◆第87回 地理思想研究部会 掲示用ポスター

日時:
2006年11月11日(土) 10時30分〜(人文地理学会大会部会アワー)

会場:
近畿大学(大会開催の詳細はこちら

研究発表(公募選定):
地理学の開闢、あるいは語りえぬものの地理学
泉谷洋平(フリー)  選考の詳細はこちら

要旨:
 本研究の直接の目的は、独我論、私的感覚、意味体験といった晩年のウィトゲンシュタインの哲学的課題を検討しつつ、そこから場所の固有性をめぐる諸問題を考えるための基盤を整備することである。
 20世紀の後半を通じて、国民国家や資本主義経済との連動性をますます高めながら学術研究が営まれるようになり、また他方では、科学的知識が価値中立であるという神話がまさに神話であったという認識が、科学の内外においてますます常識化している。こうした中、現代の社会において科学技術や学問的知識がどういう位置づけを持つのかという問題の重要性が、広く認識されつつあると言ってよい。いうまでもなく人文地理学もその渦中にあり、昨今われわれが頻繁に遭遇する、人文地理学の社会的貢献や人文地理学者の政治的立場(ポジショナリティ)をめぐる諸言説も、そうした状況の先鋭化の具体的な現れといえる。しかしながら、こうした問題が一度制度内部で定着すると、そうした問いが本来持っていたはずの批判性は失われ、ややもすると問いを立て(そして、それに無難に応答する)ことが一種の形式的儀礼と化してしまう傾向もある。本研究は、科学(ないしは学問)と社会という図式において人文地理学の政治性や社会的貢献を問いただすような問題系を相対化しつつ、そうした図式によっては扱うことのできない重要な倫理的・政治的問題が人文地理学にも存在しうることを提示する。われわれにとって常識化しつつある問題系に対して、あえて違和を注入することで議論を喚起したい。
 まず、議論の出発点として、本研究で「場所の発見」と呼ばれるものとそれに伴う独特の感覚について、私自身の体験を提示する。私は、何気なく日々の生活を営む中で、ふとある場所の本質、特徴、謎などに触れてハッとしてしまう瞬間を体験することがある。この私の体験は、私にとってその体験が生じた場所のある種の固有性と切り離すことができないように感じられるのであるが、このような体験の正体はいったい何であるのだろうか。本研究で「場所の発見」と呼ぶのはこうした体験のことであるが、その語りえない不思議さ、あるいは不思議な語りえなさは、果たして人文地理学という知の営みとどういった関係を持っているのだろうか。
 この「場所の発見」に伴う独特の体験は、須原一秀の蒐集した「変性意識」の事例として理解することができる。須原によると、変性意識とは、(1)何かのきっかけに、(2)時空間や主観客観、自己や言語に対する感覚が日常的なそれと著しく変わってしまい、(3)恍惚感、眩惑感、解放感、溶解感、熱中や自発性の放棄などを体験し、(4)やがて元の日常的意識に戻る、以上のような意識状態のこと指している。彼はこうした変性意識の事例を過去十年にわたって数千も集めている。そこで、まずここでは、須原の考察や事例提起を踏まえて、私自信の「場所の発見」の体験を意味づけることにする。その結果、「場所の発見」の体験とそれに伴う独特の身体的な感覚は日常頻繁に生じうること、そしてそれらが日常世界(とそれを支える諸規範のシステムとしての、広義の社会ないし公共圏)からの離脱の契機となりうることなどが確認されることになる。しかし、私にとっては「場所の発見」の感覚の独特な「語りえなさ」の正体が重要な問題の焦点であるのだが、須原の議論の射程内では、この「語りえなさ」の問題が欠落している、という問題がある。
 そこで次に、こうした「語りえなさ」の問題にもう一歩踏み込むために、須原の提示した諸事例と類似した現象について考えていたと思われる、晩年期のウィトゲンシュタインの哲学的思考をたどることにする。ウィトゲンシュタインは『哲学探究』第二部において、同一の図像が全く異なる相貌(アスペクト、風景相)に見えてしまう際の心的体験をめぐって考察している。言語にとって本質的なのは語の使用であり、語の意味は言語活動にとって何ら本質的ではないという考え方が、後期ウィトゲンシュタインの到達点であった。これと同じように、例えば有名なアヒルとウサギの反転図形の事例に見られるように、同一の図像にそれまで見ていたものとは異なる相貌を見いだした瞬間の閃きや驚きといったものは、たとえそれがその相貌を認識した当の者にとって無視しえないインパクトを持ったとしても、世界内の出来事の記述において全く本質的ではない。これがウィトゲンシュタインの洞察である。しかしながら、逆説的にもウィトゲンシュタイン自身がこうした閃きや驚きの体験を動機として哲学的な仕事をしていたと考えざるをえない側面が、ウィトゲンシュタインの著作の端々に見受けられる。こうした捻れは、ウィトゲンシュタインが哲学的な仕事において終生一貫してこだわり続けた彼の独我論的な世界観と関係している。そして、実はアスペクトの認知における閃きや驚きの語りえなさは、この独我論の語りえなさと構造的に同型である。以上から、「場所の発見」の体験がウィトゲンシュタインの考察と整合する限りにおいて、その体験において「場所の固有性」として感知されたものが、独我論における「この私」の比類なさからの派生であることが示唆される。当日の発表では、永井均が展開する独在論の哲学を紹介しつつ、ウィトゲンシュタインの独我論の語りえなさの輪郭をなぞっていくことにする。さらに、須原の議論におけるこの「語りえなさ」の欠落についても、その要因を考察する。須原においては、「頭で分かっているわけではなくても身体的にはかなりはっきりと分かっていることがある」という暗黙知的な認識の採用によって、この「語りえなさ」が乗り越えられているということを確認する。
 以上の考察を逆方向からまとめ直すと、次のようになる。ウィトゲンシュタインが固執した独我論と、その変奏としての驚きや閃きの体験の語りえなさの問題は、須原の議論において、暗黙知的ないし身体的な感覚の正当性を承認することにより抹消されている。そして、須原が提示した日常頻繁に生じるある種の私的体験の非日常性や非社会性は、須原が問題としているように、表象され言説化された知に優位性をおく人文社会科学の慣習においては排除されている。本研究の最後に、こうした(A)『通常』の人文社会科学、(B)須原の「ウヨク」的態度(須原自身の用語)、(C)晩期ウィトゲンシュタイン、という三つの立場を相互比較しつつ、それぞれと対比的な「人文地理学」のあり方を探ることにする。日本においては、昨今の人文地理学が圧倒的に(A)の枠に収束しつつあり、人文地理学者の政治的立場やポジショナリティの問題、人文地理学の社会的貢献に関する問題も、もっぱら(A)の枠の内部で取り扱われる問題である。そして(A)において制度化されるような人文地理学で通用している諸規範を前提にした時、(B)および(C)の立場が必然的に排除される。こうしたことを論証しながら、しかしそれにもかかわらず、(B)と(C)の立場において人文地理学的と呼びうる知が開ける可能性があることや、生に意味を与えるものを思想と呼ぶ限りにおいて、地理思想の新たな可能性が(B)や(C)の領域においても開かれうることを指摘する。また、こうした領域において開ける知の領域が(A)の立場に回収されえない剰余を孕む以上、そこに倫理的・政治的な問題が実践的な問題として必然的に生じる、ということも示唆したい。

コメンテーター:
中島弘二(金沢大学)

発表および討議内容