第86回 地理思想研究部会
2006年9月30日(土) 於:京都大学総合博物館

 今回の研究会は,地理思想研究部会が2005年10月の活動継続時に掲げた 3つの重点領域のなかのうち、A地理学方法論(サブディシプリンや学的枠組みの有効性、フロンティアの変容などに関するレヴュー・ワーク)やB地理的表象・実践の実態把握(地図、環境観、コスモロジー、あるいは自明化された日常実践に見られる地理的表象に関する実証研究) に関わりながら、特に環境史に焦点をしぼり議論を進めたものである。特に環境史に焦点をしぼり議論を進めたものである。近年,様々な学問分野で環境史が注目されている。環境への関心が高まるなか,大きな可能性を持つと考えられる環境史研究に対して,人文地理学はそれへの関心が乏しいのが現状ではないだろうか。日本における人文系の環境史研究は,社会学や歴史学,文学といった分野がこれまで先導してきた。しかし,それらの研究の多くは環境そのものやその長期的な変動,また,生態学や植物学などの自然科学的な知識への関心が弱かったといえる。人文地理学は伝統的に環境に強い関心をもって形成されてきており,こうした側面から今後の環境史研究の進展に貢献できると考えている。その状況を鑑みながら,今回は「地図・環境史・思想」という3つのキーワードを設定して研究会を開催することとした。このキーワードに従って小椋純一氏(京都精華大)と小林茂氏(大阪大)の2名の報告を得ることができた。また,それへのコメントとして米家泰作氏(京都大)より報告を得た。以下にその概要を記す。

小椋 純一(京都精華大):絵図類の考察を中心にみた鎌倉から江戸期における神社周辺の植生景観

 今日,関東や関西地方低地部を含む日本南部における典型的な鎮守の森は,常緑広葉樹林(照葉樹林)であり,それは古くから人の手があまり入ることなく続いてきたものと考えられることが多い。しかし,明治期以降の地形図や写真などからも,そうした通念は誤ったものであると考えられる1)2)。そこで,明治よりも前の状況を明らかにするために,幕末から鎌倉時代の絵図類を主たる史料としながら,その時代における神社の植生景観を検討した。
明治よりも前の状態を知るために,絵図類の利用が考えられるが,絵図には実際にはないものが描かれることもある一方,実在するものが描かれないこともある。そうした絵図がもつ性格のため,植生景観に関して絵図を重要な資料として扱うためには,ある絵図の写実性をなんらかの方法によって示す必要がある。その一つの方法として,独自に描かれた同時代における複数の絵図の比較考察が有効な場合がある3)。その方法を軸に,幕末の元治元年(1864)に刊行された「再撰花洛名勝図会」と室町後期に制作された初期洛中洛外図4点を主たる史料とすることにより,かつての京都の神社の植生を検討した。
 そのうち「再撰花洛名勝図会」は,京都の東山方面の名所を中心に描いた名所図会である。その序などの記述から,その挿図の写実性を高めることが意図されたことがわかるが,それぞれの挿図が実際に写実的に描かれているものが多いことは,同一場所を描いた複数の挿図の比較考察により確認できる。その結果,祇園社(八坂神社)や伏見稲荷などでは,当時はマツやスギが重要な樹木となっていたところが多かったと考えられる。一方,一部の神社ではマツやスギが少ないところもあったものと考えられる。
 また,国立歴史民俗博物館蔵の洛中洛外図(歴博甲本)など,16世紀初期から中期にかけて制作された資料性の高い4点の洛中洛外図に描かれた神社の植生の比較考察でも,上賀茂神社,今宮神社,北野神社,八坂神社などの主要な神社については,当時も幕末の頃と同様に,マツやスギが神社の重要な樹木であったところが多かった可能性が高いと考えられる。
 一方,鎌倉期の絵図類については,「祇園社絵図」と「出雲大社并神郷図」について,文献の記述,出土植物遺体などをもとに絵図類の資料性を考えた。それらの考察例からは,当時の神社境内にはマツが少なく,落葉広葉樹が多かった可能性が高い。


1) 鳴海邦匡・小林茂「近世以降の神社林の景観変化」歴史地理学48(1),2006,1-17頁.
2) 国立歴史民俗博物館編『日本の神々と祭り ―神社とは何か?―』国立歴史民俗博物館,2006.
3) 小椋純一『絵図から読み解く人と景観の歴史』雄山閣出版,1992.

小林 茂:環境史研究の展開と「非平衡系」生態学

 近年の人文地理学は,社会の環境への関心の高まりに背をむけ,「空間」・「社会」・「政治」を重視してきた。また,景観のような人文地理学が研究を蓄積してきた重要な対象についても,そのフィジカルな側面をほとんど無視して,イデオロギーとの関係に関心を集中している。しかし他方で,人文地理学が伝統的に注目してきた環境や景観について,学際的な関心が高まっている。地理学・歴史学・人類学・考古学・生態学などにまたがる「環境史」という分野がそれである。すでに国際雑誌として,Environmental History (米),Environment and History (英)が発刊され,活発な議論がおこなわれている。
 環境史は環境の歴史的変遷だけでなく,人間の利用開発にともなう環境の改変や変化,さらには人間と環境との関係そのものの歴史にも関心をよせる。こうした問題に,古文書・古地図・絵画,さらには現存する地形や地質などの資料をもとにアプローチするという点で,人文地理学の伝統に大きく重なり,当然のことながら,C. O. Sauer (1889-1975)のような地理学者の仕事を,先駆的なものとして高く評価する。
 ところで,環境史にはいくつかの潮流があり,環境保護思想史に関心の高い,歴史学者によるアメリカやイギリスの環境史,人類学・考古学の領域から景観変化を重視する歴史生態学,Sauerの系譜をひく地理学における環境史(歴史地理学)はよく知られているものである。以上にくわえ,現在の人間−環境関係の理解にむけて,過去の環境と景観に関心をふかめていくスタンスもみとめられる。これらはさまざまな対象について展開し,かならずしもまとまったものではないが,いくつか従来の見解をくつがえす成果をもたらしている。本発表では,こうした潮流のなかで重要な意義をもっている「非平衡系」生態学について検討した。
 生態学的システムを「非平衡系」とする見方は,1970年代以降ひろく生態学に受け入れられるようになった。従来は必然的に安定した極相に変化すると考えられてきた生態学的システムでは,現実には洪水・火事などさまざまな「攪乱」により,極相へのプロセスがしばしば中断し,ひきもどされる。このため一時点に観察されるのは,斉一な極相ではなく,むしろさまざまな遷移段階のパッチのモザイクとなる。また攪乱があるからこそ,多様な遷移段階に応じた生物多様性の存続が保障されるわけである。さらにこうした攪乱のひとつとして,環境の人為的改変が位置づけられるのも留意される点である。なお,こうした「非平衡系」生態学は,New Ecology という名称で地理学や人類学に紹介されてきた(Zimmerer, 1994; Scoones, 1999)が,これは一般的でないことを付記しておきたい。
 景観の存続における攪乱の重要性を示す例としてよくあげられるのがアメリカ,ヨセミテ公園のセコイア林の保護をめぐる経過である。巨樹で有名なセコイア林の「保護」の結果,予想に反してまわりではコロラドモミが群生することになり,あわせて山火事が起こってオープンにならなければ,セコイアの種の発芽や成長が進行しないことが知られるにいたった。このため,現在ではセコイアの更新にむけて,管理された山火事を発生させる方向へ保護が変更されている。
 環境を「非平衡系」とするこうした見方は,たとえば半乾燥地における土地利用と景観の理解に大きな影響をあたえる。降水量の変動が大きい半乾燥地では,環境は定常状態を保つというよりは,むしろ「非平衡」状態が存続していると考えられるようになっているのである。そうした半乾燥地域では,従来は carrying capacity をこえた家畜の放牧により,植生の悪化がおこるとされ,その抑制が指導されてきたが,降水量の変動により,草地の状態が大きく変化するので,一律に carrying capacityを決定するのは不可能であり,牧畜民のフレキシブルな高い移動性は,そうした環境によく適応するものと評価されるに至った。こうした見方は,やはり過剰な開発によるとされてきた「砂漠化」論に大きなインパクトをあたえるだけでなく(砂漠は長期的な降水量の減少により拡大し,それが回復すれば縮小する),北アメリカのダストボウルに関する近年の理解とも共鳴する。ダストボウルは無理な土地利用の結果と理解されてきたが,長期的にみると白人の到来以前から繰り返して発生し,多くは自然のプロセスによるのである。
 「非平衡系」生態学はまた,アメリカ環境思想史の中軸となる wilderness (文学では「荒野」と訳されることがあるが,むしろ「原生自然」あるいは「手つかずの自然」)概念にもインパクトを与えている。上記ヨセミテ公園の例のように,特徴的な植生景観を存続させるには,適切な人為的介入が不可欠である。しかし自然と人間を対立的にとらえるwilderness の極端な理解では,これが不可能になってしまう。Wilderness を,一部の自然を聖域化して守ればよいとする,都市住民の一方的な自然観とする環境史家 Cronon (1996) の批判があるのも当然といえよう。
 さらに私たちにとって重要なのは,日本の里山観の転換にもこの「非平衡系」生態学が大きな意義をもっているという点である。原生林こそが貴重な自然であるという見方のなかで,里山はかつて二次的自然と位置づけられていた。しかし人間の継続する攪乱によって生物間の競争が緩和され,多様な生物がみられることが広く意識されるようになる一方で,農村における里山利用が減退し,その景観が徐々に失われていくにつれて保全がさけばれるようになった。絶滅が懸念される希少種の存続には,里山景観の保全も必要という見方の浸透である。ただしここで留意しておかねばならないのは,里山が農村の肥料・飼料・燃料・用材の給源として長期間どのように利用され,さらにその景観がどのように変化してきたかという点については,わかっていないことが多く,環境史の観点から本格的な研究が要請されていることである。
 以上のような点で,「非平衡系」生態学は,Sauer 以来の人文地理学が積み上げてきた,長期的な見方の有効性を再認識させることになった。景観の長期的変動を追跡していくと,攪乱によるさまざまな変動が視野にはいってくる。そうした点からすれば,SauerやA. Clark (1911-1975)のような地理学者,J. Malin (1893-1979,アメリカ半乾燥地研究)のような歴史学者は,先駆的な「非平衡系」論者も位置づけられる。環境史は「非平衡系」生態学を意識することによって,環境保護活動や環境教育,さらには農業開発にとっても意義あるものになる可能性があるわけである。なお,本発表のあと佐野静代「日本における環境史研究の展開とその課題−生業研究と景観研究を中心として−」(史林89-5)に接した。類似の素材を扱うが,見解に大きな差があり,あらためて議論したい。

米家泰作(京都大学):小椋・小林両報告に対するコメント

 人と環境の関係史は歴史地理学の当然の課題とみなされてきたが,これまで人間中心的な開発史を暗に前提とする傾向があったように思われる。しかし小林報告が示唆するように,環境に対する刺激や活性化として人の活動を捉えなおしていくならば,歴史地理学者の仕事も改めて再検証・再評価されなければならないだろう。その際,短期間のうちに変動する植生景観を示されてきた小椋氏のお仕事は魅力的である。丁寧に示された絵画表現の分析法に接し,筆者自身,これまで古地図や史料のなかの植生に関する記述をいかに見落としてきたか,省みる所が多かった。
 今回の両氏のご報告は,ともに神社林ないし里山の植生史の変動に関わる所があった。このような変動を異常な現象とみるのでなく,人を含む生態系の摂理の一つとみる時,本来あるべき極相林とそこからの逸脱という考え方は,たちどころに相対化されてしまう。望ましい森林植生を保護・育成するにあたって,近代林学が作り上げた理想化された森林像は揺らぎ,結局のところ現在の私たちが森林にどう向き合いたいのか,という思想的な問題に直面することになる。実体的・物的な環境の歴史を丁寧に復原していく作業は,まだまだ手つかずのまま残されているが,そのような作業が環境に対する認識や価値観の問題を提起していくということを,今回の報告はいずれも示唆するものであった。

 これらの報告やコメントを受けて質疑応答が行われた。その要点は以下に記す4点であった。
 @神社の森や里山など現在我々の目に触れる植生景観を,歴史的にどう位置づけるべきか。ある時点の植生が形成され変化していくプロセスや,その背景を明らかにしていくという課題について。
 A里山の植生や保全をめぐる問題について,特に非平衡系システム論の視点との関わりから。環境保全政策に研究者が関わる場合,平衡系の視点と非平衡の視点を局面によって使い分ける必要があるのでは,との質問も。
 B神社の森や里山の植生内部の「生物多様性」について,現実の史資料からどの程度まで詳細に明らかにし得るのか。あるいはどの程度まで明らかにすべきなのか,との質問。
 C極相林こそ「自然」という考え方は,いつどこで定着したのかなど,地理思想の問題としても活発な討論。

 また,報告の間に京都大学総合博物館に所蔵される地図資料の閲覧を同博物館の地理作業室において実施したことを最後に付記しておく。近世における神社や里山の森林景観を描く地図,災害や都市火災を描く地図など,今回の報告の内容に合わせた地図を囲みながら活発な議論を行った

(参加者:16名)
(司会:鳴海邦匡,資料紹介:上杉和央,記録:今里悟之)