編集後記

 日本学術会議は3月24日、幹事会で決定した「軍事的安全保障研究に関する声明」を公表した。同会議は1949年に設立された「我が国の人文・社会科学、生命科学、理学・工学の全分野の約84万人の科学者を内外に代表する機関」で、1950年と1967年の総会で「戦争を目的とする科学の研究は絶対に」行わないという声明を出している。ところが、防衛装備庁が「防衛技術にも応用可能な先進的な民生技術」を「積極的に活用」するために始めた「安全保障技術研究推進制度」に応募したり、米軍から研究資金を得たりしている大学が少なくないことが明らかになり、従来の方針を転換するかどうか注目されていた。

 3月の「声明」は、学術会議として上記二つの声明を継承することを明言した。「安全保障技術研究推進制度」は「将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく同庁内部の職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入が著しく、問題が多い」とし、「科学者の研究の自主性・自律性、研究成果の公開性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実」が必要であると述べる。そして、「大学等の各研究機関」に対し「軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究について、その適切性を目的、方法、応用の妥当性の観点から技術的・倫理的に審査する制度を設ける」ことを求めた。また、「学協会等において、それぞれの学術分野の性格に応じて、ガイドライン等を設定することも求められる」としている。

 各大学への公的助成を削減し競争的外部資金の導入を促しつつ、「防衛装備」(「武器」「兵器」の婉曲表現)の開発に大学の研究者を誘い込もうとする政府に、学術会議が科学者コミュニティとして抵抗を示した点は高く評価したい。しかしながら、安全保障技術研究推進制度や米軍資金という背景に引きずられたあまり、大きな問題点が少なくとも二つ残ったと考える。

 第一に、今回の声明は大学等の研究機関を対象としたために、政府機関や企業等に所属し学協会等にも入会していない研究者については何の歯止めもかけられていない。「声明」を起草した検討委員会の報告では「政府機関及び企業等と、学問の自由を基礎とする大学等の研究機関とでは、所属する科学者と機関・組織との関係が質的に異なる」というが、大学人だけが科学者ではない。これでは、「我が国の」「全分野の」「科学者を内外に代表する機関」としては不十分な姿勢といわざるをえない。

 第二に、「軍事的安全保障研究と見なされる可能性のある研究」とは何であり、それがなぜ問題なのかは、必ずしも明確になっていない。

「声明」は「研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも使用されうるため、まずは研究の入り口で研究資金の出所等に関する慎重な判断が求められる」という。だが、「民生分野の研究資金」による研究成果であっても「攻撃的な目的のためにも使用されうる」可能性はつとに指摘されている。結果として攻撃的目的に利用されるかどうかはわからないから、資金の出所だけを問題にするということだろうか。

 また、防衛省や米軍が出す資金では「研究の自主性・自律性、そして特に研究成果の公開性が担保」されることはありえないというのだろうか。「秘密にすることがほとんど無意味とわかっていても、秘密にするのが軍の常である」(池内了『科学者と戦争』岩波新書) から、「研究成果の公表を制限することはありません」「研究内容に介入することはありません」といった甘言にだまされてはいけない、ということか。

 しかしながら、民生的資金による研究でも、出資元が介入して自主性や自律性がないがしろにされたり、企業や国等が秘密を保持するため公開性を担保しないことは起こりうる。また、研究対象者の人権を侵害する研究が民生的資金により行われた例は数多くある(ちなみに、そのようなことを防ぐために近年では各研究機関に研究倫理審査制度が設けられているのだが、「研究の自主性・自律性」や「学問の自由」を言い立てて倫理審査に反対する勘違いがしばしばみられる。人権を侵害する自由などありえないのに)。

 一方、軍の資金による研究が、すべて兵器開発や攻撃的目的につながるわけではないし、良心的なものを含みえないわけでもない。たとえば、米軍が作成しウェブ上で公開している教科書『軍事医療倫理学』(Military Medical Ethics, 2003年) は、731部隊をはじめとする日本の医学犯罪に関する章を設け、米軍による取引と隠蔽という、米軍自身にとって不都合な事実まで記載している。

 軍によるものか民生的なものか、という区別が重要なのではない。軍の資金が問題視されるのは、それが民生的資金よりも、研究の過程や成果利用における人権侵害や、研究への介入や、成果の非公開性を生みやすいと考えられるからであって、単に「軍による」からではない。問題はあくまでも、人権侵害や、研究への介入や、成果の非公開性にある。研究審査やガイドラインもこれらに関する基準に則るべきであり、軍によるものか民生的なものかという資金の出所だけで判断して済ませるわけにはいかない。各大学が《軍や防衛省の資金を拒絶し民生的な資金のみを受け入れていさえすれば大丈夫》と考えるなら、かえって危険である。

(土屋 貴志)

(『15年戦争と日本の医学医療研究会会誌』第17巻第2号、2017年5月、p.39)