大阪市立大学国際学術シンポジウム 準備セミナー〈第1回〉

報告:塚田孝
「小谷汪之氏の「カースト制」論について」

日時:2020 年 9 月 24 日(木)16:00~18:00  Zoom 方式利用

報告の内容

 報告者(塚田)が小谷汪之氏のカースト社会論に最初に出会ったのが、1981 年の歴史科学協議会 大会の報告で「60 人の農民と 12 種類のバルテー職人」の村落を典型とするインド・デカン高原の「ワタン体制社会」の話を聞いた時だった。この時の印象は、日本近世の身分社会と共通する印象と違和感の両方だった。

 報告は、3つの部分に分けて、小谷説についてコメントした。第 1 は、インド中世のカースト制度について の小谷氏の根幹である。これについては、小谷汪之「社会的分業関係と身分的序列関係―大山喬平氏の「ゆるやかなカースト社会」論によせて―」(『部落問題研究』189、2009 年)において、簡にして要を得た説明があり、それを紹介する形で進めた。小谷氏は、「前(プレ)カースト制」から、7~8世紀に「カースト制度」へ転換していくと指摘する。「前カースト制」段階においては、史料に見える 500 人の大工村、1000 戸の鍛冶屋村 500 家族の猟師村など、諸「職能」集団が村落を形成しており、職能集団(共同体)間分業=村落間分業を特徴とする。カースト制度の段階では、村長・村書記、農民集団、村占星師、大工や陶工などの職人、マハール・ マングーなどの不可触民からなる村落が数十集まって、郡(郷)が形成されていた。これら各村にいる諸職の 者、例えば大工なら大工が郡(郷)ごとに大工集団(ジャーティ)を形成しており、これらの職分は、世襲的 家職・家産(ワタン)として成熟し、売買・譲渡されるものとなっていった。

 小谷氏は、こうしたカースト制度の下での社会的分業のあり方を、共同体間(カースト〔=ジャーティ〕間)分業と共同体内(村落共同体―地域社会〔郡郷〕)分業の複合として理解できるとされている。こうしたカースト制度の下での身分的周縁を考えるとすれば、「世襲的家職・家産体制」の外部に位置する「奴隷/女奴隷」「婢」「踊り子」「神の女奴隷」がそれにあたるとされている。昨年の育成事業「周縁的社会集団と近代」の総括シンポジウムで小谷氏が家内女奴隷や踊り子を取り上げたのは、こうした位置づけからだったと、改めて理解でき たように思う。インドのカースト制度と日本近世の身分社会を比べると、日本近世のかわた身分や非人身分が 乞食・貧人として社会に生み出されてきたのに対し、インドにおける不可触民が山間部族民のカースト制度に包摂された結果であるという差異があったのではないかという感想を持った。

 第 2 に、こうしたカースト制度が、イギリス植民地統治下でどのように変容していったかについて論じた小谷氏の『インド社会・文化史論』(明石書店 2010 年)の構成を紹介した。その上で、第 3 に、小谷氏が研究に 利用した史料について紹介した。小谷氏は 18 世紀までのマラーター王国期については、マラーティー語やペルシア語の史料によっているが、これらも土地の権利関係を確認するためにイギリスが収集し、土地譲渡局に保管・所蔵されたものということである。19 世紀なると、史料条件が一変し、英語文献が中心となる。しかし、小谷氏以前には土地所有関係のものがばかりが用いられていたが、それではカースト制度の変容については理解できなかったため、法制・司法関係文献、具体的には各種裁判所の判例集や法令集などを主として用いることになったという。ボンベイ、カルカッタ、マドラスの三ヶ所に置かれた高等裁判所はそれぞれ同等な位置にあったが、そういう体制は第2次世界大戦後のインド独立まで続いた。

 こうしたインド社会史を進めるための史料的条件と日本におけるそれに着目することは、比較社会史を進めるうえで有効なのではないか。今回の紹介が、国際学術シンポジウム 2021 に向けての準備の一助になれば幸いである。

質疑応答

 まず質問として、イギリス植民地統治下での、ワタン体制の公私の分離とはどういうものかについて説明を求められ、支配制度としてワタンの長を官僚の末端に位置付けようとするのが公の側面、ワタンの権利などカーストに関わるような部分は裁判で取り上げないのが私の側面であると答えた。ただし、インドの都市でも地域差があり、その対応は一様でないことにも注意が必要だと付言した。

 続いて、日本の場合は共同体を考える際には、家という単位が重要だが、インドのカーストの場合はどうなのかという質問もあり、インドにおいても、家という単位はカースト内で重要だと思うと回答した。

 また、インドと日本の比較の一例として、例えば日本では、中世には寺社に従属する数百人規模の役者の同職集団が存在していたのが、近世的な領主との関係変化を経て、役者の村となっていくような、社会変化に即した集団の変化がみられたりする。これが日本社会の特質なのか、それとも日本には史料が多く残っているから詳細に分かるということなのかを解明するようなことも、比較史として可能なのではないか、との提案が出された。

 そして、インド史は、インド単独の問題では完結せず、占領国であるイギリスの影響が大きいという難しさがあるという意見や、時期により様々な言語での史料があるので、どんな局面でどのような史料が作られているのか、史料の形式に注意して、社会の仕組みが分かるような分析につなげていく必要がある、という意見も出た。

 本会ではこのように活発な意見が交換され、昨年に開催された「周縁的社会集団と近代」の総括シンポジウムでの研究成果の発展につながるような、有意義な議論を行うことができた。

 (文責・塚田孝/渡辺祥子)