲間と称する両町の家主中(≒家守中)であった。上納地の維持費や町屋の修繕費は全て請負人の収益から賄われ、家持が助成するようなことはなかった。この状況を背景として、坂本町上納地の請負人仲間は、独自の利害を持つ自立性の高い集団として発展した。仲間への加入も請負人の相互認知に基づいており、家持層からの強い制約をうけることはなかった。ところが宝暦期以降、この上納地の請負権を望む願人がたびたび発生して争論となる。請負人仲間たちは、幕府への上納金を増額することで対抗し、請負権を保つことに成功した。度重なる増額で出費が増大したが、それでも町屋からの店賃収入が多いために、賄うことができたのである。

 このように、坂本町は出発段階から家守の町中としての本質を持っていた。そして家守たちは、上納地の管理を契機として、自らの共同性を深め、独自の利害と集団秩序を持つ集団として成熟をとげていったのである。

質疑応答

 まず、上納地からの店賃収益は、上納金額が増額されたためにかなり減少していることが議論になり、家守たちは収益そのものにこだわったというより、請負人として地主から離れた独自な結集を存立させることが大事だったのではないかとの意見が出た。

 次に、坂本町の周辺は、隣接する楓川を利用する材木屋が集中している地域であること、坂本町の名主は対岸の本材木町の名主が兼帯していることも、坂本町を考える上で重要であろうとの指摘も出た。また、坂本町の上納地は、植木屋が借りており、近隣の材木市で売るための保管場所など、何らかの用益で使っていたことが先行研究で明らかにされているので、この点も今後検討の必要があるとの指摘もあった。

 坂本町には、芸能者が多く住んでいるが、それについて分かることはないかとの質問に対しては、今回使用した「坂本町旧記」では、民衆に関わることはほとんど分からないとの回答だった。これに関連し、旧幕引継書の中で町の旧記は「坂本町旧記」以外には見当たらず、この史料の残り方自体も検討すべき課題だろうとの意見も出た。

 また、請負の集団としての強固なありようは、「家守の町中」という江戸の町を考える上での重要な論点とも結びつくところであるとの指摘があった。またさらに、中国史から見ても、請負の話は中国との興味深い共通点があり、比較史の論点としても深めることができそうであるとの意見も出た。

 このように質疑応答では活発な議論が行われ、最後に報告者が、近年の研究動向として、個別町の再検討が重要視されていることも意識しつつ、坂本町の構造をこれからさらに解明していきたいとの抱負を述べて、閉会した。

(文責・渡辺祥子)