「bioethics」とは、生命や生活を意味する「bio」と、倫理ないし倫理学を意味する「ethics」を結合して作られた言葉である。bioethicsは1970年代の米国で制度化され、主に1980年代になって日本へ導入された。しかし「bioethicsとは何か」という本質的な点については、世界的に見ても決して一つの見解が共有されているわけではなく、論者によって捉え方が異なっている。しかも日本では、どういう日本語の言葉(「バイオエシックス」「生命倫理」「生命倫理学」など)で言い表すかが、bioethicsの本質の捉え方に深く関わっており、問題を一層複雑にしている。そこで今回は「bioethics」「バイオエシックス」「生命倫理」「生命倫理学」といった言葉が、誰によって、いつから、どのような意味で使われてきたのかを、米国と日本について簡単に整理しておく。

1. 二つの「bioethics」──ポッターとケネディ研究所

 bioethicsという言葉を発案し、初めて公に用いたのは、癌の研究者であったV. R. ポッターである。ポッターは、人口増加や天然資源の浪費などによって地球の生態系が破壊されており、このままでは人類は滅亡しかねないとの強い危機意識を抱いていた。この危機を回避するには、生物学的知識を基盤とした上に、社会科学や人文科学をも含む諸科学の成果を結集して「行動の指針としての英知」を早急に築き上げなければならない。ポッターはこの英知のことを「bioethics」と呼び、この言葉をタイトルにした論文 (Potter, 1970) と著書 (Potter, 1971) を発表した。このようにポッターにとってbioethicsとは、地球環境の危機を克服して人類が「生き残るための科学 (the science of survival)」にほかならない。
 しかし当時の米国では、生命科学や医療をめぐる問題(臓器移植と死の定義、人工妊娠中絶、尊厳死・安楽死、医学実験、遺伝子操作など)について社会的な議論が提起されつつあり、議論の基盤としての学術的研究成果を提供するヘイスティングス・センター(1969年設立)やジョージタウン大学ケネディ倫理学研究所(1971年設立)などの専門機関も活動を始めていた。ヘイスティングス・センターではbioethicsという言葉はあまり使われなかったが、ケネディ研究所は設立当初の正式名称に「ヒトの生殖とbioethicsの研究のための」研究所とうたっており、そのメンバーは、重要論文集『今日のbioethicsの諸問題』(Beauchamp & Walters 1978) や『Bioethics百科事典』(Reich 1978) のように、bioethicsという言葉を冠した記念碑的著作を次々に世に送り出した。また、米国立医学図書館から助成を得てbioethicsの図書館を設立し『Bioethics書誌』を毎年発行している。さらに、医療従事者や研究者向けの「bioethics集中講座」を1974年から毎年行い、そこから教科書として定評のある『Biomedical ethicsの諸原理』(Beauchamp & Childress 1979) も生まれた。
 こうしたケネディ研究所の活動でbioethicsは、主にバイオテクノロジーや医療の問題に関連したものと捉えられている。たとえばL. ウォルターズは、『Bioethics書誌』第一巻の序論では「生物医学と行動科学の諸領域において生じる価値の問題に関する体系的研究」(Walters 1975, p. ix)、『今日のbioethicsの諸問題』の解説においては「生物医学の諸領域における実践や発展を研究する応用倫理学の一分野」(Beauchamp & Walters 1978, p. 49) と、bioethicsを定義している。またW. T. ライクは『Bioethics百科事典』の序論でbioethicsを「生命諸科学とヘルスケアの領域における人間の行為を、道徳的諸価値や諸原理に照らして吟味する体系的研究」(Reich 1978, p. 19) と定義した。T. ビーチャムとJ. チルドレスが『Biomedical ethicsの諸原理』において、あえて「bioethics」という言葉を避け「biomedical ethics」という言葉を冠したのも、ケネディ研究所のbioethicsが主に生命科学や医療をめぐる問題を対象としていることの表れである。
 ケネディ研究所でbioethicsという言葉を生命科学と医療の倫理問題をめぐる学際的研究領域をさす言葉に転用したのは、研究所設立の中心人物であり初代所長となったA. へレガーズである (Reich 1994, 1995a)。へレガーズは、米連邦政府や各種の財団、ジョージタウン大学内の基金などから計600万ドルもの研究資金をかき集めて、倫理学・生物学・社会科学などの分野の優秀な研究者を勢揃いさせ、「bioethicist」と呼ばれる専門家を養成する教育システムを築き上げた。
 これに対し、ポッターはジョージタウン流のbioethicsを「医療 (medical) bioethics」と呼び、自分のbioethicsは、当初の環境倫理的なbioethicsとジョージタウン流の医療bioethicsの両方を含んだ「地球 (global) bioethics」であると主張するようになった (Potter 1975, 1988)。ポッターは地球bioethicsを「受容可能な生存 (acceptable survival) のために医療と環境に関する優先事項の体系を樹立する科学を創り出す、さまざまな人文学的知識と結合した生物学」(Potter 1988) と定義した。だが、ポッターは自分のbioethicsを本格的に研究し展開する機関を持ち得なかったこともあって、米国内ではジョージタウン流のbioethics理解が一般に広まった。忘れ去られたポッター流のbioethicsは、むしろ米国の外で賛同者を得、彼自ら編集主幹を務めた雑誌Global Bioethics/Problemi di Bioethica はイタリアで出版されている。
 なお、1995年に出版された『Bioethics百科事典』の改訂版 (Reich 1995b) は、bioethicsを「学際的環境においてさまざまな倫理学的方法論を用いながら行う、生命諸科学とヘルスケアの(道徳的展望・意志決定・行為・政策を含む)道徳的諸次元に関する体系的研究」と定義し直している。2004年に刊行された第3版 (Post 2004) でも、この定義が踏襲されている。

2.「バイオエシックス」「生命倫理」「生命倫理学」−−日本への導入

 日本にまず紹介されたのはポッターのbioethicsであり、彼の『Bioethics』(Potter 1971) の邦訳は1974年に出版されたが、70年代の末頃には絶版になっている。この頃にはbioethicsという語も主に「バイオエシックス」とカタカナ書きにされていただけであった。この英単語は1977年に上智大学の青木清によって初めて「生命倫理」と訳される。上智大学はジョージタウン大学と同じくイエズス会によって設立された大学であり、75年頃から生命科学研究所の設立と生物科学専攻の新大学院設置を準備していたが、新大学院のカリキュラムに盛り込んだ「バイオエシックス」という科目名を文部省がカタカナ書きゆえに認めなかったので、青木が急遽この訳語を考え出したという (注1)。
 やがて、米国でケネディ研究所の活動成果として論集『今日のbioethicsの諸問題』や『Bioethics百科事典』などの刊行が相次いだことから、bioethicsを一つの学問領域として認知し、それを日本にも輸入しようとする動きが1979年から本格的に始まる。その先陣を切ったのは武見太郎と木村利人であった。
 武見は『Bioethics百科事典』の中の「日本の医療における伝統的職業倫理」(Takemi 1978) という項目を執筆する一方で、ポッターの「生き残るための科学」としてのbioethicsに持論「生存の理法」を重ね合わせて「生存科学」なる総合的学問体系を提唱した。武見によると「バイオエシックス」ないし「生命倫理」とは生存科学の内に位置づけられる、医療を受ける側の一般人の倫理(一般倫理)と医師の職業倫理(医の倫理)を統合した、新しい総合的倫理体系である。それは「〜するな」とばかり命じる消極的な古い倫理ではなく、近代科学の進歩に対応する新しい倫理であり、権利義務に先行する倫理でなければならない (武見1980a, 1980b)。
 一方、木村は1980年からケネディ研究所に所属しており、同年、ジャーナリスト岡村昭彦と組んで、日本全国36箇所で「バイオエシックス」を紹介する講演を行う。木村と岡村は、米国のbioethicsが60年代の公民権運動の影響を受けて成立し、患者や被験者の権利を護る言説を提供していることを強調する。木村によると「バイオエシックスとは、医療・医学のみならずビオス(生命・生物・生活)のすべてにかかわりを持つ、人間の尊厳の主張に根ざした人権運動であり公共政策づくり」(木村1987, p. 11) である。
 続いて1981年には、三菱化成生命科学研究所(現・三菱化学生命科学研究所)が社会生命科学研究室の中村桂子を中心に「バイオエシックス」のシンポジウムを開催した (三菱化成生命科学研究所ほか編1982)。また、上智大学のアンセルモ・マタイスやホアン・マシアらは、80年代前半にカトリックの立場から「バイオエシックス」について精力的に論じた (マタイス1981、マシア1983など)。
 しかし、1979年から1980年代前半に至る時期には、まだ限られた論者が専門的なメディアで精力的に著作活動を行っているだけで、マスコミの報道では「生命倫理」や「バイオエシックス」という言葉はほとんど使われていなかった。今日「生命倫理」の問題として扱われる事柄は、当時は主に「ライフサイエンス」の見出しの下に報道されていた。
 日本のマスコミが「生命倫理」という言葉を使い始めたのは1985年である。これは、同年2月に脳死移植の立法化を検討する「生命倫理研究議員連盟」が設立された (生命倫理研究議員連盟編1985) ことと、9月に厚生省の「生命と倫理に関する懇談会」が報告書 (厚生省健康政策局医事課編1985) を出したことによる。同年12月には厚生省の「脳死に関する研究班」が脳死判定基準を発表したこともあって「生命倫理」という言葉が次第に人口に膾炙するようになるが、その内容はもっぱら「医療bioethics」に相当していた。そして、客観的な立場から米国の医療bioethicsを検討し紹介する動きが、主に二つの方向で展開されるようになる。
 その一つは川喜田愛郎や米本昌平などによる科学史的な分析である。川喜田はbioethicsの学問としての体系性に疑問を抱き、むしろ「現代科学技術の生みだした医術とその周辺をめぐる新しく困難な一群の問題の総称」(川喜田1987) として「バイオエシックス」を捉えた。また、米本はbioethicsを1970年代米国の社会変動の文脈に位置づけて「バイオエシックス=70年代アメリカの学問説=医療思想革命」(米本1988) と図式化した。
 もう一つの方向はbioethicsの基本文献の翻訳である。なかでも千葉大学の加藤尚武と飯田亘之は、英文の文献を要約紹介ないし翻訳するプロジェクトを主導した (飯田ほか編1986、エンゲルハートほか1988、エンゲルハート1989など)。これを嚆矢として欧文の基本文献の翻訳書が次々に出版され、1980年代の後半からは、欧米の文献に即したbioethics研究も本格的に行われるようになる。これらの研究においてbioethicsの本質は『Bioethics百科事典』など海外の文献の定義に即して理解されることが多い。
 こうして学術的研究が盛んになってきた1988年には「日本生命倫理学会」と「生命倫理研究会」という、全国規模の二つの学術団体が相次いで設立された。このような学問的制度化が進むにつれて「生命倫理学」という言葉も次第に使われるようになってきた一方、学界の外部では、bioethicsを「生命操作を押し進めるイデオロギー」とみなして警戒する「反bioethics派」ともいうべき立場も生まれてきている (天笠1988、安藤1987など) (注2)。

注1:以上の記述は筆者の問い合わせに対する青木氏の返信、ならびに日米バイオエシックス会議東京会議第3日(1994年9月2日)における青木氏の発言に基づく。
注2:世界的にはこうした反bioethics派は障害者団体を中心に根強く、ドイツ語圏では激しい抗議運動も行われた。Singer 1991, 土屋1994などを参照。

 文献(著者・編者名のアルファベット順)
天笠啓祐 (1988) 「なぜバイオエシックスなのか」『技術と人間』175号 (第17巻第3号)、1988年3月、pp. 48-53.
安藤博行 (1987) 「二一世紀に向けた『医療』と『心理』──『脳死』と『生命倫理』を中心に」『臨床心理学研究』第24巻第3号、1987年1月、pp. 51-63.
Beauchamp, Tom L. and Childress, James F. (1979) Principles of Biomedical Ethics, first edition, Oxford University Press. (永安幸正・立木教夫訳『生命医学倫理』成文堂、1997年【1989年刊の第3版の邦訳】)
Beauchamp, T. L. and Walters, LeRoy B. (eds.) (1978) Contemporary Issues in Bioethics, first edition. Dickenson Publishing Company, Inc.
エンゲルハート、H. T. (1989) 『バイオエシックスの基礎づけ』朝日出版社 (Engelhardt, Jr., H. T., The Foundation of Bioethics, Oxford University Press, 1986 の邦訳)
エンゲルハートほか (1988) H. T. エンゲルハート/H. ヨナスほか、加藤尚武・飯田亘之編『バイオエシックスの基礎』東海大学出版会
飯田亘之・加藤尚武・土屋俊編 (1986) 『バイオエシックスの展望』千葉大学教養部総合科目運営委員会
川喜田愛郎 (1987) 「歴史のなかの医の倫理」唄孝一編『講座・21世紀へ向けての医学と医療第1巻 医の倫理』日本評論社、第1章、pp. 39-70.
木村利人 (1987) 『いのちを考える──バイオエシックスのすすめ』日本評論社
厚生省健康政策局医事課編 (1985) 『生命と倫理について考える』医学書院
マシア,ホアン (1983) 『バイオエシックスの話』南窓社
マタイス,アンセルモ (1981) 「生命倫理の原点」『ソフィア』第30巻第2号、1981年6月、pp. 169-177.
三菱化成生命科学研究所・中村桂子編 (1982) 『これからのライフサイエンス──バイオエシックス試論』工業調査会
Post, Stephen Garrard (ed.) (2004) Encyclopedia of Bioethics, 3rd ed., Gale Group.
Potter, Van Rensselaer (1970) "Bioethics, the Science of Survival," Perspectives in Biology and Medicine 14, pp. 127-153.
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---------------------- (1975) "Humility with Responsibility--A Bioethic for Oncologist: Presidential Address," Cancer Research 35[1975.9], pp. 2297-2306.
---------------------- (1988) Global Bioethics: Building on the Leopold Legacy, Michigan State University Press.
Reich, Warren Thomas (ed.) (1978) Encyclopedia of Bioethics, 4 Vols. The Free Press.
-------------------------- (1994) "The Word 'Bioethics': Its Birth and the Legacies of those Who Shaped It," Kennedy Institute of Ethics Journal Vol. 4-No. 4[1994], pp. 319-335.
-------------------------- (1995a) "The Word 'Bioethics': The Struggle Over Its Earliest Meanings," Kennedy Institute of Ethics Journal Vol. 5-No. 1[1995], pp. 19-34.
-------------------------- (ed.) (1995b) Encyclopedia of Bioethics, revised edition, 5 Vols. Macmillan.
生命倫理研究議員連盟編 (1985) 『政治と生命倫理──脳死・移植』エフエー出版
Singer, Peter (1991) "On Being Silenced in Germany," The New York Review of Books August 15, pp. 36-42.(市野川容孝・加藤秀一訳「ドイツで沈黙させられたことについて」『みすず』No.374[1992.5]/No.375[1992.6]); reprinted in Singer, Practical Ethics, 2nd edition, Cambridge University Press, 1993, Appendix, pp. 337-359.(塚崎智訳「ドイツで沈黙させられたこと」『実践の倫理[新版]』昭和堂、1999年、附録、pp. 401-425.)
Takemi, Taro (1978) "Traditional Professional Ethics in Japanese Medicine," in Reich (1978), pp. 924-926.
武見太郎 (1980a) 「人類生存秩序とバイオエシックス」日本医師会編『国民医療年鑑』昭和五五年版、春秋社、pp. 5-84.
-------- (1980b) 「生命倫理の展開」『日医ニュース』449号、1980年5月20日、p. 3.
土屋貴志 (1994) 「『シンガー事件』と反生命倫理学運動」『生命倫理』第4巻第2号、1994年10月、pp. 45-49.
Walters, LeRoy B. (ed.) (1975) Bibliography of Bioethics, Vol. 1., Gale Research Company.
米本昌平 (1988) 『先端医療革命』中公新書


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