発表内容

環境問題研究における地域論的分析視角:国内事例研究並びに日韓の環境運動比較から
淺野敏久(広島大学)


 地域開発がらみの環境問題を調べたり,日々の報道を通じて断片的な情報を見聞きしたりする中で,どうして同じようなことが各地で問題になるのか,逆に,どうして同じようなことでも場所が違うと「問題」は違うのか,が気になっている。この素朴な疑問は誰でも気づくことであろうが,問題を理解しようとする場合や解決を模索する場合,重要な意味をもつ。同じような問題が起こることに関しては,個々の事情を超えた構造的な問題があると示唆されるし,場所が違えば「問題」が異なるということは,構造的な問題が解決されても,現実の「問題」は必ずしも解決されないということでもある。環境問題研究においては,個別性を排した一般理論を求めるのではなく,個別性の存在を前提にした一般理論化を志向する必要があるのではないかと思うのである。
 本報告では,事例研究をもとに,社会学の加害・被害構造論や受益圏・受苦圏論等とは異なる視点から問題を理解できないかという検討を含め,事例から浮き上がる空間的・地域的な問題点を示し,そこに焦点をあてる研究の可能性を述べようと目論んだ。報告時間の大半を事例紹介に割いてしまい,目論んだ議論を十分に展開できなかったが,2つの主張を試みた。ひとつは,加害-被害関係としてより,空間の意味をめぐる争いとして問題を把握する方が望ましいことがあることであり,もうひとつは,環境運動の地域差に焦点をあてて,そこから運動の性格分析や課題を検討できるということである。
 報告した事例は,霞ヶ浦,中海・宍道湖,諫早湾,韓国セマングムである。各地の開発や環境運動の概要は省略するが,韓国セマングムについてのみ,簡単な紹介をしておく。
 セマングムは韓国西南海岸(全羅北道)で進められている干拓事業計画地の名称である。33kmという世界最長の干拓堤防で仕切られた4万haという大規模開発は,自然環境のみならず地域の社会・経済に大きな影響を及ぼす。これへの反対運動は全国的な激しい運動で,環境団体,各種社会団体,宗教団体等が連携して進めている。これに対し全羅北道の行政,産業界,住民も大きなまとまりになって事業推進運動を進めている。この問題は核廃棄物処理場誘致問題ともからみ韓国の大きな政治問題のひとつになっている。
 事例紹介に続き,上記2つの視点について具体例に基づき論じた。前者に関しては,例えば,諫早干拓事業地が,堤防の内と外とで,かたや防災と雇用という文脈で,かたや有明海の豊かさを支えてきた場所(今は病巣)という文脈で論じられており,事業を強引に進めたことがそもそも悪いのであるが,現時点ではそれを正せばよいという問題でもなくなっている。沿岸住民誰もが被害者のような状況の中で地域間の断絶が生じている。また,事業地や海をめぐる利害関係は複雑で受益・受苦関係では問題を簡潔に整理できない。干拓事業地をどのような場所とみるのか,そこにどのような意味を与えるのかがまさに問われている。こうした理解は中海や霞ヶ浦の環境問題の理解に際しても有効である。
 後者の地域差への注目に関しては,なぜ日本の環境運動の裾野は広がらないのかという問題意識とからめ,韓国の運動との比較から日本の運動の特徴を考えた。分析した結果ではなく印象レベルの考察であるが,日本の運動では,科学主義が浸透しすぎていること,運動が専門家化し分節化してしまっていること,そのため組織間の連携の弱さや,一般市民との距離が生じてしまっていること等が懸念されると述べた。このような運動の特徴把握のみならず,運動の地域間比較を通じていろいろな示唆が得られるであろう。


環境正義運動:米国の事例
石山徳子(日本女子大・非)


 本発表は1980年代から米国で盛んな環境正義運動に注目する。初期の研究の多くは迷惑施設がマイノリティコミュニティに集中している、不公平な分布状態を告発するといった比較的表面的な分析が目立っていた。しかし、最近では不公正な地理空間構築の背後にある政治経済構造や植民地主義の歴史などの問題に踏み込んだ議論も盛んになりつつある。環境正義運動の歴史を踏まえた上で、より革新的な思想を基盤にした研究の必要性を指摘したい。
 はじめに、米国における環境正義運動の歴史を、伝統的な環境運動と比較しながら説明する。米国環境保護運動の思想の根本にあるのは、米国文化における伝統的な「自然観」である。ロマン主義的思想に大きな影響を受けた超絶主義の文学者たちに啓発されて、1830年代から1840年代にかけて発展した自然観は、米国文化のアイデンティティと自然との密接な関係を示した。このような思想的な流れを受けた環境保護運動は、主に上・中流階級の男性の間で発展してきた。恵まれた環境にある白人男性たちによる自然環境保護運動で盲点になってきたのが、いわゆる生活環境だった。そして人種や階級によって、そうした生活環境に差異が生じることに注目し、環境問題を構造的な差別問題として観察する問題意識も欠落していた。
 さて、伝統的環境保護運動とは思想や担い手を異にして発展してきたのが、環境正義運動である。これは、環境保護と社会正義の理念を統合し、社会的弱者といえる貧困層やマイノリティの生活環境の改善や、環境政策意思決定への参加に焦点をあてた社会運動だ。活動家や研究者たちによる現状告発を受けて、ビル・クリントン大統領は1994年、行政命令12898号を発令し、マイノリティや経済的貧困層が直面する環境や健康問題に関して、行政諸機関が環境正義政策をとるように促した。米国における環境運動の方向転換ともいえよう。
 環境正義運動の発展に、草の根で活動する運動家と協力しながら、実態調査を地道におこなった研究者の仕事は極めて重要な役割を果たした。しかしこれからは、意図的な人種差別の告発や不平等な分布のマッピングではない、より踏み込んだ議論を進めない限り、根本的な問題解決への道を探ることはできない。
 最後に、事例研究を通して、既存の環境正義理論に欠けている視点を明らかにし、これからの研究の方向性を示す。事例は、ユタ州トゥエラ郡スカルバレイゴシュートインディアン部族による高レベル放射性廃棄物一時投棄施設の誘致問題である。貧困問題を抱えるインディアン部族自らが、核廃棄物の受け入れコミュニティとして名乗りをあげた事例で、既存の理論的枠組みでは説明が不可能である。この事例研究の紹介を通して、次の四点を指摘した。
1) 先行研究の多くに見られる意図的な行為としての人種差別理論は、構造的な問題を抱える環境正義問題の複雑性を見えにくくしている。
2) これまでの研究で支配的であった分配型正義理論にかわり、過程型正義理論を発展させていく必要がある。つまり最終的な分布図の作成ではなく、それに至るまでの社会・地理的なプロセスを検討する。
3) 環境正義問題に関する理論的な分析を行う場合、エスニックアイデンティティのポリティックスの注目する必要がある。
4) 環境正義の問題の背後にある、資本主義政治経済の構造的な側面と空間構築の関連性を見据える必要がある。


抵抗の場としての「自然」:「社会的自然」研究の視点から
中島弘二(金沢大学)


 N. Smithの「自然の生産」論に代表される英語圏の地理学研究における「自然と社会」に関する研究は1980年代以降、環境史研究やメディア研究、社会学などとも交差しながら展開されてきたが、近年はカルチュラル・スタディーズやポスト・コロニアリズム批判、ポリティカル・エコロジー研究、環境正義研究などとも重なりながら広範な議論を展開している。本発表では自然の社会的性格に焦点を当てたこれら一連の研究をCastree and Braun(2001)にならい「社会的自然social nature」研究と呼んで、この新しい潮流の要点を整理するとともに、その成果を手がかりにしながら、大分県日出生台の反戦・平和運動における自然と社会との関わりを、国家による自然の領有に対抗するオルタナティブな「社会的自然」の構築過程として位置づけることを試みた。
 近年の「社会的自然」研究の要点を整理すると、大きくは以下の3点に集約される。1)自然は社会的過程を通じて物質的・意味論的につくられるものであり、この構築の過程以前にはいかなる「自然」も存在しないという「自然の社会的構成」。2)自然の社会的な構築は決して「自然に」おこなわれるものではなく、政治-経済的諸関係や社会的アイデンティティ、文化的支配の焦点としておこなわれるのであるという「自然の政治学」。そして、3)自然は、人間以外の事物を含む多様なアクターによって構成されるネットワークの中で、自然と人工、野生と飼育、保護と開発が入り混じったものとして構築されるという「ハイブリッドな自然」。「社会的自然」研究における以上のような自然理解は、既存の支配的な政治経済システムと結びついた技術主義的・道具主義的な自然認識をラディカルに問い直すと同時に、超歴史的・本質主義的な「自然回帰」思想を批判的に脱構築する手がかりを提供してくれると考えられる。そこで後半では、このような「社会的自然」の考え方を手がかりにして、日出生台の反戦・平和運動における「自然」の位置づけについて検討を試みた。
 大分県の日出生台は20世紀初頭に旧陸軍演習場が設置されて以来、戦後の米軍・国連軍による接収と1958年の陸上自衛隊への移管を経て、現在に至るまで一貫して軍事演習場として利用されてきた。しかし一方で日出生台の原野は近代以前から入会放牧・採草地として地元の農民に利用されており、現在でも隣接する集落の入会地として畜産農家によって利用されている。国家や自治体、地元選出の国会議員らによって構成される被害補償の政治-経済システムのもとで、日出生台の自然はもっぱら軍事演習にともなう環境破壊とそれに起因する各種の被害に対する補償事業の資源として位置づけられてきた。これに対し近年の草の根反戦・平和運動においては、1)放牧・採草を通じた畜産的利用へのこだわり、2)地元以外の人々へも開かれた共通の資源と
しての自然の表象、3)自然公園や水場の建設を通じた新たな社会的自然の生産、などの試みを通じて、被害補償の政治-経済システムとは異なる様式において自然を「再領有」しようとする試みが住民グループによって展開されてきた。軍事演習場に反対し地域の安全を守ることとローカルな「自然」とそれに根ざした地域の生活を守ることを一体的なものととらえる日出生台の草の根の運動においては、平和運動と環境運動が半ば一体的なものとして展開されている。そこでは守るべき対象としての「自然」を効果的に構築し、それを地域住民のみならず都市在住者や他地域の市民との共通の資源としていくことが草の根の運動を進める上で重要な戦略の一つとなっているのである。
 このように日出生台をめぐる近年の草の根反戦・平和運動においては「社会的自然」の構築が運動の重要な争点となっており、それは国家による支配的な自然の領有に対する重要な抵抗の場を構成していると考えられる。


討議内容

 三名の発表者による発表のあと質疑応答に入った。以下はその要約であるが、発言の忠実な採録ではないことをあらかじめお断りしておく。尚、要約はすべて司会者の文責によるものである。

司会(山ア):本日の発表は人文地理学系の研究者が考える環境問題のとらえ方であるが、自然地理学系ではもっと科学主義的なとらえ方をするであろう。人文系と自然系での問題のとらえ方の違いという点で質問・意見をいただけないか。

フロア:昨年の日本地理学会のシンポジウムでも提起された人文系と自然系とがどう交錯するかという問題があるが、個別事例からどう一般化するかという問題の位相も存在する。人文系・自然系の問題は一般論よりも各論から立ち上げたほうが良いと思うが、科学主義的志向性の強い自然系が構築主義的な人文系のアプローチを思考から排除してしまう傾向があるため、人文系のより広いコンテクストでの問題のとらえ方を人文系から一つのメッセージとして自然系へ投げかけるようなやり方が良いのではないか。それが人文系と自然系との対話の契機にもなりうる。一般化と個別事例という問題では、環境問題の場合、個別の具体的事例を見ていくことの必要性・面白さがあるが、個別地域の個別研究になってしまう傾向があり、一般理論の適用ではなく、対象の違いからどう一般化させるかということを、複数の個別研究が行われる場では意識的にやってはどうかと思う。

淺野:人文と自然という問題では、自然地理学者が環境問題を評論家的に語る社会学的研究を、環境運動を後退させるとして厳しく批判したケースがある。この例では、批判者にとって何が正しいのかははっきりしている。本日の集会はむしろ何が正しいのかがテーマとなっている。私はこの両者をつなぐことは可能だと考えている。例えば,有明海側からみた諫干事業地の位置づけのように,具体的な問題において,いかなる自然観が対立する立場の基礎になっているのかについて,運動に関わっている自然系の研究者は視野に入れていない。こうした部分ですり合わせていくことは可能であるし、対立すると思わない。一般化については、個別の場所の違いや現象による違いを超えたところに一般性を求めてしまうのではないか。個々の事情は捨象できないので、個々の違いを取り込んだ理論を作らなければいけない。

石山:私はjusticeをどう翻訳するかで悩んだ。とてもアメリカ的な概念で、色々な人が異なった定義をしており、どの地域から見るかでも意味が変わる。私の場合、小さな居留地の事例から何を一般化して言いたいのかと問われることがあるが、色々な地理的なスケールから問題を見ていくことができないかと考えている。つまり、いかに個別的な事例であっても、そこから植民地主義やレイシズムといった構造的な問題が見えてくる。米国でも環境問題を扱う場合、人文地理学と自然地理学それぞれのポリティクスがあり、あまり対話できていない。互いに対話していかないといけないと思う。

司会:中島さんはより構築主義的な立場をとられているが。

中島:自分はむしろプラグマティックだと考えている。自然地理と人文地理との関係から言えば、自分は自然地理の人が全てだめだといっているわけではない。自然地理学者でも科学者然とせず環境問題に関わっている人から学ぶことは多い。何が誰にとって正しいのかを問題とすべき。私は、環境問題を解釈する上ではどこかで決断しなければならないと考えており、その上でできるだけ色々な立場の人を見て、ほとんど考慮されないような人たちの声を拾うことによって、力をもって進められている環境政策の問題を明らかにしていく必要があると考えている。その時に自然地理学の知見を有効に活用することができれば、した方が良い。ただ、上高地の自然保護運動の事例のように、自然地理学者による科学主義的な自然破壊の規定や自然の摂理理解から環境保護を定義するのであれば、それは科学者のための自然保護に過ぎない。そういう意味で、われわれが価値判断を要求される場面は必ず出てきて、そこで科学者というポジションに逃げ込むことはできないと思う。淺野さんが日韓での環境運動の違いに言及されたが、グローバルな広がりを持つ韓国の運動に共感を覚える。日本の運動が個別の問題に終始する傾向があり、運動をどう広げるのかという展望がもてない。専門分化してしまって誰のどういう目的のためなのかが不明確に終わってしまう。これはどう個別的な問題を一般化するかという問題につながっていくのだと思う。

フロア:上高地の事例では自然地理学者がそこまで極端な主張をしていたのだろうか。

中島:個別的な話ではなく、あの論理をつきつめていくとそうなってしまう。そうはならない別の論理を組み立てねばならない。

フロア:自然地理学者は現地に足を運んで、境界をはじめから設定するのではなく、「これはやばい」と思うものから手をつけている。そういう研究を積み上げていくことで、どこで折り合いをつけるか模索している。

中島:その自然地理学者の論文ではそういう折り合いをつけていないように思った。

淺野:問題になっているところではあまり人が住んでいない。同じような現象でもどこで起きるかによって問題が違いうる。

中島:例えば南極の手付かずの自然というイメージを科学者が作る一方で、各国が資源開発を進めているといった矛盾した状況を踏まえて科学的研究を進めていくのであれば良いが、人がいなければ科学者は何をしても良いということにはならない。ただし、人の有無で問題が違ってくるのは当然である。

フロア:自然に対する見方について、生態学なりの研究者が自然の動きとともに保全すべきという考え方を提示したのは比較的新しい。その考えに依拠して運動をやる人たちが出てきた。その運動は公共事業や政府へのアンチ・テーゼという意味もあったが、現場に暮らす人たちも自然を改変してきたので、関係者間でコンフリクトを起こす可能性がある。価値判断の問題も関わってくるので、そこは事例に即して考えていく必要がある。

フロア:研究と実践、特に政治的アピールを行うことについて質問したい。環境問題に関する批判的な書物を読んでいると、その書物が優れたものであるほど、権力の重層性に気づかされて、暗い気持ちになってしまう。今回の発表もきめ細かく分析されていたのだが、一方で暗い気持ちになった。これからの運動を盛り上げるためにどういった方向性があるのか。研究者としてどう関わっていったら良いのか。

淺野:一つは記述していくということがある。日本の環境運動は非常に小さく、こぢんまりとしてそこから発展していかない。裾野が広がれば制度的なものやもっと根本的なところへの発言力が高まる。一般的に、運動に関わるということへの誤解や無理解があり、そこに距離をとるような態度が根強くある。それを打破するには反対運動に関して、なぜ反対しているのかどんどん記述していくことが絶対必要である。そうしないと運動している人々が特別視され、運動が官僚化し、根源的な部分に迫っていかない。運動を相対化することになるのかもしれないが、記述することが一つの方法である。しかし、これでは自分が逃げているような気がする。実際には大したことはできないが、どうやって新しい環境の見方を作っていけるのか、仲間との作業の中で模索していきたい。

石山:研究と実践に関してはいつもジレンマがある。アメリカの事例研究をやっているので向こうで発表するとポジティブな反応がある一方で、非アメリカ人が何を言うのか、アジア人の女性がなぜこんなことをやるのかといった反応があり、環境正義運動家からも目の敵にされたこともある。自分の場合は、徹底的な実証研究、細かく複雑なことを掘り起こすことが自分の仕事だと正当化している。運動の中での自分のあり方というのはいつも「はてな」マークである。

中島:聞き手を暗くさせて申し訳なく思う。後半部で運動を盛り上げようと思ったがうまくいかなかった。運動への関わり方はフィールドによって違ってくると思う。石山さんのようなマージナルな立場からマージナルな場所への関わり方やうまくいっているところへの関わり方もあり、関わり方を一般化するのには無理がある。現在日出生台に関わっていて、自分としては三つほどのスタンスがある。最初は、研究者として理論を構築していきたいということ。「民衆の安全保障」という概念が脆弱で、最近の保守的なナショナリズムに対抗し切れていない。より有効な理論を構築することで問題にコミットしていきたい。二つ目は、運動の一員として関わることが楽しい。ピースキャンドルなどへの参加を通して自分たちのメッセージを発揮し続けることに意義を見出している。三つ目は、一番難しいことであるが、研究で得たものを運動の中で使える戦略として提供していくということ。社会的自然という概念をより主題化し、自然の問題をアピールしていくことによって、多くの人が日出生台に関心を持ち、安全保障がどのように限られた地域の犠牲の上に成り立っているのか、多くの人に伝えることができるのではないかと考えている。理論を運動の中で現実的に活かしていくスタンスである。以上の三つをやっていこうと思っているが、うまくいっているかはわからない。

フロア:60年代の全共闘運動には学生たちの横のつながりがあったようでうらやましく思う。なぜこのようなことができなくなってしまったのか。個別の問題にとどまり、大きな枠組みでやろうとしても、それが相対化されてしまうことに閉塞感を持つ。構築性を逆手にとって、うそでもいいから希望の出るようなものをつくっても良いのでは。加えて、運動の技術的な問題について、インターネットやビデオ・カメラの活用など、何を媒介にして運動をつなげていけばよいのか聞いてみたい。

司会:環境問題を記述する、あるいは運動をポジティブに支援していく上での、地理としてのテクニックにはどのようなものが考えられるか。

淺野:地図の活用が考えられる。人々が異なった空間像・自然観を持っているので、それを見える形にするには地図を用いることができる。ただし、それで終わりではなく、地図を出発点として議論を始めることが必要である。また、地理は個別性を主張してきたが、その個別性というカラーを出していくには、地理の中にとどまらないほうが良い。

石山:私も地理の中でまとまらないほうが良いと思う。環境正義運動の研究は学際的な交流がもっと必要とされる分野である。テクニックという点では、GISを政治的に使って廃棄物施設を追い出したニューヨーク・シティの草の根運動の例がある。私のように人文地理学をやっている人間には地域性や場所の歴史的・文化的背景を調査するアプローチがあるので、地理の中でもいろいろな分野の人々との対話も必要である。

中島:自分には特技がないので、運動の現場にいって「こういうことができますよ」とはいえない。しかし、別にそれを言わなくても良いと思う。地理学者として何かの特技を売り物にして関わっているのではない。解決したいと思う一つの問題に対して共感を抱いて一緒にこの問題を解決していこうとしている。その時に自分が地理学者か社会学者かということは、問題に対する関心そのものとはあまり関係がない。ただ、ものの見方として自然の社会的構築という点から進めることによって運動がよりやりやすくなるのではないかというサジェスチョンはできると思う。しかし、それは私がしなくても彼らだって考えつくような話かもしれない。お互いにアイディアを出し合う中で「それはおもしろいからやってみようか」という話になれば、実際にやればよいし、「つまらんな」と言われれば別のアイディアを考えればよい。私が地理学の専門的立場に立つことが科学的知識としてのツールを提供することにつながる必要はない。地理学者であれ、誰であれ、そこに関わる人が一緒に考え、その一つの意見として地理的な視点からものを発言すればよい。

司会:その点自然系では科学的な地理的データの提供を通して運動に関わるべきだという意見が強い。最後にどうしても一言あれば伺いたい。

フロア:議論が盛り上がっているところで、壊すようで申し訳ないが、社会運動の個別性について、何で違うのかと調べる時、運動だけでは理解できないことがある。社会運動が発生する場所でも運動を起こさないという選択をする住民がいる。そのことをどう考えるのか。

淺野:私はどうやって環境運動に関わる人を増やせるかに関心を持っている。運動に関わらない人にどうやって理解してもらえるか、今はそういう対象として住民を見たいので、関わらない人たちを対象とする研究までは手に負えない。

石山:社会運動に関わるお金と時間がない先住民の人たちもいて、そういう人々の声も拾っていかねばならない。

中島:日出生台で運動に関わっている人たちはごく少数で、大多数は農家など地域社会の住民である。そういう人たちとの関係を全く絶ってしまうと、運動は浮き上がって解体してしまう。日出生台では運動に関わる人以外の人々とのつながりを危機感を持って作り出そうとしている。戦争をなくすことと村の活性化をつなぐような、地域の中の共通のテーマを私たちで発見していく必要性があり、それを提起できれば良いと思っている。まだ実現できていないが。

淺野:関心を持たない人に持ってもらうという課題の一方で、声なき声があるはずだということが運動を相対化してしまう。運動する人は少数派にすぎないとして、抗議を聞かないのを正当化することが実際にあるので、運動に関わらない人に理解してもらうのは重要ではあるけれど、そこにあまり焦点を当てると、声をあげている人や困っている人を少数派にする言説を作り上げることになると思う。

司会:これは社会運動研究のパラダイムを相対化するという難しい問いかけであるが、時間も尽きたので、本日の研究会を終了したい。

講評

 環境問題はその性格から自然系・人文系の地理学者が交錯しうる問題領域であるが、今回の研究会では世話人の準備不足から自然系の研究者の参加を促すことが出来なかった。しかしながら、討議でも指摘されているように、この両者の有機的交錯が図られるには以下の二点においてまだ若干の時間がかかるように思われる。一つには自然系の研究者が地理学的知見を客観的・科学的なツールとして運動の現場へ応用することを目指すのに対して、人文系は環境問題と運動をめぐるコンテクストを記述することを主眼とし地理学的知見の科学的応用を多少留保しているという点がある。とはいえ、環境問題の周知や運動への関与といった点で、両分野の地理学が対立するとは思えず、むしろ問題へのより総合的なアプローチを可能にするものと考えられる。
 次に、最初の点とかかわるが、人文系には科学的客観性や科学主義的立場に批判的であったり、「環境」や「問題」という概念そのものを構築主義的にとらえたりする研究者が存在するが、自然系の研究者にはそうした認識論や立場が十分に理解されていない点が上げられる。特に、構築主義的立場は、質疑でも再三触れられていたが、環境運動を相対化する側面があり、現場の活動家がそうした立場の研究者の関与を好ましく思わないケースも存在する。しかしながら、環境運動をはじめとする社会運動とは運動に参画する主体の連帯性や組織力といった社会的側面にも左右され、環境問題を科学的に特定・告発することのみで運動を維持・展開できるものではない。その意味で、科学主義に立脚した環境運動が大衆を動員するような力を持つ地理的・社会的条件を探る必要はあろう。今回の発表者も対象へのアプローチこそ違え、そうした観点から環境問題の周知と環境運動の構築に研究者として貢献しようという点で共通していると思われる。
 逆に、発表者間の差異として確認されたのは、討議のもう一つのテーマであった事例の個別性と一般化についての認識である。確かに欧米の社会運動研究には社会運動に関する一般理論の構築を目指すものがあるが、日本の地理学における環境問題研究にそうした志向性を持つ研究はほとんどなく、地域性を考慮した事例研究が中心である。したがって、会場でのコメントにあったように、現実はむしろ個別地域の個別研究に終始している嫌いがあり、そこには対象となる環境運動そのものが個別化したローカルな運動であることも関係していると考えられる。複数の発表者が主張したように、現在の日本の環境運動がローカルなものに留まっていることを問題視するのであれば、地域性を越えた問題の普遍性が強調されねばならないであろう。その場合、地理学者が環境運動の地域性に立脚した研究を、一般性を有する成果としてどのように洗練していくかが問われるであろう。その点では、浅野氏が主張する環境運動の地域性のみならず、石山氏が指摘したような環境問題を生起させる構造的要因に対する省察も不可欠であろう。そこには個別性と一般性という二項対立ではなく、個別性と一般性との関係性を地理的スケールの問題と関連付けて考えることが必要となる。
 研究と実践との関係においても、中島氏が言及したように、現場の運動との関わり方を一般化できるものではなく、発表者個々がそれぞれのフィールドで実践を模索していることが窺われた。今回の研究会においては、研究者の実践が規範的に語られるよりも、発表者個々の経験(という意味での実践)が開陳された。今後、地理学その他の分野において、環境問題への地理的アプローチをアピールしていく上では、運動としての当為が強調されるばかりでなく、研究者の現場での率直な苦悩が表現されることも必要ではなかろうか。
 日曜日開催にもかかわらず、関係者を含め40名の出席者を得たことは、環境問題が地理学における注目分野であることを如実に物語っていた。改めて発表者および出席者にお礼を申し述べたい。

(参加者40名:うち発表者3名、世話人6名、司会・記録:山崎孝史)