(土屋貴志「倫理委員会による研究審査」佐藤純一・土屋貴志・黒田浩一郎編『先端医療の社会学』世界思想社、2010年、第7章、pp.183-221より)

1 「倫理委員会」の流行と研究審査

 日本の医療界では一九八二年頃から「倫理委員会」と呼ばれる部門が大学医学部・医科大学・研究所・医学部附属病院・研究所附属病院・その他の病院などに相次いで設置されるようになった。
 もっとも、今日では「倫理委員会」の設置は医学界だけに限られた現象ではない。技術倫理や工学倫理、企業倫理や法人倫理、専門職倫理や職業倫理、メディア倫理や情報倫理など、およそ「倫理」が標榜される領域には「倫理委員会」なる部門がしばしば設けられている。
 ここ二十数年の間に人口に膾炙するようになったという意味で「倫理委員会」とはたしかに「先端的」なシステムである。しかし、そのじつ「倫理委員会」とは何のために何をする部門なのかという点に関しては、必ずしも一致した理解があるとはいえない。
 「倫理委員会」が最も早くから制度化されたのは米国である。米国で一九七〇年代中頃に確立した制度が世界各国に普及していった。ただし、日本語の「倫理委員会」という言葉は、人間を対象とする研究の審査を行う「施設内審査委員会Institutional Review Board (IRB)」、各医療機関に設置される「倫理委員会Ethics Committee (EC)」、倫理的問題に関する政府などの「諮問委員会Advisory Commission」という、米国における三つの異なる制度を含み込んだ意味で使われている。たとえば、日本の医療機関の「倫理委員会」の規定を見ると、設置目的として「人間を対象とした医学の研究」に「医療行為」を並列させているもの、すなわち研究審査を行うIRBと是非の判断が難しい医療行為について審議するECの両方の性格を併せ持つとされるものが半数以上を占める (土屋貴志「設置目的から見た日本の倫理委員会」厚生労働科学研究費補助金 [ヒトゲノム・再生医療等研究事業]『遺伝子解析研究・再生医療等の先端医療分野における研究の審査及び監視機関の機能と役割に関する研究・平成十四年度総括・分担研究報告書』[主任研究者・白井泰子] 二〇〇三年、十三―十八頁)。また、政府における医療倫理関連の諮問委員会が「生命倫理委員会」と総称されることもある (たとえば額賀淑郎『生命倫理委員会の合意形成──日米比較研究』勁草書房、二〇〇九年)。
 本稿では、このうち医学研究審査に限定して「倫理委員会」の機能について考察する。すなわち、ECや、政府などの諮問委員会としての「倫理委員会」については扱わない。また、医学研究ではなく、治療技術の習得や移転のための「医学実習」に際しては患者が「実習台」にされるが、このような広義の「医学教育」にまつわる問題に関しても、本稿では扱うことができない。
 まず第2節で、米国で医学研究の審査が行われるようになった経緯を素描する。次に、第3節で欧州諸国の研究審査体制、第4節で委員会による研究審査が日本に導入された経緯をまとめ、第5節で日本の現状を紹介する。以上を踏まえて最後に第6節で、委員会による医学研究審査はどこへ向かうのかを考える。

2 施設内審査委員会による医学研究の管理──米国

 現在、米国の省庁で医学研究を管轄するのは保健社会福祉省Department of Health and Human Servicesであるが、その部局のうち、医薬品の研究開発は「食品医薬品管理局Food and Drug Administration (FDA)」が監督し、それ以外の治療法開発や医学的知識の獲得を目的とする研究の監督は「国立保健研究所National Institutes of Health (NIH)」が主に担当している。NIHはもともと小さな一つの研究所にすぎなかったが、一九四八年にさまざまな研究所の複合体となり、第二次世界大戦中に整えられた医学研究振興策の元締としての役割も果たすようになった。そこでNIHは、研究助成金を交付する際の条件を守らせるという形で、医学研究の監督を行っている。
 医薬品や医療機器、食品、化粧品などの品質が粗悪だと人体に有害な影響があるため、これらの製品の品質については国が管理するのが一般的である。米国では、州境を越えて販売される製品に対しては、その開発研究を含めて、連邦政府が管理する権限を持つ。破傷風菌が混入したジフテリア抗毒素血清で七人の子供が死亡したことから、一九〇二年に「生物製剤規制法」が定められた。一九〇六年には不純物が混入した飲料・食品や医薬品を禁止する「食品・医薬品法」が制定され、「化学局」に規制権限が与えられるが、この化学局が一九三〇年に発足したFDAの前身である。さらに、スルファニルアミドのシロップ剤にジエチレングリコールが用いられ一〇〇人以上の死者が出たことから、一九三八年、新薬の安全性確認と製造過程の検査を求める「食品医薬品化粧品法」が定められた。
 この法律は、サリドマイド薬害をきっかけに一九六二年に改正され、医薬品として承認を受けるには安全性だけでなく有効性も証明しなければならなくなった。それと同時にFDAは、治験(医薬品の製造販売の認可を得るための臨床試験)の計画の審査を行うために、研究施設ごとの「専門家の委員会」を活用するよう求めた。これは、医学研究の審査はその研究を行う施設の内部で行うという米国のやり方に沿ったものである。そのために設けられる審査部門が現在「施設内審査委員会 (IRB)」と呼ばれており、設置や構成などについては米連邦規則(省令)に定められ、法的強制力の下に行われている。

IRBの起源
 IRBの起源は、NIHの臨床研究病院として一九五三年に開設された「臨床センター」の規程「確立された医療から外れるか通常外の危険を伴う臨床研究の手続きに対する集団審査Group Consideration of Clinical Research Procedures Deviating From Accepted Medical Practice or Involving Unusual Hazard」に遡るとされる。この規程は、被験者(研究対象すなわち「実験台」になる人)本人からインフォームド・コンセントを得ることと、非治療的研究や危険性の高い研究では臨床センターとNIH内の各研究所から選出された委員からなる「臨床研究委員会Clinical Research Committee」の審査を受けることを義務づけていた (丸山英二「臨床研究に対するアメリカ合衆国の規制」『年報医事法学』十三号、一九九八年、五三頁)。
 しかし臨床センターの規程はNIHから外部に委託される研究には適用されず、委員会による研究審査は他の研究機関には広まらなかった。一九六一年に発表されたL・G・ウェルトによる調査では、回答した六六の医学部のうち、研究計画を審査する委員会がすでに設置されているか、あるいは今後の設置に前向きなのは、二四か所にすぎなかった (L. G. Welt, "Reflections on the Problems of Human Experimentation," Connecticut Medicine, 25(2), 1961, pp.77-78)。また、一九六二年のボストン大学医事法研究所の調査では、回答した五五の医学部のうち、研究の手続き文書を定めていたのは九か所しかなく、委員会による研究審査手続きについての指針文書は一つしかなかった。二二の医学部は医学実験の問題をレビューする委員会を設置しており、研究の一般的なデザイン、研究者としての資格、被験者の安全、研究助成についてチェックしていたが、問題が見つかっても助言しかできないのが普通だった (W. J. Curran, "Governmental Regulation of the Use of Human Subjects in Medical Research: The Approach of Two Federal Agencies," P. A. Freund ed., Experimentation with Human Subjects, George Braziller, 1970, p.407)。

IRBの制度化
 委員会による研究審査が米国全土に広まるようになったのは、一九六六年の「公衆衛生総局Public Health Service (PHS)」の長官 (医務総監Surgeon General) の政策声明による。それは、PHSの資金援助を受ける米国内のすべての施設に対し、人間を被験者とするあらゆる研究を申請する際には、施設の同僚で構成される委員会の事前審査を受けるよう求めるものであった。
 だが、一九六八年のNIHの調査によると、七三% (一四二施設中一〇四施設) の委員会が科学者と医師のみで構成されており、神学者、法学者、哲学者、市民などを委員に含まなかった (Curran, op. cit., p.443)。こうした構成は不適切とみなされ、翌一九六九年のPHSの指針で、非医学者や他の分野の研究者、ならびにその施設に所属しない部外者を入れることが求められるようになる。この方針は一九七四年に成立した「全米研究法National Research Act」で法制化され、審査を行う委員会には「施設内審査委員会 (IRB)」という名称が定められた。
 こうした規制の対象は米連邦政府の研究資金を受ける機関に限られるが、大学医学部や研究所などはおおむね連邦の資金を得ているので、実際には全米の主な医学研究機関がカバーされている。米国外の機関でも、たとえば広島と長崎にある放射線影響研究所は予算の半分を米連邦政府から得ているので規制対象になり、一九七六年から「人権擁護調査委員会」を設置して研究審査を行っている。しかしながら、米国内でも、連邦資金を受けない私的研究機関などは規制対象にならない (ただし州によっては、私的研究機関に対しても、州法などで規制をかけているところがある)。また、米国全土で販売される医薬品については、上述のようにFDAが監督権限を持つ。
 一九九一年以降は、NIHやPHS、FDAだけでなく、人を対象とする研究を実施ないし資金援助するすべての連邦省庁において、該当する規程の文言が統一され「共通規則Common Rule」と呼ばれるものになった。IRBの構成については、異なる分野から選ばれた少なくとも5名の委員によって構成され、子供・囚人・妊婦・障害者などを被験者とする研究を常時審査する場合には、そういった人々に詳しい者を含めるよう配慮すること、ジェンダーや専門分野が偏らないこと、科学者と非科学者の両方を必ず含むこと、本人や家族がその施設に所属していない者を含むこと、審査する研究に利益相反のある者を委員に含めないこと、必要に応じて参考人を招致すること、を定めている。
 米国ではこうした人体実験の規制は医学研究だけでなく、人を対象とする行動科学研究にも適用される。これは、ウィチタ陪審研究 (一九五四年、陪審の議論をこっそり録音して行われた陪審制度研究)、ミルグラムの命令服従研究 (一九六三年発表、相手がサクラだとは知らせずに、その相手に電気ショックを与えるよう命令し、人はどこまで権威に服従するか調べた研究)、ハンフリーズの同性愛者研究 (一九七〇年発表、知り合いになった同性愛者を変装して訪問し、生活状況を聞き出したりした調査研究)、ジンバルドの模擬監獄研究 (一九七一年、模擬監獄を作って被験者に囚人と看守の役割を演じさせた研究) など、盗聴したり、被験者をだましたり、被験者に著しい心理的圧迫を加えたりする心理学や社会学の研究が論争を呼んだことによる。いずれもその学問にとっては貴重な知見が得られ、高い評価を得た一方で、被験者の人権を侵害したという強い批判が巻き起こったのである。そこで、米国の研究管理政策は当初から、行動科学研究も対象に含めながら議論され制度化されることになった。
 ちなみに、世界医師会が定める医学研究の指針「ヘルシンキ宣言」は、東京で開かれた一九七五年の総会において「研究者やスポンサーから独立した委員会」が研究計画の妥当性を審査すべし、という条件を追加した。これは全米研究法の影響を受けたものと考えられる。ヘルシンキ宣言は同時に、この条件を満たさない論文を受理しないよう専門誌に求めたので、委員会による研究審査が世界中に普及することになった。

3 欧州における研究審査体制──英、仏、独、蘭、デンマーク

 医薬品の研究開発の手続きについて定めた指針Good Clinical Practice (GCP) は、一九九〇年代から日米欧医薬品規制調和国際会議(ICH)において米国・欧州・日本の三極間で内容の調整と統一が図られ、現在ではICH―GCPとして国際的な標準になっている。そこで本節では欧州各国、とくに英国、フランス、ドイツ、オランダ、デンマークにおける研究審査体制についてまとめておく。
 ICH―GCPは「独立倫理委員会Independent Ethics Committee」またはIRBによる審査を課している。独立倫理委員会とは「医療専門職と非専門家の委員によって構成される独立の(施設内、地域内、国内又は国境を越えた)委員会であり、その責任は、被験者の人権と安全と福祉を確実に保護し、とりわけ研究計画書、研究者と施設の適格性、および被験者からインフォームド・コンセントを得てそれを記録するのに用いられる方法及び資料を審査し、承認することで、そうした保護に公的保証を与えることである」と定義されている(条文一.二七)。IRBも独立倫理委員会とほぼ同様の定義がなされており、条文上二つの委員会は併記されているが、これは国による名称の違いに配慮したものにすぎない。
 欧州連合European Union (EU) は二〇〇一年、「人が用いる医薬品の臨床試験においてGCPを履行させる法令・規制・監督規定を加盟国間で統一することに関する欧州議会および二〇〇一年四月四日欧州連合理事会の二〇〇一/二〇/EC指令Directive 2001/20/EC of the European Parliament and of the Council of 4 April 2001 on the approximation of the laws, regulations and administrative provisions of the Member States relating to the implementation of good clinical practice in the conduct of clinical trials on medicinal products for human use」(以下「EU臨床試験指令」と略記)を出した。この指令は、財源を問わずすべての医薬品の臨床試験に関して、政府が認める研究倫理委員会での承認を課すもので、二〇〇三年五月までに審査体制や関連法を整備し、翌二〇〇四年五月までに施行するよう求めている。そこでEU加盟国では、この指令に従うべく、体制が整備された。

英国
 英国の研究審査は、米国のように施設ごとでなく、地域ごとに行われている。一九九一年、公的医療制度である「国民保健サービスNational Health Service (NHS)」の管理局が、治験と医学研究を扱う「地域研究倫理委員会Local Research Ethics Committee」を地域の保健局内に設置するよう指針を示し、その数は二〇〇四年には二一九に及ぶ。二〇〇〇年にはNHSの管轄下にある地域研究倫理委員会を統括するため「健康と福祉のための研究倫理委員会中央局Central Office of Research Ethics Committees for Health and Social Care」(二〇〇四年五月以降は「英国倫理委員会局United Kingdom Ethics Committee Authority」と改称) が発足した。現在では、NHSの管轄下だけでなく英国全土の地域研究倫理委員会が、この中央局の指針に従って運営されている。
 一方、九〇年代後半からは複数の地域にまたがる研究を「多施設研究倫理委員会Multi-Centre Research Ethics Committees」で審査するようになり、二〇〇四年時点でイングランド・ウェールズ・スコットランドに計一〇か所設置されている。
 二〇〇四年三月からは、少数の地域研究倫理委員会や多施設研究倫理委員会に審査が集中しないよう、EU指令に該当する医薬品の治験と、複数の地域研究倫理委員会にまたがる研究は、主たる審査委員会を中央局が決めるようになった (以上、武藤香織「イギリスの研究倫理審査システム改革」厚生労働科学研究費補助金 [ヒトゲノム・再生医療等研究事業]『遺伝子解析研究・再生医療等の先端医療分野における研究の審査及び監視機関の機能と役割に関する研究・平成十五年度総括・分担研究報告書』[主任研究者・白井泰子] 二〇〇四年、四三―四九頁。栗原千絵子「EU臨床試験指令とイギリス臨床試験規則」『臨床評価』三一巻二号、二〇〇四年、三五一―四二二頁)。

フランス
 フランスの研究審査も施設ごとではなく地域ごとに行われている。脳死患者が無断で実験に用いられた事件を機に一九八八年「被験者保護法」が定められ、全国二二の地域圏ごとに保健担当大臣が認可設置する「被験者保護諮問委員会」が、研究の事前審査を行うようになった。一九九四年にはいわゆる「生命倫理関連法」立法化に合わせて、弱者保護の強化、審査委員会体制の改革、行動科学研究への適用などの改正が行われた。
 被験者保護諮問委員は独立性と多元性を保つよう、地域の関係団体が提出する推薦人リストから地方当局によって任命され、任期は六年(三年ごとに半数を更新)である。一九九四年までに五九の委員会が設置されたが、審査実績の少ないものは認可が取り消され、二〇〇一年初頭には四八(海外圏二を含む)となった。その半数近くは大都市圏に集中している。一九九九年の一委員会あたりの平均審査数は四七・五件であるが、最も審査数の多い委員会では一五〇件を超えているのに対し、最も少ないところでは十件未満となっており、地域間でも同一地域内でも、委員会ごとの件数のばらつきが非常に大きい。
 審査を受けた研究の内容を九〇年代のデータで見ると、医薬品の開発研究が四分の三以上を占めるが、公的研究機関による生理学・病態生理学・疫学・遺伝学などの研究が次第に増えている。また「被験者本人に直接益のある研究」(治療的研究) が三分の二以上になっているが、「被験者本人に直接益のない研究」(非治療的研究) が次第にその割合を増やしている。
 しかしながら、二〇〇一年に出された議会元老院の調査報告書によると、被験者保護諮問委員の欠席や欠員により委員構成の多元性が損なわれている、申請者から事前相談を受けるなど委員会の独立性が揺らいでいる、審査基準が統一されていない、行政当局が十分な業務を行っていない、などの問題点が指摘された。EU臨床試験指令の要求もあって、二〇〇四年八月に全面的な法改正が行われ、治療的研究と非治療的研究の区別を廃止し危険性対利益の評価に置き換えること、補償責任規定や同意規定の見直し、「被験者保護委員会」への改称、認可期限の政令による限定、委員を推薦人リストから選ぶ方式の廃止、認可された当事者団体代表を委員に入れること、業務の評価基準を国の省令として公示するなど国が委員会活動を管理すること、委員と研究者の関係の申告、などが定められた (以上、島次郎ほか『被験者保護法制のあり方 (1)』(Studies生命・人間・社会6) 科学技術文明研究所、二〇〇二年、二七―四六頁。島次郎「フランス研究対象者保護法の全面改正・解説」『臨床評価』三二巻一号、二〇〇五年、二七一―二八四頁。島次郎監訳「フランス保健医療法典第一部第一編第二章・生物医学研究」『臨床評価』三二巻一号、二〇〇五年、二八五―二九五頁)。

ドイツ
 ドイツの研究審査は、大学病院ごとに設けられる倫理委員会と、州ごとに設けられる倫理委員会の両方によって行われている。大学内で行われる臨床研究は大学病院の倫理委員会が、大学外の臨床研究は州の倫理委員会が、それぞれ審査する。
 旧西ドイツでは、医薬品に関しては一九七八年施行の「新薬事法」の第六章「臨床試験に際しての人の保護」に、被験者のインフォームド・コンセント、前臨床試験データの連邦機関への提出、補償保険への加入などが規定されていた。委員会による研究審査は一九七〇年代から各大学などで始まっていたが、公式に制度化されたのは、一九九五年の薬事法改正で、州法に基づく倫理委員会の承認が治験に必要になったことと、同年から翌九六年にかけて、各州が州医師会と大学病院へ「公法上の倫理委員会」の設置を求めた「委員会法」を制定したことによる。二〇〇三年の時点では、州の医師会ないし歯科医師会ごとの委員会が一八、大学病院の委員会が三六あったが、両者が合同しているものもあり、ドイツ全土では五二の委員会が活動していた。
 ドイツでは医師会が医師の身分を決定する権限を持っており、倫理委員会も連邦医師会の「医学とその境界領域における倫理的諸原則保持のための中央倫理委員会」から強い影響を受ける。各委員会は医師のほか、法律家、生物統計学者、自然科学者、哲学者、神学者、心理学者、社会科学者、看護師、医学生、一般市民などで構成される。
 二〇〇四年には、EU臨床試験指令に対応して薬事法が再度改正され、「GCP指令」が施行された。多施設共同試験の場合は、主任研究者の所属機関を所轄する倫理委員会が「中央倫理委員会」となり、他の施設を所轄する倫理委員会が「参加倫理委員会」となって、中央倫理委員会が参加倫理委員会の了解を得て審査する。また、ドイツ全土の倫理委員会の連係を図るために「ドイツ医学倫理委員会作業共同体」が設置され、意見や情報を交換する会合の開催や雑誌の出版、モデル書類の作成などを行っている (以上、甲斐克則『被験者保護と刑法』成文堂、二〇〇五年、一〇六―一一三頁。景山茂ほか「GCP研究班における治験審査委員会の国内外調査と今後の課題」『臨床評価』三三巻一号、二〇〇五年、一六一頁)。

オランダ
 オランダでは一九九八年に「ヒト被験者を伴う医学的研究に関する法律 (WMO)」が成立し、翌九九年から施行された。同法に基づいて「ヒト被験者を伴う研究に関する中央委員会 (CCMO)」がハーグに設置され、全国の研究審査を管理監督している。やはりEU臨床試験指令に準拠するため、研究審査の質の向上が課題となった。
 中央委員会は、各研究施設や地域で研究審査を行う「医の倫理審査委員会」の認証と監督、遺伝子治療・異種移植・プラセボ対照試験・ワクチン研究の審査、胚研究に関する保健大臣への助言、人を対象とする研究すべてのプロトコル登録、不服や異議申し立ての受付、各倫理審査委員会の年次報告の登録などを行う。内科医、ヒト発生学者、薬理学者、看護学者、行動科学者、法律家、科学研究方法論学者、倫理学者、被験者の代弁者、分子遺伝学者、薬剤師などの、最大一四人の委員で構成され、月一回会合を行い、委員の任期は四年(二回まで再任可)である。審査の質を向上させるため「医の倫理審査委員会」委員を支援するガイドブックを作成したりトレーニングプログラムを実施したりもしている。
 二〇〇一年では中央委員会は三五件の研究計画書を審査しただけで、計一六六八件が各地の「医の倫理審査委員会」で審査された。この審査委員会は医師、法律家、研究方法論学者、倫理学者、市民を含む。地域的にはやはり都市部に多い。審査件数は委員会によってばらつきがあり、二〇〇一年では最も多い委員会で一七〇件以上だが、審査をしなかった委員会もある。二〇〇〇年以降は年間十件以上の審査を行うことが求められるようになり、三年間の平均が一〇件を下回った委員会は認定を取り消される。
 WMOは研究プロトコルの遵守を厳しく求めており、違反者は最大6か月の拘禁刑に処せられる。また、同意や代諾を得ずに研究を行った場合は最大一年の拘禁刑となる (以上、甲斐前掲書、一一三―一一九頁。M・J・H・ケンター(内田直樹・内田英二訳)「オランダ王国におけるMedical Ethical Reviewシステムの発展に関する報告」『臨床評価』三〇巻二・三号、二〇〇三年、三九七―四〇五頁。"CCMO" http://www.ccmo-online.nl/)。

デンマーク
 デンマークでも、中央の統轄機関と、地域の「科学倫理委員会」の二層システムを、法に基づいて運用する体制を取っている。一九八〇年に、中央と七地域の「倫理審査委員会」によって、研究者が自主的に審査を行う体制が設けられたが、審査数が激増したことと、受精卵や生殖細胞を扱う研究について議論が紛糾したことから、法律に基づく研究審査体制が求められた。そこで一九九二年に「科学倫理委員会体制と生物医学研究計画の管理に関する法律」が成立し、審査業務が法に明文化され、倫理審査委員会は「科学倫理委員会」に改称された。
 この法律では中央委員会と八つの地域委員会が設置された。審査件数の少ない地域では複数の県で一つの委員会を運営していたり、件数の多い地域では一つの県に二つの委員会が設置されていたりして、全国一四県のすべてに地域委員会があるわけではない。地域委員会は最小七名(最大十五名)の委員によって構成され、うち三名は国の「医学研究審議会」によって任命された専門の科学者であり、残りは専門外の人たちとされる。委員の総数は奇数で、専門外の委員数が専門家の委員数を必ず上回らなければならない。法による審査の対象になるのは、生きた人間、受精目的の生殖細胞や胚・胎児、ヒトの組織・細胞・遺伝子、死体、をそれぞれ扱う研究である。これらの研究は計画を所轄の地域委員会に提出し、リスクとインフォームド・コンセントの妥当性をチェックされる。薬剤の臨床試験の場合はさらに「医薬局」の承認が必要である。こうした手続きに反した場合は罰金または拘禁刑に処せられる。
 中央委員会は、各地域委員会から二名 (専門家の委員と専門外の委員一名ずつ)、科学技術革新省から二名、内務保健省から二名、の計二〇名で構成される。科学技術革新省から任命されるうちの一名は国の研究の利益を代表するが、省任命の残りの三名は公共の利益を代表しなければならない。中央委員会は地域委員会を統括し、地域委員会で原理的な問題が生じたり、合意に至らない場合の審議を行う。また、土台となる倫理的考え方について審議する国の「倫理審議会」と年一回代表同士の会合を行い、情報交換や意見調整を行うよう定められている (以上、島次郎ほか『被験者保護法制のあり方 (1)』(Studies生命・人間・社会6) 科学技術文明研究所、二〇〇二年、四七―五五頁)。

4 日本における委員会による研究審査

 ところで日本で医学研究の審査を行う「委員会」は、一九八〇年代から医科系大学で設置された「倫理委員会」、一九九〇年代から整備された医薬品開発に関する「治験審査委員会」、そして二〇〇〇年以降に定められたさまざまな行政指針に基づく「倫理審査委員会」の順に整備されてきた。これらがどういう経緯で、何のために整備されたのかまとめておく。

医科系大学の「倫理委員会」
 米国の規制に直接基づくIRBである放射線影響研究所の「人権擁護調査委員会」を除けば、日本において米国のIRBに相当するものとしては、一九八〇年に札幌医科大学が設置した「臨床研究調整委員会」が最も早い。しかしながら「倫理委員会」としてその後次々に全国の大学に設置されたものの先駆となったのは、一九八二年の「徳島大学医学部倫理委員会」であった。
 徳島大学医学部では当時、日本初の体外受精の臨床応用に向けて準備を進めていたが、世論の合意を得ないまま実施に踏み切った場合の悪影響を強く懸念する意見があった。たとえば、医学部長の宮尾益英は朝日新聞のインタビューに対し「私の脳裏をかすめたのは、かつて札幌医大で行われた心臓移植手術のことでした。あの轍(てつ)は、絶対に踏むまい、と」(「体外受精は公開論議で」『朝日新聞』一九八三年四月十八日夕刊)と答えているし、附属病院長の斎藤隆雄も「質、量ともに十分な『公開の』論議を経ずに新しい医療技術の臨床応用に踏み切ると、不幸な事態を招くことがある。わが国における心臓移植手術はその一例である」 (斎藤隆雄『試験管ベビーを考える』岩波書店、一九八五年、四頁)「世論が理性的な反応をせずに過剰反応を起こしてしまえば、心臓移植の二の舞になる可能性は否定できないのである」(同書、六頁)と書いていた。体外受精の実施準備を進めていた産婦人科教授の森崇英さえ、当時を回顧して「一番念頭にありましたのは、この技術を日本にスムーズに定着させたいということでした。かなり前になるが、例の和田心臓移植事件がありまして、そのために(日本の心臓移植は)二〇年は遅れた。[中略]そのために社会的合意ができなければダメだろうということです」と述べている (「徳島大学倫理委員会設立経緯の調査・インタビュー」『科学研究費補助金「生命科学・生命技術の進展に対応した理論と倫理と科学技術社会論の開発研究」平成十六年度研究成果報告書』[研究代表者・小泉義之]、二〇〇五年、七頁)。
 このように、医学部長と附属病院長と研究責任者がいずれも世論の動向に配慮したことが、審議を公開する日本初の「倫理委員会」の設置とそれによる体外受精実施計画の審査につながった。審査が行われている最中に、審査を経ずに東北大学医学部が体外受精による妊娠を成功させ、徳島大は後塵を拝することになったが、その手続きはマスコミに高く評価された。
 その後、女児生み分け、脳死患者からの臓器移植、生体肝移植などの「先端医療」が問題になるたびに事前審査の必要性が説かれ、大学医学部や医科大学には相次いで「倫理委員会」が設置される。唄孝一による一九八九年の調査では、リストアップされた四八の大学医学部ないし医科大学の倫理委員会のうち、一九八三年から八六年までの間に設置されたものがじつに四二を占める (唄孝一「『倫理委員会』考・1」『法律時報』六一巻五号、一九八九年、一四三頁)。一九八八年には、これらの倫理委員会間の情報交換を目的として「大学医学部医科大学倫理委員会連絡懇談会 (現、医学系大学倫理委員会連絡会議)」も発足した (第一回懇談会は一九八九年開催)。
 星野一正によれば、これらの倫理委員会は欧米の研究審査委員会とは異なり「政府とは無関係で自発的に設置されたもの」である (星野一正編『倫理委員会のあり方』蒼穹社、一九九三年、九九頁)。しかし、その主たる動機は、こうした「先端医療」についての世論およびマスコミ対策にあったのである。

GCPによる「治験審査委員会」
 一九七九年の薬事法改正で治験依頼基準が制定されていたが、一九八二年に治験データの捏造事件が発覚したこともあり、一九八三年に「新薬の臨床試験の実施に関する専門家会議」で治験全体のあり方の検討が始められた (北澤京子『患者のための「薬と治験」入門』岩波ブックレット、二〇〇一年、二四頁)。一九八〇年代に米国で治験の実施に関する基準(GCP)に関する連邦規則が施行され、日本国内の治験に対してもGCPを定める必要があるということになり、一九八九年に厚生省薬務局長から「医薬品の臨床試験の実施に関する基準」(いわゆる「旧GCP」、九〇年から施行) が通知された。
 旧GCPは局長通知に留まり、法的拘束力はなかったものの、「治験審査委員会」についての規定を含んでいる (第八条)。その構成は「医学、歯学又は薬学の専門知識を有する委員の他、少なくとも一人の医学、歯学又は薬学の専門家以外の委員、合わせて五人以上で組織する」となっている。また「委員は医療機関の長が指名」し、「治験に関与する委員は、治験審査委員会の当該治験に関する審議には参加しない」とされた。
 しかしながら、治験実績の多い四つの医療機関(三つの大学附属病院と一つの国立病院)に対して一九九二年に行われた総務庁の行政監察では、専門外委員に当該医療機関の管理職をあてている、被験者の同意を得ているかどうか確認していない、定足数に満たなかったり専門外委員が出席していないなど開催要件を満たさないのに開催されている、などGCPの実施状況に問題があることが明らかになった (総務庁行政監察局編『くすりと行政──薬事に関する行政監察―医薬品等の安全対策を中心として―結果』大蔵省印刷局、一九九四年、三―五頁)。また、医薬品開発にかかる時間や費用を節約するために、承認に必要な手続きや治験データに関する基準を国際的に統一する必要が出てきた。そこで、第3節で述べた、米国・欧州・日本の三極間でICH―GCPが一九九六年に定められ、その内容に従い、一九九七年に「医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令」(いわゆる「新GCP」) が、薬事法の規定に基づく厚生省令として発令された。こうして、法的拘束力を持つ治験の基準がようやく定められたが、治験審査委員会の委員の数および構成については、旧GCPと基本的に変わっていない。
 このように、治験審査委員会について定めた日本のGCPは、データ捏造や薬害など国内における問題への対処という側面もあるものの、その制定過程と内容に関しては、医薬品開発に関して欧米と同じような基準を持つ必要性があったという理由のほうが大きい。

行政指針による「倫理審査委員会」
 さらに、日本では二〇〇〇年以降、医学研究に関する行政指針が多数整備され、現在では研究内容に応じたさまざまな指針により「倫理審査委員会」が設置されるようになっている。上述した医科系大学の倫理委員会は、これらの指針に基づく倫理審査委員会へと位置づけ直されている。
 医学研究に対して委員会による事前審査を課した日本の行政指針としては、一九九四年の厚生省「遺伝子治療臨床研究に関する指針」および文部省「大学等における遺伝子治療臨床研究に関するガイドライン」が早いが、そこでは審査主体は単に「審査委員会」と呼ばれていた。こうした事前審査を行う委員会を「倫理審査委員会」と呼んだのは、厚生大臣の諮問機関である厚生科学審議会が二〇〇〇年四月に定めた「遺伝子解析研究に付随する倫理問題等に対応するための指針」(いわゆる「ミレニアム指針」) が最初である。その基本方針として「研究責任者は、責任体制および実施体制を明確にした研究計画を策定し、事前に倫理審査委員会の審査を受けるべきである」とされた (一―二。以下、同様に条文番号を記す)。ここで「倫理審査委員会」とは「研究実施機関の長の求めに応じ、遺伝子解析研究の実施の適否その他の事項について、試料等提供者またはその家族等の人権尊重等の倫理的観点を中心に、科学的観点を含めて調査審議するため、研究実施機関に置かれた合議機関」(二―十三) と定義され、「倫理・法律面の有識者」「科学面の有識者」「市民の立場の人」によって構成される (三―五―二)。委員のうち「半数以上は外部の人」でなければならず、さらに「その外部の人のうち半数以上(全体の四分の一以上)は、倫理・法律面の有識者または市民の立場の人でなければならない」(三―五―二)。ただし同じ大学でも学部が異なれば「外部」の人とみなしてよい。「倫理・法律面の有識者」または「市民の立場の人」の出席なしに審議や採決を行うことはできないが、研究計画の軽微な変更にすぎず被験者の人権を侵害しない場合は、委員長が指名する委員による「迅速審査」で済む。また倫理審査委員会は、被験者が同意能力を欠いていたり、未成年であったり、亡くなっていたりする場合に代諾で研究を実施してよいかどうか、利用への明示的同意が得られていない既提供試料を研究に利用してよいかどうか、などについても判断する。さらに、委員会の運営規則の公開と議事要旨の原則公開が定められている。
 ミレニアム指針は、翌二〇〇一年に策定された文部科学省・厚生労働省・経済産業省連名の「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」(いわゆる「三省指針」) に取って代わられる。しかし、三省指針や、その後相次いで出された「ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針」「疫学研究に関する倫理指針」「臨床研究に関する倫理指針」「ヒト幹細胞を用いる臨床研究に関する指針」などでは、委員の構成や役割に多少の相違があるものの、ミレニアム指針で示された「倫理審査委員会」による研究審査という枠組は引き継がれている。
 ところで、ミレニアム指針は二〇〇〇年度から開始される国の「ミレニアム・プロジェクト」で一つの柱となった遺伝子解析研究を進めていくために整備されたものである。たとえば厚生労働省大臣官房厚生科学課の課長補佐であった原口真は次のように述べている。

[ミレニアム指針を作った背景として、個人情報としての遺伝子情報の保護、ゲノム情報の応用可能性の大きさに加えて──筆者補足]三つ目に書いておりますのは、研究推進の社会的要請ということでございます。医学研究の分野に限りましても、平成十二年度におきましては、小渕元総理が提唱してミレニアム・プロジェクトというのを興したわけですが、その一貫として、医療分野ではミレニアム・ゲノム・プロジェクトという事業を政府として興しまして、ゲノム解析を日本でも、やや遅ればせながら強力に取り組もうということを行いました。また、平成十三年度にもメディカル・フロンティア戦略と称しまして、これは厚生労働省を中心として政府で立てた事業ということですが、こうしたことで、政府サイドで遺伝子解析を急速に進めようというようなことをまた始めたわけでございます。
 そのように進めようとしますと、この規範がまだ整備されていないということでは大変取り組むことは難しいということで、それでは速やかに規範の整備をしなければいけないのではないかと、こうしたことがあって、遺伝子解析ガイドラインを制定するというような動きになっていったというふうに考えております。
(『メディカルエシックス二五──第二五回医学系大学倫理委員会連絡会議』二〇〇一年、二十頁)

 このように、日本で委員会による医学研究審査が現在の形に制度化された目的は、第一に世論・マスコミ対策、第二に欧米並みの基準を持つ必要性、第三に先端医学研究の国策としての推進ということにあった。

5 日本の研究審査の現状

 ところで、今日の日本において、委員会による医学研究の審査は、実際のところどのように機能しているか。ここでは、倫理審査委員会に関する二つの調査を紹介する。

厚生労働科学研究白井班調査(二〇〇二年)
 厚生労働科学研究費補助金(ヒトゲノム・再生医療等研究事業)による「遺伝子解析研究・再生医療等の先端医療分野における研究の審査及び監視機関の機能と役割に関する研究」(平成十三―十五年度、研究代表者・白井泰子) 班は、日本における倫理委員会の活動状況について、医療機関への質問紙調査と、関係者に対する聴き取り調査を行っている。
 質問紙調査は二〇〇二年三月から四月にかけて行われ、全国の医学部・医科大学、医学系研究所、国立病院の全二四八施設と、病床二十床以上の医療機関全八九五一施設から病床規模に応じて層化抽出をした二〇〇〇施設に、質問紙を郵送した。最終的に得られた有効回答数は五二四である。その結果のうち、倫理[審査]委員会の設置率を見ると、全体で四六・六%(二四五施設)であったが、二〇〇床未満の小規模病院では三・四%(五施設)しかなかった。委員会に対する予算措置を講じていた施設は全体の四〇・二%、承認され実施されている研究に対するモニタリングを実施していた委員会は二一・六%(四九施設)、委員に対する研修を行っていた委員会は十七・九%(六施設)に留まっており、情報公開をしていない委員会が施設種類別に二割から四割あった。
 一方、聴き取り調査は半構造化面接法により、二〇〇二年七月から二〇〇四年二月にかけて(一)上記質問紙調査の補足として医学系大学・研究所・病院の計十四委員会の傍聴及び委員長へのインタビュー、(二)委員会運営に関わる費用について医学系大学・研究所・病院などの五施設七委員会の事務担当者に対するインタビュー、(三)審査委員、研究者ないし申請者、臨床試験管理部門の関係者などに対するインタビュー(対象十七名、うち三名は電話による)、の三種類が行われた。その中では、倫理[審査]委員会に関して「委員構成が不適切」「審査方法や審査基準が不明確であり、表面的な審議に終始しやすく効率も悪い」「委員への研修計画がない」などが指摘された。また、申請する研究者に関しては「審査の意義の認識が不足しており、不備なプロトコルや説明文書がたびたび見受けられる」といった不満があった。施設側に対しては「委員会の設置規則や研究計画の承認手続き等に関する規定が不備」「承認後の研究にモニタリングを実施するのが困難」「外部委員や事務担当・研究支援等の人材を確保するのが難しい」「関係者への研修計画がない」などの指摘がなされた。研究助成元に関しては「資金提供した研究が適正に実施されるよう監査すべきだ」「研究遂行に必要なインフラ整備のために資金を援助すべきだ」などの意見が見受けられた(以上、厚生労働科学研究費補助金 [ヒトゲノム・再生医療等研究事業]『遺伝子解析研究・再生医療等の先端医療分野における研究の審査及び監視機関の機能と役割に関する研究・平成十四年度総括・分担研究報告書』[主任研究者・白井泰子] 二〇〇三年。同『平成十五年度総括・分担研究報告書』二〇〇四年。同『平成十三年度―十五年度総合研究報告書』二〇〇四年。白井泰子「日本の倫理審査委員会の現状と課題」『日本生命倫理学会第十六回年次大会プログラム・予稿集』日本生命倫理学会、二〇〇四年、六七頁)。

読売新聞科学部の調査(二〇〇七年)
 二〇〇六年初頭の時点で、大学病院など高度医療を行う「特定機能病院」は全国に八三施設あり、その母体である大学医学部・医科大学に設置された倫理委員会は四四八あった。読売新聞科学部はそのうち、下部の委員会と治験のみを担当する委員会を除いた二〇五委員会にアンケート調査を行い、七八施設の一七六委員会から回答を得た。
 その結果、世界医師会の「ヘルシンキ宣言」、国際医学団体協議会(CIOMS)の「人を対象とする生物医学研究の国際的倫理指針」、および日本政府の「ヒトゲノム・遺伝子解析研究」「ヒトES細胞の樹立及び使用」「疫学研究」「臨床研究」「遺伝子治療臨床研究」「ヒト幹細胞を用いる臨床研究」に関する各倫理指針、が適用される委員会のすべてに、何らかの指針違反があることが判明した。最も違反率が高いのは情報公開で、六指針のうち五指針が議事内容や議事要旨の公開を求めているにもかかわらず、八五%の施設が議事内容を公開していない (四三%が詳細な議事録を作成せず、残りは閲覧不可)。議事要旨も、作成していないか非公開の施設が六七%に及ぶ。委員の名簿は三七%が外部に非公開である。審査結果も五七%が外部に非公開で閲覧もできない。しかも「公開性を高める必要がある」と自覚している施設は二二%に留まっている。
 委員構成では、二三%で組織の長が委員長を兼ねており、審査の独立性が確保できるのか懸念される。女性委員については、いないのが八%で、一人しかいないのが三四%ある。外部委員については、いない委員会が一七、一人しかいない委員会が六つあった。法律家がいないのが二四%、哲学・倫理・社会学・宗教の専門家がいないのが四三%に上る。外部の「一般人」の参加については、ジャーナリストや企業家、地域の有識者を「一般人」とみなしたとしても、参加させていない委員会が五八%ある。問題点として、二六%の委員会が「倫理・社会系の外部委員の確保が困難」、三六%が「委員の日程調整が困難」、三七%が「委員の養成や研修を行う仕組みが必要」を挙げている。
 審査の対象としては、有効回答を得た七六施設中の約七割が「人体の細胞・組織の採取を伴う基礎研究」「疫学研究」「臨床研究」のすべてに審査申請を求め、残り三割も「内容によって申請が必要」という回答が多かった。一方「国内では未承認の薬の使用」や「既承認薬の適応外使用」については、八割前後の施設が「全例」ないし「新しい方法の場合」に申請を義務づけているものの、一―二割の施設では「申請があれば審査する」に留まる。「体細胞の遺伝子診断」は、申請を義務づけているのが五四施設で、申請があれば審査するのが一九施設。「従来行われていない手術方法」については、申請義務づけが四六施設、申請された場合のみ審査するのが二八施設。生体部分肝移植については、二四施設が「包括承認済みだが全例を個別審査している」一方、二三施設は審査を行っていない。親族間の腎移植は、九つの施設では個別審査するが、五十施設は「保険適用される通常の医療」であるとして審査していない。二六%が「研究と個別診療の境界線がわかりにくい」ことを問題と感じていた。
 診療における問題では、「延命措置の中止」を検討したことがあるのは六施設だけで、多くの施設は「今後要請があれば検討する」と回答している。意識不明や判断能力を欠く患者の治療、がんや難病の病名告知、患者の隔離拘束なども同様であり、検討例が比較的あるのは「輸血を拒否する患者への対応」くらいである。「臨床現場の問題を扱う別の機関がほしい」と答えているのが二十%ある。
 審査の実際については、二〇〇四―二〇〇五年度の年間新規案件数の平均は五七件だが、三五〇件に及ぶ施設もある。会議一回あたりの新規案件数の平均は八・四件(最大一一二件)。「審査案件が多すぎる」と感じている委員会が五二(三十%)ある。新規案件一件あたりのおよその審議時間は、二一%が十五分以内、四一%が十五分―三十分になるが、これは事前に下部組織で予備審査を済ませている場合も含んでいる。承認率の平均は九三%に上るが、これには、次回までに修正を求める「継続審議」や、実施方法に注文をつける「条件付き承認」がかなり含まれる。持ち回り審議やメール連絡で審査することが「よくある」のが十一%、「例外的にある」を合わせると五三%になる。一部の委員のみに判断を任せる「迅速審査」が「よくある」のは十五%で、「例外的にある」を合わせると四二%になる。二四%の委員会が「審査を簡略化・迅速化したほうがよい」と考えている。企業からの研究費提供や株式保有など、研究者の利害関係(利益相反)を必ずチェックする委員会は三六%しかない。
 承認後のフォローアップについては、七二%が承認後に定期的な報告や実地調査など何らかの形でモニタリングを行っているが、副作用などの有害事象や問題が発生した場合の報告制度があるのは六一%、共同研究を行う他の施設での有害事象まで報告を義務づけているのは二三%に留まる。研究終了時の結果報告義務を課している委員会は五四%あるが、研究結果を論文や学会で公表することを求めるのは九%、審査時に求めた場合にだけ求めるのは二八%である。こうした承認後のフォロー不足を問題視している委員会が四三%ある。
 事務体制としては、事務局員数は、平均二・四人だが、ゼロのところが三%、一人のところが三六%もあった。専任者を置いているのは一八%しかない。事務局体制の不足を感じている委員会が四二%、「記録の作成に労力がかかりすぎる」と感じているのが三一%に上る。財政的基盤としては、年間予算のない委員会が二九%。年間経費の最高額は、治験委員会では一二〇〇万円だが、一般の倫理委員会では二〇〇万円。外部委員に出席時の報酬を支給していない委員会も八つある。四七(二七%)の委員会が「予算の確保・増額が必要」と感じていた(以上、原昌平・増田弘治「日本の特定機能病院における倫理審査委員会の現状──読売新聞によるアンケート結果の紹介と、倫理審査の改善に向けた考察」『臨床評価』三五巻二号、二〇〇七年、三七五―四〇八頁)。

6 なぜ委員会による審査なのか──被験者保護と公共化

 第4節にまとめたように、日本で委員会による研究審査が普及した目的は、世論・マスコミ対策、欧米並みの基準を持つ必要性、先端医学研究の国策としての推進、ということにあった。だが、これらは要するに《米国や欧州で委員会による研究審査制度が整えられつつあり、日本でもその制度を整備しなければ、マスコミや世論は納得せず、医薬品や先端医学の研究開発を進めることができない》という消極的な理由を示しているにすぎない。そもそも、何のために委員会による研究審査が始まったのか、なぜ委員会による審査でなければならないのか、という、内在的な必要性や必然性についての議論は、日本ではほとんど行われないまま、ただ外形的な手続きだけが整えられてきた。

委員会による研究審査の目的
 それでは、発祥地の米国で、委員会による研究審査が制度化された目的は何だったのか。それは《被験者を保護するため》である。すなわち、研究開発の過程で「実験台」となる被験者の人権を擁護することが、委員会による研究審査の主たる目的であった。このことは、IRB制度を確立した全米研究法によって発足した政府の諮問委員会の名称が「生物医学及び行動科学研究の被験者を保護するための全米委員会National Commission for the Protection of Human Subjects of Biomedical and Behavioral Research」であったことにも端的に表れている。そしてこの「被験者保護」のパラダイムの上で、人としての「被験者」とみなせるかどうか微妙な研究対象、たとえば精子・卵子、胚、胎児、死体、組織、細胞、遺伝子(遺伝情報)などについても、委員会による研究審査が行われてきている。
 開発中の治療法や医薬品が本当に有効かどうかは、最終的には人間に対して試してみなければわからない。動物実験で確かめられるのは、どこまでも動物に対する有効性だけである。だが、人間を対象とする研究は、必ずしも被験者本人に利益があるとは限らない。開発中の治療法は、効果があるかもしれないが、効果がなく副作用しかないかもしれない。それでも、被験者が患者の場合は、あえて実験台になることで、病気に運よく効くということもありうる (そのため、こうした研究は「治療的研究」と呼ばれる)。しかし、被験者が健康な人の場合は、治療上の利益を得ることはありえない。中には医薬品の安全性試験(毒性試験)のように、そもそも被験者に利益をもたらすことを最初から目的にしていない研究もある (こうした研究は「非治療的研究」と呼ばれる)。
 科学的な成果が得られないような研究は、研究費と労力と時間の浪費であるばかりか、被験者にいたずらに侵襲を加えることになるので、当然行うべきではない。だが、科学的な成果が期待できさえすればよいわけでもない。研究の科学性を追求することと、被験者を人間扱いすることとは、必ずしも両立しない。被験者を人間扱いせず実験動物のように取り扱ったほうが、より大きな科学的成果を得られるかもしれない。もちろん、通常はそんなことは許されないのだが、死刑囚や末期患者など「いずれ死ぬ人」を被験者とする場合には、その生命を短縮しかねない実験が行われることがある。ナチス・ドイツが行った強制収容所の被収容者を用いた人体実験や、十五年戦争期に日本が七三一部隊などで行った致死的実験などは、まさしく「いずれ殺される」人を利用したものだった。また、囚人や施設収容者など、生活全体を管理されている人に対しても、人権への配慮を欠いた研究がしばしば行われてきた。米国でも一九七〇年代初頭に、梅毒患者を治療せずに四十年間にわたって経過観察していた「タスキギー梅毒研究」、養護施設に入所する知的障害児を人為的に肝炎に感染させていた「ウィローブルック肝炎研究」などが、世論の厳しい非難を浴びた。そこで、被験者の生命や人権を護るために、研究を管理する制度を整えることが必須であると考えられるようになる。委員会による審査は、その柱の一つになった。

方法としての委員会審査
 だが、委員会による研究審査は、被験者を保護するための最善の方法といえるだろうか。また、被験者を保護するためには委員会による審査が欠かせないのだろうか。
 ハーバード大学医学部麻酔科教授という医学界のインサイダーでありながら、数多くの反倫理的な医学実験を実例を挙げて批判し、生命倫理学のパイオニアの一人として高く評価されているH・ビーチャーは、反倫理的な医学実験を防ぐために委員会による審査が必要だとは考えていなかった。PHS長官が政策声明でIRBによる審査を課したのと同じ一九六六年に発表された記念碑的論文において、彼は次のように述べている。

「人間を用いた実験に対する倫理的アプローチにはいくつかの要素があるが、そのうち二つが最も重要である。第一はインフォームド・コンセントである。[中略]第二の、もっと信頼できる予防策は、聡明で、博識で、良心的で、思いやりがあり、責任感の強い研究者である」(H. Beecher, "Ethics and Clinical Research," The New England Journal of Medicine, 274(24), 1966, p.1360)

ここでビーチャーが強調しているのは、いわゆる「徳」を備えた研究者を養成する必要性であり、そういう有徳な研究者による正確な説明を受けた上での被験者の同意である。このように、ビーチャーは、正しい医学教育によって徳を身に付けた医学研究者の自律(自己管理)と、インフォームド・コンセントによる被験者の自律(自己決定)の尊重という、いわば《二つの個人的自律の尊重》によって、医学研究の倫理性が確保できると考えていた。
 しかしながら、こうした個人的自律の尊重によるアプローチにも限界がある。第一に、たとえ有徳な研究者によって公正な説明がなされたとしても、被験者はそれを正確に理解できないかもしれない。たとえば既存の治療法のない病気の場合、患者はわずかでも効果が得られる可能性を信じて、危険性を顧みず、開発中の治療法に賭けることがある。第二に、医学研究者としての徳そのものが、被験者保護に対立してしまうこともある。たとえば真理の追求は科学者としての第一の徳であるが、真理を追求するために被験者を実験動物のように扱った例は歴史上に数限りなくある。また、患者の福祉を図ることは医師としての徳であるが、病苦にあえぐ多くの患者に福音をもたらそうとするあまり、目の前の被験者の人権をないがしろにしてしまうかもしれない。
 これらの限界は、医学者個人の自律ではなく、医学者集団の自律として、研究者相互でチェック(同僚審査、ピアレビュー)を行ったとしても、克服することは難しい。なぜなら、第一の限界は医学者ではなく被験者の側に内在する問題だからである。また、第二の限界は、科学者としての徳や医師としての徳が専門職としての医学者の間で共有されるべきものである以上、医学者集団の中で相互に審査をしても克服できないからである。
 第2節で述べたように、一九六八年まで米国の七割強のIRBは科学者と医師のみによって構成されていたが、これは各研究施設が当初はIRBを、研究者相互の同僚審査によって研究者集団の自律を発揮する場と考えていたことを示している。これに対して、米国政府がこうした構成では不十分と考えたのは、IRBが社会に開かれた公共的空間であるべきだと考えたからである。そこで、IRBには医学者だけでなく、別の領域の科学者、自然科学以外の研究者、研究者でない素人の市民などが、研究施設の内外から審査委員として加えられ、医学者が共有しているバイアスを緩和することが期待された。それは、医学研究の審査を、医学界内部だけで行うのではなく、医学界の外部に開き、社会の公共的な眼差しの下に行うことを意味する。
 こうした、社会による医療専門職の自律への介入は、医学研究がもはや研究者個人や医学界内部の資金ではなく、公的資金を投入して行われているという理由によっても正当化された。実際、第二節で述べたように、米国ではNIHが、IRBによる研究審査を、連邦の研究助成金を交付する条件として課している。

委員構成の問題──誰が審査すべきか
 だが、医学研究の審査が公共化されるとして、審査を行う委員会はどういう人々によってどのように構成されるのが、被験者保護にとって最も効果的であるといえるのか。医学者だけによる構成を避けるとしても、医学者以外の委員として、どういう分野から、どのような人々が、どのくらい参加するのが望ましいのか。
 R・M・ヴィーチは全米研究法が施行された翌年の一九七五年に発表した論文で、医学研究の審査を行う委員会には「学際的専門家審査モデル」と「陪審・代表モデル」という二つの理念型があると指摘している (R. M. Veatch, "Human experimentation committees: professional or representative?" Hastings Center Report, 5(5), 1975, pp.31-40)。「学際的専門家審査モデル」とは、医学や生物学など自然科学の研究者のほかに、社会学者、法律家、聖職者、哲学者など、自然科学以外の研究者や専門家を加えた委員会である。これに対して「陪審・代表モデル」とは、研究者や専門家ではない、常識のある理性的な普通の人々によって構成される。学際的専門家審査モデルは、医学者や自然科学者だけで構成されるわけではないものの、委員はすべて研究者や専門家であり、専門的知識を全然持たない素人は含まない。これに対して「陪審・代表モデル」では、専門的知識を持たないが常識を持つ素人が審査を行う(ちなみに、厳密には陪審モデルと代表モデルは区別されるが、その違いは、代表モデルでは委員が彼ないし彼女に代理を託した人々の意見を受け止めて審査に活かさなければならないが、陪審モデルでは委員がもっぱら自分自身の考えで判断するという点にしかない)。もっとも、これらのモデルはあくまで両極的な理念型であり、実際の審査委員会は二つのモデルの混合形態を取っている。
 社会による公共的な審査という方向を突き詰めるならば、委員会はヴィーチのいう「陪審・代表モデル」に到達するだろう。だが、誰が医学研究審査の主体なのかという点に関していえば、陪審・代表モデルの対極に位置するのは、学際的専門家審査モデルではなく、むしろ医学者だけで構成された委員会であるはずだ。これを仮に《医学者モデル》と呼ぶなら、学際的専門家審査モデルは医学者モデルと陪審・代表モデルの中間形態となる。陪審・代表モデルの委員会を構成する《常識ある理性的な普通の素人》は、研究計画の意義や内容を理解するための専門的医学知識を欠いている。また、医学者モデルの審査委員会を構成する研究者は、医学知識はあるけれども、研究に至上価値を置き、普通の人々が下す常識的判断を蔑ろにすることがある。医学者以外の研究者や専門家は、医学に関しては素人であり、その限りにおいては「常識ある理性的な普通の人」として振る舞いうる一方で、研究者であり専門家である以上、常識的判断よりも研究の遂行や専門的知識の追求を優先させる可能性がある。ヴィーチが陪審・代表モデルに学際的専門家審査モデルを対置させたのは、非医学者の専門家が、普通の人の常識よりもこうした専門家としての価値観に従う危険性を重視したからである。
 陪審・代表モデルでは、医学研究の審査は、医学に素人である委員によって行われる。委員は普通の人々として、被験者となる患者や健康な人々を代弁する視点から判断を下す。もっとも、審査委員は専門的な医学知識を持っていないので、もし研究計画書が医学者でなければ理解しにくい医学の用語や概念ばかりを駆使して書かれているなら、内容を理解できないだろう。だからこそ、陪審・代表モデルの審査委員会に対して研究者は、素人でも十分にわかるように平易な言葉と概念を用いて計画書を書かなければならなくなる。そのような計画書であれば、実際に研究対象となる被験者も、研究の目的や方法について理解できるだろう。そういう平易な研究計画書がどうしても書けない医学者のためには、素人にも内容をわかりやすく解説できる医学者をアドバイザーとして配するのも有用である。また、医学以外にも、法律や社会学や経済学や人類学や倫理学などの専門的知識も必要になる場合があるので、それらの分野の専門家もアドバイザーとし、学際的な諸専門家による《助言パネル》を設置するのが現実的かもしれない。しかし、これらの諸専門家の役割はあくまで助言者にすぎず、研究を審査し決定を下すのは《常識ある理性的な普通の人》たる素人の委員である。
 しかしながら《常識ある理性的な普通の素人》によって構成される陪審・代表モデルの委員会なら、最も被験者を保護できるような判断をつねに下せるだろうか。たとえば、素人ゆえに、研究申請者が偽ったり誇大に喧伝したりしている箇所などを見破れず、適正な審査ができない可能性がある。この可能性については、助言パネルにできる限り見解や分野の異なる医学者および諸専門家を集めれば偽りや誇大宣伝は見破れるかもしれないが、そうすると今度は、助言パネルの中で意見が割れてしまい、どちらの意見が正しいのか委員には判断がつかなくなるかもしれない。また、そもそも研究計画書やその解説を医学者や諸専門家に依存している以上、研究計画の意義や内容の理解において、医学者ないし専門家のバイアスを完全に免れることはできない。かといって、素人の委員が一生懸命勉強して専門的知識を身に付け、難解な研究計画書を専門家の解説なしに理解できたときには、委員自身が専門家の価値観に染まってしまい、もはや素人としての常識的判断ができなくなっているかもしれない。
 だが、こうした問題をすっきりと克服する方法はない。行き詰まりに陥ったら、審査委員会や助言パネルのさらに外側に視点を確保し、メタレベルでの公共的な議論を重ねていくしかない。陪審・代表モデルでうまくいかないからといって、学際的専門家審査モデルや医学者モデルに戻るわけにはいかない。それは、専門性よりも公共性のほうを重視する方向に踏み出した以上、必然的なことである。短期的に見ると効率が悪いかもしれないが、長期的に見れば公共的審査のほうが被験者をより保護できるはずだ、という信念と、公共性こそ被験者保護の理念を構成する不可欠な要素だ、という洞察が、医学研究審査を公共化の方向へと推し進めているのである。

地球規模の審査委員会へ──医学は誰のものか
 研究審査の公共化はまた、委員会が設置される場所についても変化をもたらす。先端的研究を推進することはしばしばその研究施設の利益に一致するから、施設内の委員会は研究にストップをかけるような結論を下しにくい。つまり、米国や日本のように施設内の一部門として審査委員会を設けると、委員会自体が本質的に利益相反を含むことになる。いくら外部委員を増やしても、委員会の存在自体を成り立たせているのがその研究施設である以上、この利益相反は解消できない。研究施設の運営者は、その施設の利益に反する結論を主張する委員を解任し、イエスマンの委員に交代させることで、研究審査の結論を操作することができる。したがって、研究を審査する委員会は、研究施設の内部にではなく、外部に設けたほうが、公共的審査の理念に合致する。この点で、研究審査を地域や中央政府の委員会で行っている欧州のほうが、より公共的な審査体制になっているといえる。施設内審査というのは、施設の自律と政府による監督の、米国的な妥協の産物にすぎない。
 ただし、先端的研究の推進は、地域や国の利益に一致することもある。とりわけ、ヒトゲノム研究や再生医療研究のように、先端医学研究の成果が特許になり、その有無が国益を左右するようになると、国や地域による研究審査も、国益との利益相反を含むようになる。すると研究審査を行う委員会は、もはや国を超えて、地球単位で設置する必要がある。
 もし医学が真に、あらゆる患者の「病を治し苦痛を癒す」ことを目的とし、医学研究が「全世界人類に貢献する」営みであるのなら、医学的知識や治療法はあらゆる人々に開放されたものでなければならない。医学的知識や治療法は、どんな患者でも利用可能な、人類の共有財産であるべきで、特定の施設や企業や国といった限られた社会集団に利益をもたらすものであってはならないはずである。すなわち、医学的知識や治療法は私的所有の対象になってはならず、特許は認めるべきでないことになる。このような普遍的観点を保持するためにも、医学的知識や治療法を生産する医学研究は、地球規模の不偏不党の機関によって審査し管理することが必要になる。
 地球単位の医学研究審査はまた、製薬企業の多国籍企業化という現実にも対応する。医薬品開発はすでに国境を越えて行われるようになっており、ICH―GCPは治験の国際化の要請に応じたものであった。医薬品開発の審査はもはや国単位の基準や機関による審査では対応しきれなくなってきている。そうであるなら、地球単位の基準や機関で審査を行うのが理に適っている。
 このように、地球規模の機関による審査こそ、公共的な医学研究審査の「最先端」の形態である。しかしながらこれは「人間のための医学」「すべての人々のための医療」「全世界人類のための医学研究」といったような、古くから繰り返し標榜されてきた理念を、真正直に突き詰めた帰結にすぎない。昨今の「先端医学研究」はじつのところ、すべての患者の利益ではなく、特定の医学者や研究機関や企業や国に限定された利益ばかりを追い求めている。それは、歴史的に語り継がれてきた医学の正統的理念からすれば、逸脱した「さもしい」医学でしかない。

参考文献
A・ミッチャーリッヒ&F・ミールケ編・解説(金森誠也・安藤勉訳)『人間性なき医学──ナチスと人体実験』ビイング・ネット・プレス、二〇〇一年
常石敬一『医学者たちの組織犯罪──関東軍第七三一部隊』朝日新聞社、一九九四年(朝日文庫、一九九九年)
浜六郎『薬害はなぜなくならないか──薬の安全のために』日本評論社、一九九六年
R・J・アムダー(栗原千絵子・斉尾武郎訳)『IRBハンドブック──臨床試験の倫理性確保、被験者保護のために』中山書店、二〇〇三年
J・I・ガリン編(井村裕夫監修、竹内正弘ほか監訳)『NIH臨床研究の基本と実際』丸善、二〇〇四年


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