発表内容

 1980年代中頃以降、マルクス主義地理学者デイヴィド・ハーヴェイ(David Harvey)による資本主義の空間編成理論は、階級関係のみに焦点を合わせほかの有意な社会的差異を排除し、現実の歴史地理を捉え損ねている批判されてきた。しかし、彼の理論化の実践は、理論的普遍性と歴史地理的個別性の弁証法として理解されうる。彼はみずからの実践を「具体的抽象化」とよび、抽象的理論と具体的な歴史地理との間のたえざる往還を含むものであると考えている。歴史地理的素材から抽象化の過程をつうじて構築される「理論の統一性」とともに、「歴史地理的素材による理論の不断の改訂」も重要なのである。彼にとって理論とは、現実のさまざまな歴史地理の基底にある「意義深い諸関係」を捉えるための概念装置であり、その諸関係を捉える限りで経験的研究においても有用なものとされる。
 こうした普遍性と個別性の弁証法は、彼の1990年代以降の正義・権利論にもみいだされる。ハーヴェイは一方で、ポストモダンな主張を受け入れ、この世界に無限に差異や他者が存在することを認めるが、他方でメタ理論的枠組みをもって、さまざまな差異や他者性のあいだの「労働者階級」としての類似性から普遍的な正義・権利概念を打ち立てる必要性を主張する。彼の理論的実践がこうした弁証法的構成をとるのは、資本主義的システムそのものが労働の抽象・普遍性と具体・個別性を結びつける様々な媒介制度を備えているからである。
 近年の英語圏人文地理学においては、メタ理論に対する懐疑がひろまっているが、抽象化には必然的に「暴力が付随する」にしても、それがポジティヴな人間能力でもあることが忘れられるべきではなく、ハーヴェイのようなメタ理論化の試みが全否定されるべきではない。

[質疑]
 ハーヴェイという現代地理学を代表する理論家の業績を、その批判に対する応答という形で整理する発表であり、多くの出席者を得た。まず、コメンテーターの堤研二氏から、ハーヴェイには分裂化する空間的ファクションをどう同盟化するかという問題意識があるが、分断を同盟へと結び付ける方途には何があるか。マクロな問題に対して、ミクロな主体的位置の問題があるが、様々な主体のポジショナリティを彼はどう捉えているのか。彼の理論はグランドセオリーよりも、むしろ中範囲理論という側面がないか。現在のグローバル化による列強の同盟といった現象はどう捉えられているのか。彼は「転向した」といわれているが、理論的に見てはたして転向といえるのか、といった論点が提示された。発表者からは、『ポストモダニティの条件』では「場所」に固執する反動的な動向から、「空間の分裂化」が強調されていた。そうした議論に対してマッシーは「進歩的な場所感覚」を指摘することによって批判した。1990年代以降のハーヴェイは「空間の統合」と並行する「空間の分裂化」を踏まえた上で、それをどう克服するかに焦点を合わせている。『希望の空間』では資本主義的な列強諸国の同盟に注目している。ハ−ヴェイは列強主導で定義された世界人権宣言に対し、それを改訂した形で権利の諸原理を定式化し、普遍的権利と人々の個別的な諸情況を媒介する諸制度こそ、戦いとられるべき対象としている、との回答がなされた。これを受けて、フロアーとの間で以下のような質疑応答がなされた。
 問:ハーヴェイは地域的差異をどう捉えているのか。答:彼は「内的関係」という概念を用い空間と時間は客体と内的に関係しているものと考えている。同様に地域的差異とは資本主義と内的に関係するものとして捉えている。
 問:『資本の限界』がなぜ転機となる重要著作なのか。答:同書は歴史地理的素材を意図的に除いた純理論的な著作であったが、その後に具体的な歴史地理的研究が行われるようになったからである。
 問:ハーヴェイの思想には西洋的な二元論を通しての社会動態の理解があるが、1990年代以降ポストモダニズムへの応答の中で、普遍性と個別性を中和するような三元論的な立場に移行したのか。答:ハーヴェイの立場は基本的に変わっていない。
 問:永続体概念の導入は理論的変化なのか、それとも理論の展開のために援用したのか。答:永続体を建造環境という概念を持ち込むことで具体化しており、過程と永続性の弁証法として彼の実践の中心に常にある。
 公募発表でもあり、おおむね聴衆の関心は高かったが、発表者自身の見解の表明が少なく、抽象的議論ゆえに質疑応答がややかみ合わない印象を受けた。発表者によるハーヴェイ論のさらなる洗練を期待したい。
 (参加者:43名 司会・記録:山崎孝史)