第88回地理思想研究部会(日本国際地図学会第108回例会と共催)
2007年3月24日(土)
於 関西学院大学大阪梅田キャンパス(KGハブスクエア)

テーマ:クリティカルGIS

クリティカルGISの動向─市民参加(public participation)・ジェンダーの視点から日常生活の空間分析を考える─
西村雄一郎(愛知工業大学)


 この発表では, 1990年代以降の地理学とGISとの対話の中から生まれてきたクリティカルGIS(critical GIS:批判的GIS)の動向,さらにはクリティカルGISと深く関わり,GISの社会化に伴う問題として登場した市民参加GIS(PPGIS:public participat ion GIS),フェミニズムとGISに関する議論について展望する.
 1990年代,IT化・コンピュータの進展と共にGISが普及する中で,地理学とGISとの関係に関する議論が活発になった.GISがさまざま地理的情報を統合する有用なツールであるとするGIS科学者と,GISの一般性やモデル指向といった実証主義的な性格に対する批判,客観・中立的な科学的ポジションの根底にある政治性を批判するポストモダン思想と関わる人文地理学者との大きな論争となった(「特集:GIS論争」『社会・空間・地理思想』第6号,2002).
 こうした論争に存在する,ある種の二分法(実証主義的/批判的,計量的/定性的,空間分析/社会理論,「客観的」/「相対主義的」,「ハード」/「ソフト」)に基づき一方が他方を攻撃するという構造そのものを批判する第3の立場として,1990年代後半の欧米でクリティカルGISが登場してきた.クリティカルGISは,GISを利用する者自身がその内部から批判的にGISを捉え直す運動であり,社会理論と地理情報科学との融合を目指す立場である(Schuurman, 2004.GIS short introduction. Blaclwell),クリティカルGISにおいて,以下の側面に関する議論が行われてきた.

1.GISの認識論・ツールとしての限界
 GISも特定の表象形態であり,地図の記号や分類などは客観的にみえてもある特定の見方が内在している.このような測定の見方を批評し,自然現象・社会現象を含むさまざまな現象をGISで表象するよりよい方法をいかにしてつくるべきか.また,計量的データ・質的データの両者を含む地理的な情報をどのように取り扱うべきか.さまざまな地理的なスケール・空間単位をもった地理学的な情報をいかにして統合すべきか
2.政治とGIS :市民参加GIS
 1990年代に実践されてきたGISは,分析・比較可能なデータを大規模に保持する政府やマーケティングを行う企業に有利に働いてきた,これに対抗するようなボトムアップ型,ローカル・コミュニティベースの組織を力づけるGISが必要であるいう見方が起こってきた.これが市民参加GISという運動となっている.ローカルな知識の統合を可能にするGISの役割,草の根・非営利組織にとって利用しやすいGISのあり方やそのデータ形式などの検討など.
3.社会とGIS:フェミニズムとGIS(Feminism and GIS. gender, place and cultur e, 9-3, p261-303.2002)
 理論的な側面としては,フェミニズム理論との対話から,GISの内部から批評を起こすクリティカルGISの立場がなぜ重要であるのか.また,GISの実践的側面としては,日常生活の空間に着目したGISの分析によって,ジェンダー・民族・人種・社会階層など異なる身体・異なる感情を持ったさまざまな人々の経験をどのように取り扱うことができるか.

 最後に現在日本で起こっている日常生活の空間とGISに関する問題に対するクリティカルGISの視点の意義について指摘した.近年日本でも政府が主導するGIS普及事業が行われたことで,多くの自治体・NPOなどの組織でGISの利用が促進されている.さらにはカーナビゲーションや携帯電話開発によるGPS・GISの融合により,日本独自のGIS利用を進めるための環境が構築されている.このようなさまざまなGISの利用にまつわって,情報の開示や情報の正当性,日常生活の空間とGISの関係がどのように社会的・政治的につくられるのかについてさまざまなコンフリクトが発生している.これらの問題点を考える上で,これまで米国を中心に進展してきたクリティカルGISの視点を今後日本に適用していくことが重要であることを主張したい.

クリティカルGISの視点で考える子どもの安全マップ
大西宏治(富山大学)


1.はじめに
 GISはデータがある限り,多様な地図を幾何学的に描き,人々に示してくれる.しかしながら,地図が社会をどのように構築するのか,GISの過度の活用により,我々の暮らしがサーベランスされてしまうのではないかという地理学者が持つ疑問がある.この問題に対して,GIS研究者は無関心でない.また,GISが市民に活用されるようになり,GISで作成された地図情報が社会に氾濫するようになってきた.(批判的)地理学者が抱いていた危惧が一部で現実問題となった.
 本報告の目的は,第1にクリティカルGISの動向の中で現れてきた市民参画型のGIS(PPGIS)の動向を概観することにある.また,欧米の地理情報科学の中の論争を踏まえる,踏まえないに関係なく日本国内で様々にPPGISと考えられる取り組みが行われてきた.そのような取り組みの一つに,数多くの都道府県警察の出す犯罪マップやコミュニティが取り組む「子どもの安全マップ」がある.第2の目的は,これまで行われてきたPPGISだと考えられる「子どもの安全マップ」を批判的に分析することである.
 市民がGISを利用し,地域情報を共有する取り組みが欧米だけでなく,日本でも行われるようになってきた.このような市民参画のGISをPublic Participation GISの頭文字をとりPPGISと呼ぶ.人々が地域の情報を共有し,それを統合することで地域計画・まちづくりに活用することもできる.実際,北米ではCommunity GISに類する書籍が数多く出版されている(小山・太田,2006).市民参画により,様々な情報が多くの人たちで共有され,正しい地図の作成と地図の理解が行われるのであれば,GISは地域情報を円滑にとりまとめ視覚化する手段として有益である.では,現在の日本で行われているリスク情報の視覚化は,上記のような問題をクリアしているのであろうか?

2.PPGISと日本の子どもの犯罪マップ
 市民参画のGIS(PPGIS)はGISの社会的な影響を考える上で重要である.自分たちの暮らす世界のサーベランスが,市民参画で情報を獲得,表示するGISの仕組みをつくることで,ユーザーが意図しない中で始まってしまう可能性がある.
 日本では欧米で考えられる様々な論争を踏まえて市民参画型GISを運営しているのか否か,明瞭にはわからないものの,日本でもサイバースペース上に様々な地理情報を収集し,配信する多様なPPGISが存在する.
 日本で活発に行われている市民レベルのGIS活用に「子どもの犯罪マップ」作成がある.近年の子どもを巻き込む犯罪の増加から,日本において子どもの犯罪マップが数多くつくられるようになった.その中で,各都道府県警察は子どもが被害者となったり,なるおそれのある事案を地図化して公表するようになってきた.GISを用いた犯罪マップは公表当初,様々な反響を呼んだ.
 しかしながら,子どもの犯罪に関する事案は,効果的な情報配信となるかどうか,わからない.というのも,GISユーザーはWeb-GISを運用し,様々な地域情報を集め,公表していくことに対して,@効果に対する疑問,A学問としてサーベランスの結果を配信することへの批判がある.小学校区内などで声かけ事案が発生した際,保護者の携帯電話にメール配信が行われるサービスは全国各地の警察署で行われている.これも地域情報を文字媒体ではあるものの,多くの市民へ配信する,PPGISの一種の異形と考えることもできる.
 日本で犯罪分析や犯罪情報の共有にGISを活用しようと考える人たちの意図通りなのか,意図からはずれてなのかははっきりしないが,子どもの安全マップにGISが活用されるようになってきた.

3.おわりに
 いったん普及してしまった市民レベルでのGIS活用に対して時計の針を逆戻りさせることはできない.国土交通省計画局は,GIS定着化事業の一環として,「安心・安全GISサミット(2006年10月)」を開催し,武生市や宇治市の取り組みを紹介した.
 地理学者がGISを活用した研究に関して様々な議論をする中,GIS批判者の間で問題となり,地理情報科学研究者がGISを内部批判(Critical GIS)することで克服できると考えられてきた課題が,市民にGISを使われてしまうことで,改めて浮上してきた.
 このような状況を地理学研究者は放置してはおけない.では,どのような解決策があるのだろうか? 地図の特性,つまり表現やデータの掲載の仕方についての教育が必要になる.また,掲載すべきデータやそこから読み取れることをこれまで以上に普通の人々に知ってもらう必要が出てきた.地図のリテラシーが一般の人にこれまで以上に必要とされる時代となったのではないだろうか.

〔コメントおよび質疑〕
 西村,大西両氏の報告ののち,山崎(大阪市立大学),矢野(立命館大学)両氏がコメンテーターとして意見を述べた.

 山崎:西村,大西の両報告では「市民」の語が多用され,またGISマップの作成のためのデータ収集に関する議論においては,一般の人々が参加するものから官製のものまでがほぼ同列に論じられていた.「市民」とは誰であるのか,各々のGISマップ作成が誰による,誰のための,いかなる目的のものであるのかが不明瞭。それらの諸要素を明確にした上で議論すべきである。
 矢野:(GISに関する幅広い情報提供をおこなった上で,自身も関わるGISマップ作成におけるデータ収集について触れた後)、関係した警察署内部での閲覧がようやく可能となったデータがあったが,外部へのその持ち出しは禁じられたことがあった.警察が所有する「不審者」データの扱いは国単位,自治体単位で異なるため,データの持つ「公的」(public)な側面が各地で異なる.
 山崎:(アメリカ合衆国における犯罪データ収集の在り方を説明した後)、同国の警察は自治体警察として「公僕」という位置づけもなされるが,他方でそのデータ収集は極めて徹底したものである。
 矢野:西村氏の報告に対し,何が問題の焦点になっているのか(特に西村氏自身との関係から),クリティカルGISの様々な分派との関係は。
 西村:日本においてもGISやGPS技術が浸透し,それに関わる問題が生じているが,クリティカルGIS,GISと社会についての研究・入門書,これらを理解し社会に提言する研究者が,日本でも必要であると考える.何がクリティカルGISであるのかという問いは,米国でも論者によって立場が異なるので今後さらに整理する必要がある.矢野氏が指摘されたように,今回の発表はクリティカルGISを主導したSchuurmanの論を中心に紹介したものである.今後,GIS科学者側からみたクリティカルGISの評価・意味づけなど多様な立場からクリティカルGISがどのように扱われているかをみていきたい。
 矢野:プライバシーについてどう考えるのか。
大西:日本の実情はまだまだ未整理の状況である.携帯電話会社やツタヤといった企業が活用している問題を批判的に見ることはなく,基本的には無頓着である.こうした状況に対して地理学者はコメントして向き合う必要があると考える.また,犯罪マップを作成することによる風評被害の問題については,どのような表現が適切であるのか考える必要がある。
 山崎:(自らの示したダイアグラムを示しながら),パブリックとパーティシペイトが何に対応しているのかを見ていく必要がある.PPGISの場合,それは小さいスケールを表している.このスケールの変化に応じて市民参加のあり方が変容するはずなので,こうした変化をより理解すべきであったのではないか.アメリカにおいては犯罪関連情報が大量に存在している.それを公開するのに際しては法整備が必要であるし,情報を扱う人間の公儀観が重要であろう.この場合,空間のスケールを操作することによってプライバシーを守る操作をしている.また,警察そのものの,市民が求めているという立場から,情報を秘匿するよりはむしろ公開するという態度をとっている.それは,米国の場合,自治警察という市民の監視が効いた存在であり,犯罪情報の作成者と利用者の関係がダイナミックに存在しているという状況があるからである.これに対して,日本の場合,PPGISに対する市民の関心は向きやすいが,八尾市の自治体に聞いたところ,ひやりはっとマップを作りたいが,警察は情報を提供しないということであった.
 矢野:(この山崎発言をうけて)京都の場合,京都府警は役立つコメントを付して地図化に成功している.矢野研究室でも共同研究をしているが,データのセキュリティーはしっかりと管理されている.現在はスタンドアローンのPCで情報を管理している.ただし,署長が交代すれば,どのような対応になるのかは未定である.こうした話は,中谷氏らの行った防災マップの作業にも見いだせる.京都市の防災マップを作成するが,3次元のマップが当初はあまりにもリアル過ぎて現場の市側が公開にとまどったという.しかし市長レベルで公開が決定されることとなった.公開後に実際の苦情は無かったということである.
 山崎:(上記の議論をうけて)これらは情報のリテラシーの問題と大きく関わる.その教育は日本ではまだまだ未成熟である.つまり,ここにおいてもパブリックとパーティシぺイションの問題であると考えられる.アメリカの場合は,警察が喚起してコミュニティーづくりを行っており,日本の子ども安全マップと同じ構造が見受けられる.

 以下、フロアからの感想・意見と報告者の回答を記す。
 寄藤昂(芝浦工大):マッピングにGISが導入されることで,PPが阻害されるのか、もしくは促進されるのだろうか。クリティカルGISの第三波をこの中でどのように位置付ければ良いのかという問題がある.日本でもすでにタクシーやトラック業界の労務管理にGPSが導入されている.こうした状況を,日本の地理学者が後追いして現象化していっており,テクノロジーの進展が先行している.GISというテクノロジーの社会集合体の中で地理学者は何をすべきか考えるべきではないか.こうした点から,様々な表現や段階のあるGISの情報リテラシーの確立が最も重要な課題になるのではないかと考えている.
 志村喬(上越教育大):安全マップとGISは関われることができるのか。
 大西:地域安全マップとGISは親和性がないと小宮氏は考えている.しかし,例えば,景観のパターンから犯罪の誘発性を見出す(分析)することは可能ではないか.つまり,将来的には親和性が生じてくるのではないかと考えている.
 山田晴通(東京経済大):クリティカルGISはシステムとしてあるわけではない.2チャンネル的な要素を持つクリティカルGISの構築は可能なのか。神谷浩夫氏らのジェンダー・マッピングはクリティカルGIS足り得ていると判断してよいのか。
 西村:危険に関わる情報をGISで共有する方法としてはmixi的なある程度限定されお互いが誰か分かる範囲内でしか行えないのではないかと日本では議論されている.女性の状況の地図化は欧米でも初期のフェミニスト地理学で行われていたことであり,同様のことが日本でも始まったという点では神谷氏らの一連の研究は評価できると考える.しかし,フェミニスト地理学ではその後,統計にあらわれてこない,地図化が困難な場所や空間の分析を行う研究へと変化があったということは指摘しておきたい.私の研究の視点はフェミニスト地理学とタイムジオグラフィーの関連にあるが,発表で述べたKwanと同様のジレンマ(GISで詳細な分析を行うことが可能となっているが根本的に新しい概念を提示しているわけではないこと)をどうするかが現在の問題であると考えている.

(司会:大城直樹,記録:山口覚・鳴海邦匡,出席者28名)