第22回 国内個別セミナーの活動記録

 第22回国内個別セミナーが、2020年2月15日(土)13:00から17:00ころまで、大阪市立大学文学部棟会議室(L122)で開催された。今回は、大阪近世史の会と共催で行われた。

吉元加奈美氏の報告

 本プログラムの一環として、2018年12月から約1年間にわたってイェール大学に派遣された吉元加奈美氏が、主にアメリカ滞在中の経験について報告を行った。

「育成事業参加記―アメリカ長期滞在に即して」

 まず、吉元氏のアメリカ長期滞在期間中に、氏が参加したイェール大学での授業・勉強会やイリノイ・ニューヨークなどでのシンポジウムなどの内容が紹介された。その経験の中で考えたこととして、同大学での授業内容に触発されて、都市社会のダイナミックな展開の基底にある、具体的な人々の生活と、その中で生まれる社会関係を、史料をもとに分析し、その積み重ねとして社会構造を明らかにするという氏の研究視角の意味を再自覚したことを述べた。また、アメリカでの氏の研究内容の報告に寄せられた意見から、社会構造分析の方法とそこから明らかになる歴史的事実を様々な関心や立場の研究者に広げていくことの重要性を強調し、同時にそのベースとして、日本で鍛えられてきた史料分析の方法を共有することは、たとえ困難でも重要であると述べた。日本史研究のさらなる国際交流に向けて、英語圏への一次史料(古文書)の紹介と、その理解を深めるための逐語的英訳の必要性を提起した。 

質疑応答

 報告を受けて行われた質疑応答では、史料の分析視角・方法の共有の問題に関わって、外国語による発信の際に、単に相手側のスタイルにあわせるのではなく、日本の歴史研究で用いられている視角や方法を、史料そのものや論述のスタイルも含めて、自覚的に翻訳、発信することが重要であるとの意見や、氏の研究に関わるジェンダーの視角との距離の取り方に関する意見などが出るなど、活発な議論が交わされた。

 報告・質疑を通して、吉元氏が本事業による長期派遣期間に、国際交流や自身の研究の意義に関わる多くのことを経験し、今後に繋がる重要な糧を得たことが確認できた。

 

田坪賢人氏の報告

 休憩を挟み、田坪賢人氏(大阪市立大学前期博士課程大学院生)が、2020年1月に提出した修士論文の一部をもとにした研究報告を行った。

「巨大都市大坂の作事工匠と中井家」

 近世の巨大都市大坂の大工・木挽は、畿内近江六ヶ国の大工・杣・木挽(作事工匠)と同様に京都大工頭中井家支配の支配下にあった。中井家支配下の作事工匠は地域ごとに組を形成していた。報告では、大坂の大工組の組織構造と作事工匠と大坂の都市社会に展開する諸存在との関係を考察した。

 前半では、大坂の3組→23組→24組という大工組数の変遷と組に所属する大工は印札=営業許可証の交付によって把握されたことを確認し、その大坂の大工組が、A24組全体と各組を統轄する役職者、Bそれぞれの組の正規の構成員である一人前の大工、C一人前の大工に抱えられ管理された子・弟子(専業化した特定業態の者も含む)の三重構造をなしたこと、その周縁には印札を持たない無札大工が広く存在していたことを指摘した。後半では、都市社会との関係を論じ、無札大工の中には大工に近い存在に加え、船大工などの隣接業種の者も含まれていたこと、無札大工を雇用しようとする町人も存在していたことを指摘した。また、大工は彼らの経営基盤として得意先をそれぞれの組の範囲を超えて広く所有していたが、施主=得意先がその意向により別の大工や無札の隣接業種の者を雇用しようとする問題があったことも明らかにした。さらに、中井家とは別に大坂の工匠を支配した山村与助の支配下の大工や、天満地域に展開した大工も、24組の大工と並んで、大坂三郷において広く得意先を確保し、営業を展開していたことを明らかにした。 

質疑応答

 質疑応答では、史実や史料用語を確認した上で、印札の交付による作事工匠の把握の意味などについて質問が出されたほか、また大坂の大工組織が、その周縁部分において常に生み出される大工類似の様々な技術・業態を持つ人々を「無札大工」として摘発し、印札を交付することで積極的に組織内に組み込もうとするような動きも含めて動態的に捉える必要があるとの指摘もあった。得意先関係の形成の筋道をどう見るかや、大工の営業権と他業種のそれとの比較に関わる意見も出された。

 本報告は、近世大坂の大工に関する本格的な社会集団史研究であり、大工集団の技術的編成や都市社会における位置の長期的推移だけでなく、多様な仲間組織との比較など、さらなる発展の可能性を感じさせるものであった。