第85回地理思想研究部会
2006年7月8日(土)
共催:大阪市立大学大学院文学研究科地理学教室
於:大阪市立大学医学部医療研修センター会議室

テーマ:新しい地政学−9/11後の世界への政治地理学的アプローチ

The Political Geography of Civil Wars
John O'Loughlin (University of Colorado at Boulder)


 経済学や政治学を中心とする社会科学の分野において戦争(内戦)の研究は少ない。そうした研究分野に比して、内戦を研究する上で有効な地理学的視点とは何かを論じたい。政治学や経済学のアプローチには、@内戦個々を独立した事象として捉える、A空間的な波及効果を検討しない、B紛争の地域的集中の過程を無視する、C内戦の残した景観や歴史的効果に関心を示さない、Dあらゆる場所と時期に妥当する「一般モデル」に執着する、E国や年をユニットとする集計的データに依存している、といった問題点がある。内戦の要因として、所得・不平等・資源、エスニシティやそれに伴う社会の派閥化、国家の脆弱性、そして地勢や戦闘の拡散、などが既に指摘されているが、地理的要因はさほど注目されていない。地理的要因を過小評価する見解は誤っており、統計的にみても国土の大きさや地形的条件などによって内戦の危険性は高まる。
 本報告では、経済学や政治学などが着目するstationary(定常的)過程に対して、空間内で諸関係が変化していくnon-stationary(非定常的)過程を考察する。このことはglobal(全域的な)統計学に対して、非集計化されたデータによるlocal(局地的な)統計学を打ち立てることである。その手法として有効なのがGWR(地理的重み付け回帰分析)である。この手法は空間的カーネルを用いて観測地点ごとに異なった回帰分析を行う。
 ウガンダや北コーカサス地域における反乱軍の攻撃パターンを非集計的(点)データによって地図化すれば、エスニック・グループや時間によって固有の分布パターンを持つことがわかる。こうした紛争の地域的集中を判別するためにGAM(Geographical Analysis Machine)と呼ばれる手法を用いた。世界の内戦発生地点を分析すれば、人口密度その他の変数をコントロールしても、世界の特定の地域で内戦が集中していることがわかる。
 こうした内戦発生による近隣国家への影響を検討するために、WHOによるDALY(障害調整生命年)を用いた。内戦はその発生地に隣接する国の(男女別)生産年齢人口の寿命に多大な影響を及ぼしている。本研究で援用したGWRモデルの適合性を決定係数の分布図によって確認すると、男女別・障害要因別の寿命縮減について、特定の地域で適合性が高く(内戦の影響が大きく)、その他の地域で低い。サハラ以南地域では、内戦によってエイズが女性の寿命縮減に与える影響が甚大となっていることがわかる。一つのモデルで世界全体を説明するとこうした地域的なバリエーションは見えない。
 以上を要約すれば、内戦への政治地理学的アプローチには、@より非集計的なデータの収集、A先行研究での鍵となる前提の再検証、BGISを通した多様なデータの統合、C内戦の近隣地域への影響の分析等が必要となろう。

Thinking Critically About Geopolitics
Gerard Toal (Virginia Tech, National Capital Region)


 まずジオポリティクスとは何か。ジオポリティクスは世界政治に関する言説(表象の一つの形態)である。そして言説とは、それによって諸文化が意味に満ちた世界を創造的に構成する表象的実践である。ではなぜジオポリティクスは人の心に訴えかけるのか。それはジオポリティクスが、世界情勢における権力と危険に関して人を動かさずにはおかない問題を扱い、単純な用語で大きな事象を説明し、予言的言説としての性質をもつからである。こうしてジオポリティクスは「何が存在するか」に関する「declarative言明的」言説から「何をすべきか」に関する「imperative規範的」言説を構成していく。
 批判地政学は、こうしたジオポリティクスの「神話」を脱構築し、権力を分析する。言い換えれば、巷間に流布するジオポリティクスの作用を検討し、特定の「geopolitical tradition地政伝統」と言説を支える権力のネットワークを精査する。その方法として三つの「beyond超えて」を提起したい。
 最初は「政治的リアリズムを超える」ことである。政治的リアリズムは国際情勢に関する主流的考え方であり、伝統的なジオポリティクスは地理と権力関係を所与とみなす。冷戦期のジオポリティクスでも政治的リアリズムは国際情勢理解の中心に据えられていた。この立場の特徴は、@歴史・実証的基礎が乏しい、A言説でないと考える言説である、B方法論を神聖化するという点にある。こうした諸特徴に対して、ジオポリティクスを通して諸文化がいかにして意味を作り出すかが探求されなければならない。
 次に「wise men賢明な男を超える」ことである。ジオポリティクスは国家権力の中心にいる特権的エリートの国際情勢の定式化とみなされがちだが、それ以上の文化的意味を持つ。全ての国家はそのアイデンティティを構築し、世界情勢におけるその役割を解釈する文化を持つ。これは地政文化を呼びうるもので、地政文化は地政的な国家システムを基礎に、地政的想像力によって特徴付けられる。大衆地政学はそうした地政文化を研究対象としている。
 最後は「権力の不在を超える」ことである。権力を見ようとしないジオポリティクスの伝統を超える必要がある。特定の地政言説は権力のネットワークによって支えられているが、メディアやシンクタンクなどが特定の考えを流布するのを、背後で支持しているのは何かを考える必要がある。そうした権力のネットワークには政治的、イデオロギー的、経済的、軍事的なものが存在するが、これらがどのように統合され、作用しているのかを考える必要がある。こうした権力関係が存続のために特定の地政言説を必要としているのである。

〔質疑概要〕

オロッコリン報告に対して

問:内戦のデータ源は何か、内戦をどう定義するのか。

答:スウェーデンの調査機関であるオプソラ・センターの内戦データを用いている。一定の基準の下に内戦を分類している。ウガンダの例でもわかるように、内戦は国際紛争としての性格を持っている。そういう意味で定義は人為的であるが、センターによるデータの収集と分類は信頼性が高いので活用できる。

問:三つの質問がある。最初に、なぜ戦争に関する研究がそれほど少なかったのか、時間がかかるからか、どのような理由があるのか。第二に、グローバル化など国境を越える要因を考慮する必要はないのか。第三に、どうしても聞きたいことなのだが、回帰分析の結果がオーストラリアに適合性が高いというのはなぜなのか。

答:答えやすい三番目の質問からコメントする。それは半径の問題で、500kmで設定したのでオーストラリアが東南アジアに組み込まれている。したがって、非常に特殊な状況が働いた結果として生じている。半径を決定するのは非常に重大で技術的な問題である。二番目の質問は国家の内部と外部の関係についてあるが、経済学者と政治学者によって進められた世界銀行の1990年代の内戦の調査では国境が調査地域の境界として設定された。しかし、ウガンダの地図が示しているように、内戦に国境をまたぐ効果はあるので、その調査は基本的に地理を無視していたといえる。発表でも「地理」というカテゴリーに拡散という項目を加えているが、それはあまり注目されてこなかった。その点は地理学者が批判している根本的な問題である。上述の調査研究は非空間的、非地理的であった。結果的にそれは国境を越えたさまざまな結びつきを見損ねたのである。第一の質問については、なぜだかよくわからない。研究者の世界的分布を見れば北の先進国に集中している。そこではグローバル化が進み、紛争はなく平和で国境は消えていくといった議論がなされる。しかし、実際に世界の半分では国境をめぐる紛争が起こっている。そうした地域に住む人々はそれを研究する資源を持たない。そうしたことから研究がなされてこなかったのでないか。

トール報告に対して

問:ジオポリティクスの研究における対象としての言説ということだが、どのような方法論があるのか。またジポリティクスと政治地理学はどう違うのか。

答:言説分析が主となる。社会学的歴史学的な権力構造分析である。分析対象として、ストーリーライン、つまり政治的状況記述、特定のアクターの表象、キーメタファー、特定の記事が使用される。半形式化された方法で。特定の地政言説がどのように作用するか、意味のあるものとして語られているかを分析する。より基本的には分類化・特定化の過程を検討し、特定のアクターの間で自己と他者の世界をどのように区分しているかを見る。後半の質問に関して実用的なタームでいうと、政治地理学は地理学の学問分野、政治事象を地理的文脈から研究する。対してジオポリティクスは地理学といった学問分野の下位領域では必ずしもなく、一般的には社会的実践である。

問:三つの質問がある。まず表象の問題と関連して、支配的な表象に対する抵抗というものが批判地政学研究の中でどのように生きてくるのか。次に領域の概念があまり強調されていないと思われるが、ネットワークの問題、特にディアスポラと関係してどう扱われるのか。最後にジェンダーの問題について、ジオポリティクスにおけるジェンダー・ブラインドネス、男性優位性、マスキュリニティといった点を批判地政学ではどう捉えるのか。

答:最初の質問は複雑である。ジオポリティクス・リーダーのセクションにあるアンチ・ジオポリティクスは全て抵抗について扱っている。抵抗といっても、イラク戦争に見られるような帝国主義への抵抗といった進歩的なものだけでなく、ビンラーディンのようなイスラム原理主義も支配的な表象への抵抗の一形態として考えられる。また、ブッシュ大統領の世界観も、クリントンやゴアが提唱した「政治的に正しい」エリートたちのリベラルな国際主義に対する一つの抵抗として見ることもできる。
 領域の概念も非常に複雑な問題である。領域は国家が形成される過程に関わる問題である。国家が形成されてから国民形成や国家政府機関の組織化が(その領域内で)進行するが、そこでフーコーの「統治性」の問題が出てくる。管轄区域内で中央からの力が及んでくる。中央と地方の間では力の作用が行ったり来たりするが、現在の自分の研究では、ボスニアにおいてそうした首都からローカルなレベルで波及するローカライズド・ジオポリティクスについて考察している。オロッコリン氏との共同研究である北コーカサス地域においても、チェチェンの問題はロシア国家における領域性の失敗の例であり、現在それを考察している。
 ネットワークとダイアスポラの問題は(発表で示した)チャートの中にない、地政的条件と関わる。地政的条件とは地政文化と地政的国家システムが存在するより大きなコンテクストを構成する。この条件は技術-領土複合体によって変化する。ITのネットワークによって国境を超えて情報を受信できるようになっており、特定の結合性がそうしたことを可能にしている。情報の速度という点で20世紀の初頭は電報が地政的条件ならびにジオポリティクスを特定の方向に変化させた。また技術‐領土複合体としての鉄道の発達は第一次世界大戦中に陸軍の動員を促進した。それらは今日また違った状態になっている。興味深いのはダイアスポラの役割である。資金や武器の流通やテロリストのネットワークは、ダイアスポラ同様、地理的な様相を示さない。したがって、それは政策立案者が概念化する上で課題となる。このようなケースで政策立案者がやるのは問題を領域的な一覧表に再登録しようとすることである。アル・カーイダの問題がアフガニスタンやイラクへの攻撃の問題にすりかわるのはそれである。
 ジェンダーの問題も複雑である。様々な重層的なアプローチがあるが、批判地政学におけるジェンダーの研究は一つにはマスキュリニティに向けられる。実践ジオポリティクスの中における様々なタイプのマスキュリニティの役割、指導者とそれが表象するマスキュリニティを考察する。ブッシュ大統領の例では、創出されたエージェンシーの役割、つまり構造の中にあっても個人のエージェンシーの役割として、反知性的な、西部カウボーイのようなテキサス人のマスキュリニティが強調されている。指導者が持つ他のマスキュリニティもある。ブッシュと反対の表象はアル・ゴアによって代表されている。ジョン・ケリーの場合は、戦争の英雄ではあるけれども、女性的で、フランス的で、テロリズムに対してはソフトという風に見られている。対してブッシュはハートランドマスキュリニティを代表している。こうした分析がジェンダーとジオポリティクスを研究する一つのやり方である。地政言説も特定のパーソナリティによって形成されている側面がある。社会科学の知見として、若い男性とマスキュリニティ・暴力の行使との間に強い関係があることが知られている。現在行っている研究のように、紛争に関わるジオポリティクスには男性(男性の特定のサブグループ)の役割を考えることが重要である。ジェンダーを安定化させようという行為が景観に反映されるケースもある。

問:なぜ最後のスライドがBeyond absence of powerでBeyond powerではないのか。

答:これは私のミスで、英語としてもぎこちない。古典的・伝統的・正統的な地政学の理解は、権力の問題を地政言説自体と関係付けて提示していない。マッキンダーは世界の権力の座ということをいうが、どのように彼がそうした問題を語る権威になったか自省していない。例えばロイヤル・ジオグラフィカル・ソサイアティが提供する地理的知識がどのように生産されたか、知識が権力の一形態であることが、従来の地政学では考慮されていない。伝統としての政治的リアリズムは国際政治を権力闘争として描いてきたが、地政学者らは国家の内部にある権力を分析してこなかった。彼らは国家を統一性のあるアクターとして扱ってきた。したがって、自分のアプローチはこうした権力の不在を超えて、再び権力の問題を導入し、再度可視的にしていくことである。

問:このスライドの表題は抵抗する人々のことで、権力を持つ人々のことではないと考えてよいか。

答:そう考えることもできる。

問:チャートの図は下の部分が国家から始まっていたが、ジオポリティクスを考えていく上で国家から始めていくべきか、それとも様々なスケールから検討できるのか。

答:それはとてもよい質問である。地政学的研究が必ずしも国家から始まるべきとは思わない。それは特定の問題から始まるべきである。内戦などで国家が存在しない場合などがそれに相当する。現在概念化しているのはローカライズド・ジオポリティクスで、どのように国家形成、この場合は国家形成過程としてのエスニック・クレンジングであるが、それがローカルなスケールで展開しているかを検討している。したがって、国家からはじめる必要はない。

問:特定のスケールからはじめる必要はないということであれば、権力やイデオロギーという問題を考える場合にトップダウンというわけにいかなくなる。先ほど国家機関の話があり、フーコーへの言及もあったが、後期のフーコーの研究ではイデオロギーの作用というのは国家機関と関わるとは必ずしも考えられていない。こうした晩年のフーコーの研究はジオポリティクスの研究の中でどのように位置づけることができるのか。

答:これもすばらしい質問だ。自分が理解している限り、フーコーは権力のネットワーク概念を持っていた。権力は分配される。自分が研究しているような権力がローカライズしたケースがある。個人化した意味での権力というのは保持できない。自分の研究する地方でも特定のグループが権力を蓄積して、個人化したやり方で行使しているが、その権力はもっと大きな権力ネットワークにつながっている。そしてクライエント・パトロン関係が形成されている。究極的には、そうした権力が特定の地方において物理的力に転化されていく。それが犯罪や武器売買といった各種のネットワークにつながり、政治的パトロネイジの構造を構成している。国際機関の関与や、その統治性に対するローカルな抵抗もあって、その関係は国家と地方の関係よりもはるかに複雑で、そこには錯綜した権力の場が形成されている。したがって、フーコーの晩年の研究によって、我々は拡散した、中央国家との結びつきを必ずしももたない権力の概念をもつことができる。それはボスニアやパレスチナといった中央国家のない紛争地域で、地方が国家形成をめざそうとするようなケースを考えるときに役立つだろう。

〔総合討論〕

問:日本の古典地政学の場合、戦後に関わった研究者のポジショナリティが問われたが、報告者はその点についてどのように考えているのか。9/11以降というタイトルがついているが、報告者はどういう立場から今日の地政学的研究をしているのか、あるいはするべきだと考えているのか。

トール:これも優れた質問である。この質問はdivine methodologyの問題と関係する。ポスト構造主義やフェミニズム、そして現代の社会理論から導出される方法論をとる場合、研究者が特定の文化的な力に影響を受けていることを批判的に理解し、それを自省することが求められる。これについて二つのコメントを加えることができる。最初に、例えば日本の地政学を考える場合、自分はそれが展開したコンテクストに対し、全く無知であることを認めねばならない。また、アングロアメリカそして英語というコンテクストで展開した批判地政学を、日本という異なったコンテクストで活用することもできるが、それをまた自由に批判することもできる。次に、どのように批判地政学が現代という時代に介入できるかという問題があり、ジオポリティクス・リーダーは全体を通してこの介入を試みている。それは何が(テクスト)として存在しているかを示し、一連の議論をたてようとしている。これらの議論は読み手にポジションを取ることを要求している。イラク戦争、対テロ戦争、対テロ戦争への批判へのポジションを問うている。こうした行為は手を汚すことを免れない。かつて批判地政学はジオポリティクスに陥らない可能性があると考えていたが、今はそれも一つのジオポリティクスであると考えている。

オロッコリン:特にコメントはない。自分のポジションというのは、批判地政学とは異なった地理学の伝統に関わっており、アメリカではマイナーな分野である地理学の問題を、学問分野として支配的な政治学や経済学に対して示すかということにあった。特にこの質問に対して答えるとしたら、自分はポリティクスからは可能な限り距離を置いてきた。政治地理学者でありながら投票したことがない。米国に移住したときの年齢の関係から母国アイルランドでも米国でも投票したことがない。しかし、最近米国で起こっている問題として、対テロ戦争の文脈で多くの研究者がポリティクスに関わるようになっている。自分の懸念は、地理学において(研究の)秘匿ということが広がっていることにある。かつては広く共有された研究が共有されなくなってきている。地理学を国策の延長線上に再統合するという試み、GIS関係の研究を通して国家のニーズに奉仕するような傾向が強くなっており、私はそれに対して批判的である。ウサマ・ビンラーディンの捜索に関する論文がプロフェッショナル・ジオグラファー誌に掲載され、執筆者はその論文のデータや方法論は秘匿され共有されない、共有する者はテロリストを助けることになると主張した。それに対して、私はそうした論文は科学的雑誌にアクセスできないと反論したのだが、ひどいコメントを返された。自分の関心は政治地理学の中の学術的な論争にそれほどない。もっと大きな関心は、学者に対してかけられている特定の方向に同調せよというプレッシャーと、過去五年間アメリカで起こってきたプレッシャーに対して抵抗する小さな声との間の論争にある。

〔まとめ〕

 「地政学」をキーワードに、国際的にも異なったアプローチを代表する研究者による報告であった。しかし、地理思想分野における昨今の批判社会理論への傾倒からか、実証主義的な認識論やアプローチに対する質疑が乏しく、同一の認識論内での概念の再確認のような議論が目立ったことは若干残念であった。内戦や戦争という政治事象に対してどのように多面的に接近するかは、今日の社会科学が抱える一つの課題と考えられる。ローカルに固定された分析スケールや自己の認識論を相対化しつつ、地理学の利点を活かすようなアプローチが日本でも模索されていくことを期待したい。尚、関連論文として山崎孝史(2006)「地理学のポリティクスと政治地理学」人文地理58-4を参照されたい。

(出席者:37名、司会:森正人、通訳・記録:山崎孝史)