日本生命倫理学会第12回年次大会
ワークショップ3「人間を対象とした実験・研究」報告
(2000年11月3日、於旭川市大雪クリスタルホール)

人体実験論の必要性----歴史的観点から

                       

大阪市立大学文学部 土屋貴志

「人体実験」という言葉は、それ自体にしばしば《非人道的な、やってはならないこと》という否定的な意味合いを込めて使われています。しかしながら、この発表では「人体実験」という言葉を、こうした否定的な意味を必ずしも込めずに、もっぱら「人間を対象とする実験」という記述的な意味で用います。「人間を対象とする実験」は必ずしも「人体」に対するものだけではなく、人間の心理や意識に働きかける行動科学的実験も含まれますが、この発表では主に医学で行われる、人間の身体に働きかける実験のことを取り扱います。なお、このワークショップのタイトルになっている「人間を対象とする実験・研究」には、人体の組織の一部や、遺伝情報など人体に関する情報を扱う実験・研究(疫学研究など)も含まれます。

 さて、本発表の主旨は《日本の生命倫理学は、人体実験の問題を第一の研究課題とすべきだ》と主張することにあります。

 医学の進歩は、新しい効果的な治療法を開発することによってもたらされます。ですが、新しい治療法が効果的かどうかは、最終的には人間に試してみないと確かめられません。したがって、人体実験は医学研究にとって欠かすことのできない手続きです。しかしながら、医学の進歩という倫理的に望ましい結果をもたらすはずの人体実験は、人間を「実験台」として用いるという倫理的に望ましくない手続きを同時に含んでいます。人体実験の問題は、こうした医学の逆説的性格をあらわにし、医学の本質と倫理性について深く考えさせる、生命倫理学にとって格好の研究テーマです。

 しかし、「日本の」生命倫理学が人体実験の問題を「第一の」研究課題とすべきである理由は、単にこのように研究テーマとして優れているからということだけではありません。「日本の」生命倫理学であるからこそ人体実験の問題に取り組まなければならない、歴史的経緯によって課せられた強い理由(必然性 necessity)があります。それは、日本こそ、世界史上最大・最悪ともいえる人体実験を、国を挙げて組織的に行った国だから、というものです。

 日本は、十五年戦争期に中国の地で、人体実験および生体解剖による医学的大量虐殺を行いました。その実行場所は、関東軍満州第七三一部隊など、石井四郎らによって細菌兵器開発のために組織された「石井機関」、および、中国各地の陸軍病院や満州医科大学などでした。実行した者のなかには、石井ら幹部の軍医ばかりでなく、時勢に従って軍医になった医師や、大学の医局の教授から命令されて石井機関に赴いた、講師や助教授クラスの若手医学者たちが大勢含まれています。彼らは、非国民とのそしりを免れるため、研究者生命を断たれないため、あるいは、日本本土にはない贅沢な研究環境を得るために、自分たちが何をすることになるかわかっていながら、中国へ赴きました。当時の医学界をリードしていた教授たちは軍と石井に協力し、弟子を石井機関に送り込む見返りとして、研究の資金や材料や機会を得ていました。
 犠牲者は中国人・ロシア人・モンゴル人・朝鮮人などで、その数は3000人を超えます。彼らは、スパイや思想犯という名目で憲兵隊や特務機関によって捕らえられ、「マルタ」として人格を剥奪され、軍医の手術の練習台として体を切り刻まれたり、細菌兵器開発のために病原体を感染させられたり、治療法開発の材料にされたり、極限状態における人体の変化や限界を知るために虐待の限りを尽くされたりして殺されました。ソ連の参戦により日本軍が中国から撤退し始めたときまで生き残っていた被験者も、証拠隠滅のために全員殺され、生き残った者は一人もいません。

 しかしながら、本来ならば東京裁判でこの蛮行を裁くはずの米国は、強制収容所の被収容者に人体実験を行ったナチス・ドイツの医師たちをニュルンベルク裁判で裁いたのとは打って変わって、細菌兵器の人体実験データを独占することと引き換えに石井らを戦犯免責し、この「医学者たちの組織犯罪」(常石敬一氏)を隠蔽しました。その結果、戦後の医学界では、もしそれについて語れば、世界史に痕跡を残さずに消え去ろうとしている日本医学界の汚点を蒸し返し、上司や同僚を告発することにつながるがゆえに、《黙して語らず》という雰囲気が出来上がったと考えられます。それとともに、日本の医学界においては「人体実験」一般について語ることもタブーになりました。
 一方、一般の人々の間では、1980年代に森村誠一の『悪魔の飽食』がベストセラーになってから関心が高まってきました。歴史学的研究も、七三一部隊の下級隊員や陸軍病院の元軍医らが公に証言をし始め、史料の発見も相次いだことにより、大きく進展してきました。しかし、一部の学術研究者の間には、その内容のあまりの残虐さと、主題の性質上政治的論争に巻き込まれざるをえないがゆえに、この問題はジャーナリスティックな話題ではあっても学術研究の主題としてはふさわしくないとみなす消極的態度が生まれたように見受けられます。とりわけ生命倫理学の学界では、協力関係にある医学界への遠慮もあって、こうした消極的態度が大勢を占めてきました。こうして、日本の生命倫理学は、脳死・臓器移植やターミナルケアや生殖技術や遺伝子診断など、先端医療技術に伴う問題を取り扱いながら、医学の倫理性の根幹に触れる人体実験の問題は、正面から取り組むことを避けてきたのです。

 しかしながら、その結果として、日本の生命倫理学は今日、少なくとも以下の三つの点で、深刻な問題を抱えることになりました。

 第一の問題は、日本の生命倫理学研究者の「倫理性」が問われざるをえないということです。自らの過去の行いを振り返り、そこから反省と教訓を引き出していくことは「倫理」の基本であり「倫理的」であることの最低条件です。したがって、自国が行った世界史上最大の医学犯罪に目をつぶる日本の生命倫理学者は、とうてい「倫理的」であるとはいえず、これでは国際的な信用を得られるはずがありません。本日夕方のシンポジウムに見られるように「生命倫理のグローバリゼーション」が叫ばれたとしても、日本の生命倫理学者はいまだにグローバルな生命倫理学のテーブルにつく資格を持ち合わせていないのです。

 第二の問題は、人体実験論が欠如しているため、「インフォームド・コンセント」と「倫理委員会」という、生命倫理学にとって基本中の基本ともいえる手続きないし制度の意義と機能が、正確に理解されていないということです。
 インフォームド・コンセントには、米国の医事訴訟の判決で定められた治療実施の必要条件と、人体実験スキャンダルへの政策的対応として示された人体実験の許容条件という、二つの異なる起源があり、今日においてもこの二つの局面のそれぞれに即して重要な役割を果たしています。人体実験スキャンダルへの政策的対応としておそらく最も著名なのがナチス・ドイツの医師たちを裁いたニュルンベルク医師裁判ですが、その判決の文中に示された「ニュルンベルク・コード」(1947年) は、被験者のインフォームド・コンセントを人体実験の第一の許容条件としました。世界医師会の「ヘルシンキ宣言」(1964年)、および、国際医学研究機関協議会(CIOMS)と世界保健機構(WHO)のガイドライン(1993年)は、いずれもその精神を受け継いでいます。また、ドイツではすでに19世紀末から人体実験スキャンダルが世論を沸騰させ、1900年にプロシア宗教・教育・医療省が、また1931年にはドイツ内務省が、人体実験の際には被験者からインフォームド・コンセントを得なければならないことを定めています。
 一方、倫理委員会(施設内審査委員会 Institutional Review Board [IRB])による審査制度も、米国における人体実験スキャンダルへの政策的対応の中から、被験者保護のための機構として生み出されてきたものです。1963年にチンパンジーの腎臓の人への移植事件と、生きた癌細胞を末期患者に注射した「ユダヤ人慢性疾患病院事件」が相次いで発生し、研究資金を提供していた米国国立保健研究所(NIH)と公衆衛生局(PHS)は1966年、インフォームド・コンセント手続きの適切性などに関して、同僚による審査にパスすることを、連邦資金援助の条件と定めました。この方針をIRBによる審査制度として法制化したのが1975年の全米研究法(National Research Act)ですが、この法律もまた、ウィローブルック肝炎研究とタスキギー梅毒研究という二つの人体実験スキャンダルによって沸騰した世論に後押しされて成立したものです。
 このように、インフォームド・コンセントと倫理委員会による審査制度のいずれも、人体実験の許容条件として定められた経緯があり、被験者を保護する上で重要な機能を果たしています。にもかかわらず、日本の生命倫理学には、人体実験に関する視点が欠けているので、このことがなかなか理解されません。
 日本には、インフォームド・コンセントを、患者の権利を確保する方策として歓迎する人々がいる一方で、医師・患者間の「暖かな」信頼関係を破壊するものとして拒絶しようとする人々もいます。しかし、そのどちらも、インフォームド・コンセントの機能を患者の権利運動や医事訴訟の文脈においてのみ捉え、人体実験の文脈をほとんど顧みていません。しかも、その狭い捉え方の中で、とりわけ「がんの告知」の問題がインフォームド・コンセントに関する典型的なトピックであるかのような偏った受け取り方が広まっています。それゆえ、たとえば、厚生省の審議会の委員も務める医事評論家が「ニュールンベルク裁判のときには、どちらかといえば、人体実験の際の人権といった角度から理解されていた傾向があるようだが、やがて、これらの考え方の基本がインフォームド・コンセント、つまり『説明と同意』にあることが明確になって、むしろ”患者の権利”という受け止め方がされるようになりはじめた」[水野肇『インフォームド・コンセント』中公新書、p.30] という、まったくトンチンカンな説明をしていても、そのトンチンカンさをはっきり指摘できる生命倫理学研究者はあまりいないのです。

 第三の問題は、第二の問題と関連しますが、新しい先端医療技術を用いるということは本質的に人体実験にならざるをえないのに、そのことを認識できないので、先端医療技術の臨床応用一般に関して、包括的で一貫した議論をすることができない、ということです。先ほど述べたように、日本の生命倫理学は、臓器移植や生殖技術や遺伝子治療やクローニングなど、先端医療技術に伴う問題に取り組んできましたが、その論じ方はトピックスごとの場当たり的なもので、先端医療技術の臨床応用を包括的に捉える枠組についてはほとんど論じられてきませんでした。じつは人体実験論こそその枠組を提供するはずのものであり、海外のbioethicsにおいては実際にそうした役割を担ってきたのですが、日本の生命倫理学はその肝心のところがぽっかり空いています。そのせいで日本では、先端医療技術の臨床応用一般に対して、インフォームド・コンセントや倫理委員会の審査等の手続き、ならびに倫理委員会の審査内容のチェックなどについて定めた、包括的なガイドラインのない状態が続いています。医薬品の臨床試験に関しては1997年に「医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令(新GCP)」が定められ、被験者から文書による同意を得ることが義務づけられましたが、これはもっぱら国際的ガイドライン(ICH-GCP)に合わせる必要から生じたもので、国内の生命倫理学的な議論に基づいたものではまったくありません。遺伝子解析研究に関しては、ミレニアム・プロジェクト遂行のために、今年になって急遽生命倫理学研究者がかき集められ、詳しい指針が定められましたが、それでも倫理委員会の審査内容をチェックする規定はなく、いわば「倫理委員会丸投げ」の状態にあります。

 以上のような問題を解決し、日本の生命倫理学がグローバルな生命倫理学の議論に貢献できるようにするためにも、今こそ私たちは、人体実験の問題に真剣に取り組まなければならないのです。それには何よりもまず、日本がかつて行った、人体実験および生体解剖による医学的大量虐殺の事実を徹底的に究明し、政府による謝罪・補償を含む公的な総括を行うことから始めなければなりません。そこから出発し、たとえばニュルンベルク・コードが日本にとっていかに重い十字架であるかということを心底理解して初めて、日本の生命倫理学の学界は、人間を対象とする実験・研究の倫理について論じる資格を得ることができますし、生命倫理学の全体像を歪みなく捉えることもできるようになるでしょう。