◆第83回地理思想研究部会(人文地理学会大会部会アワー)
2005年11月12日(土)九州大学六本松地区

認識論と地理学のポリティクス―英語圏政治地理学をめぐる4つの「事件」
山ア孝史(大阪市立大学)


 本発表では、ディシプリンにおける、特定の哲学的立場の確立や伸張、ないし集合的利害の確保や増進を目指す意図された行為をディシプリンの「ポリティクス」と呼ぶ。こうした動態的なポリティクスを把握し、理解することはディシプリンが何を求め、誰の為に奉仕しようとしているのかを明らかにする上で極めて重要である。特に筆者が見聞した英語圏の政治地理学をめぐる4つの「事件」について検討することで、地理学のポリティクス、つまり地理学が内包する認識論的対立と外的に条件づけられるディシプリンのベクトルといった問題について考えてみたい。
 第一の「事件」は、英語圏の政治地理学が1980年代から復興・発展する中で、「新しい地政学」をめぐる実証主義派と批判社会理論派との間の認識論的論争である。O'LoughlinとO'Tuathailは師弟関係にありながら、研究者がどこまで政治的たりうるかについて激しく対立するが、最終的には相互に研究を補完する関係に至る。第二の「事件」は、第一の「事件」の派生形態であるが、ポストモダン地理学とその主唱者(ValentineやDear)に対する批判が、個人の人格否定へと逸脱したケースである。このケースではアカデミーの持つ批判と懐疑という「文化」の問題性が露呈され、学問上の対立を開かれた議論として展開する必要性が示唆される。第三の「事件」は反イスラエルの立場に立つPolitical Geography誌の編集者がイスラエル人研究者の投稿をボイコットした事例である。ここでは研究者個人のポリティクスが学術雑誌の公平性を侵害し、新たな差別を惹起する可能性が示される。研究者が自己の政治的信条に忠実であろうとするほど、そのポジショナリティの多様性との間に齟齬をきたす場合がある。第四の「事件」は、911以後の米国において地理学の役割が再定義される中で、米軍への地理的情報の提供とそうした情報の秘匿・公表をめぐって、やはりO'Loughlinから提起された問題である。対テロ戦争の文脈において、地理学の国家的貢献、研究者の愛国主義、そして学問の厳密性という三者の微妙な関係が浮き彫りにされる。
 過去約30年の間に、地理学は英語圏を中心として様々な認識論を生み出し、研究という営為を「政治化」してきた。その結果、様々な認識論的摩擦を生み出し、研究上の「他者」を排除するような言動も散見されるようになった。また、世界が新たな紛争の時代に入ることで、地理学の社会的・国家的役割も問い直されつつある。こうした「政治化」の潮流の中では、特定のポリティクスに翻弄されることなく、ディシプリンとしての地理学の行方を省察し議論できる場を確保しておく必要があろう。

〔質疑〕
 今回の発表テーマは、現在の社会的コンテクストにおける地理学の意味を考える上で興味深いものであった。質疑ではまず発表内容に関する基礎的な情報が確認 された。次いで司会によるコメントでは、日本地理学会の「世界認識に関する調査」のような 「地理学の危機」への対応が政治的な要素を含むことなどが挙げられた。発表者は、国家の立地だけでなく、それをいかに教えるかを研究のアジェンダとして議論すべきとの考えを示した。
 フロアからはさらに、政治的ポジションの相違による学会誌の編集をめぐる論争などが言及された。異なった政治的立場によって対立が生じるような場合でも、政治について正当に語る場が確保され得るのかとの問いに対しては、対立をメタレベルで捉える視点が重要であること、欧米のように学会誌上でディベートする工夫が日本でも必要であることが主張された。
 地理学とは何かとの根源的な問題を開かれた場で議論する必要性、その1つの場としての本部会の意義を確認し、閉会した。
 なお発表用論文は http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/~yamataka/bukai_hour.pdf よりダウンロード可能である。
(参加者:39名,司会・記録:山口 覚)