第7回 ポストモダンの胎動:ブラックマウンティン派の詩人たち
 
私事で恐縮ですが、かつて米国留学中にニュージャージー州から車で大陸縦断をやったことがあります(大陸横断は中古のフォード車ではロッキー山脈を越えるのは無理なのであきらめました)。Rutgers大学のある New Brunswickから Interstate(州間高速道)95を南下して Philadelphia, Baltimore, Washington D.C.を抜け、ヴァージニア州に入るともう南部です。かつてEdgar Allan Poe(1809-49)が終生の大半を過ごし、彼の記念館もある Richmondに立ち寄り、今度は Interstate 85でさらに南下するとノースキャロライナ州に入ります。ノースキャロライナ大学[Universtiy of North Carolina]のある Chapel Hillを抜け、道路は西に向かいますが、Charlotteを過ぎて途中でInterstate 26を北上すると、Ashvilleという町があります。この町のはずれに米国では珍しい英国貴族風の大きな城 Biltmore Houseがありますが、近くには Black Mountainという山があり、同名の村もあります。またこのあたりの山にはチェロキー・インディアン(先住民というべきですが)たちの保護区 (reservation)があります。前置きが長くなりましたが、実はこの地にかつてオルソン(Charles Olson, 1910-70)を中心に Black Mountain Collegeという芸術家・文人のための学校が開かれ、「ブラックマウンティン派」と呼ばれる詩人たち、すなわち、オルソン、ダンカン(Robert Duncan, 1919-88)、レヴァトフ(Denise Levertov, 1923-)、クリーリー(Robert Creeley, 1926-)らが集いました。
 
(その後、私たちの大陸縦断旅行はBlue Ridge Parkwayという山間道路で Cherokee Indian Villageに辿り着き、そこのMuseumを訪れたあと、テネシー州に入り、Knoxvilleを抜け、カントリーミュージックの発祥地 Nashvilleに行くのをあきらめて Chattanoogaから Interstate 75でジョージア州に入って南下してCNNもある Atlantaに着き、キング牧師 [Martin Luther King, 1929-68]の生家を訪れます。ふたたび Interstate 85にのって Montgomeryというアラバマ州の州都を通りすぎてさらに南下すると Mobileという町に着きます。そこからメキシコ湾沿いにミシシッピー州の海岸を西へ行くとルイジアナ州の New Orleansに到着します。有名な French Quarterを訪れ、葉巻を吸いながらディキシーランドジャズに耳を傾けると、もうここはアメリカというよりカリブ諸島のような南国の地なんだという思いに囚われます。 市場や蝋人形館があり、カーニヴァルも行われるラテン的な町をあとにし、ミシシッピー川に浮かぶリヴァーボート(遊覧船)を横目に見ながら、川を北上すると南部農園が見えてきます。Natchezという町の近くで南北戦争以前の農場屋敷を再現した大邸宅 Monmouthで泊まり、オールド・サウスの雰囲気を楽しみます。 Interstate 55でミシシッピー州を北上し、テネシー州の Memphisを抜け、アーカンサス州をかすめてミズーリ州に入ります。さらにどんどん Interstate 55を北上し[時速 120-30キロでノンストップ10時間も運転したのを記憶します]、 St. Louisの町に到着します。もうここまで来ると南部ではなく中西部です。ミシシッピー川に架かる Gateway Archを望みながら、この古くからある開拓町の Union 駅を訪れます。大陸横断鉄道の歴史をふり返る駅構内をあとにし、さらにミシシッピー川沿いを北上すると、トウェイン[Mark Twain, 本名 Samuel Langhorne Clemens, 1835-1910]が幼少期を過ごした町 Hannibalがあります。そこでは野外劇場で 『トム・ソーヤの冒険』 The Adventure of Tom Sawyer [1876]の寸劇を観たり、 小説に出てくる洞穴探検を行ったりすることができます。ふたたびセントルイスに戻って Interstate 55にのり、イリノイ州を一路 Chicagoへ向かいます。途中で Springfieldという町には一時期弁護士を開業していたとあって、リンカーン大統領 [Abraham Lincoln, 1809-65]の記念堂があり、遺体が安置されています。またこの町にはマスターズ[Edgar Lee Masters, 1868-1950]と並び称される中西部の詩人リンゼイ[Vachel Lindsay, 1879-1931]の生家があります。シカゴでは二本のトウモロコシのような高層ビルや遠くインディアナ州まで見渡せる Sears Tower、印象派絵画のコレクションで有名なシカゴ美術館[The Art Institute of Chicago]や巨大な古代遺跡展示物などではニューヨーク自然史博物館を凌駕するフィールド自然史博物館[Field Museum of Natural History]、ミシガン湖を臨むおしゃれな岸辺などが記憶に残っています。後ろ髪が引かれる想いでInterstate 90にのり、左手に湖畔沿いの砂丘を横目にしながら、一路東部へと向かいます。インディアナ州の北をあっという間に過ぎてミシガン州に入ります。ミシガン大学[University of Michigan]に用事があったので半島のように突き出た地域を北へ Interstate 94にのりかえ、今度は東へKalamazoo, Battle Creek, Jacksonという町を通りすぎて大学のある Ann Arborへ着きます。用事を済ませて次は、東にある Detroitには行かずに南下してオハイオ州に入ります。Toledoという町近くでふたたびInterstate 90にのり、エリー湖を左に眺めながら、クレイン[Hart Crane, 1899-1932]の生ま育った Clevelandを駆け抜け、ペンシルヴァニア州の一部をかすめてニューヨーク州北西部の Buffaloを超え、国内ハネムーンのメッカでもあった Niagara Fallsでカナダを望みながら、滝を観ます。オンタリオ湖に臨む Rochesterをかすめて、東のSyracuseには行かずに Interstate 390にのりかえて南下しつつ、Corningという町でガラス工芸工場を見学したりします。コーネル大学 [Cornell Universtity]にも寄りたかったのでそこから田舎道を北上して Ithacaという大学町に着きます。山上に位置した大学キャンパスで、ピンチョン[Thomas Pynchon, 1937-]という現代作家も『競売ナンバー49の叫び』The Crying of Lot 49 [1966]のなかで「コーネル大学の図書館がある斜面の、その向こう側の日の出、つまり、その斜面が西向きなので、そこに立っているかぎり、だれにも日の出がみえはしない」"a sunrise over the library slope at Cornell University that nobody out on it had seen because the slope faces west" [Harper & Row, p.8]と言及した中世風の鐘楼まえの坂道を歩きます。あとはBinghamtonから Interstate 81を南下してペンシルヴァニア州には入り、有料道路(ターンパイク)などを乗り継ぎながら、帰路につきました。)
 
そこで本題の「ブラックマウンティン派の詩人たち」についてですが、その学校で彼らはお互いの詩を批評しあい、新理論樹立のために議論をしていました。またマース・カニンハム (Merce Cunningham, 1919-)やジョン・ケージ(John Cage, 1912-)といったパフォーマンス芸術家やポロック(Jackson Pollock, 1912-56)、ロスコ(Mark Rothko, 1903-)、デクーニング(Willem de Kooning, 1904-)、クライン(Franz Klein, 1910-62)、マザーウェル(Robert Motherwell, 1915-)などの抽象表現派に属する芸術家がこの学校で教えていました。そこでこれらの芸術家を媒介として、特にチャールズ・オルソンはその派の代表的詩論「投射詩論」("Projective Verse" 1950)を理論化するのです。ただ、ここではいかにしてオルソンの詩論が表現媒体の異なるジャンルの手法に動機づけられているかといった問題よりも、むしろ、いかにして当時支配的であった「保守的」な新批評的形式主義*に相対したか、そしてそのような前衛的身振りがイデオロギー的には「革新的」な戦後アメリカ社会の新しい国家主義的傾向に少なくとも表面的には合致するものであるか(これは告白詩人たちや[次回で扱う予定の]60年代ビートの政治的「反逆」とはむしろ異質な側面です)を考えてみたいと思います。
*「新批評」New Criticismとは主として50年代にテネシー州のヴァンダービルト大学 Vanderbilt Universityに集った南部の文人たち(Cleanth Brooks, Robert Penn Warren, Allen Tate, John Crow Ransom)が提唱した文学理論ですが、彼らが東部の大学に移ったりして全米の文学教育において支配的になりました。T・S・エリオットや I. A. Richards, William Empsonの批評に基礎をおき、主として歴史的・伝記的背景を捨象し、作品のみの自立性(「有機的全体」organic whole)を強調し、その構造(アイロニー、逆説など)を分析する形式重視の文学理論です。特にブルックスは『入念につくられた壺』The Well-wrought Urn (1947)やペン・ウォレンと共著の大学教科書『詩を理解する』Understanding Poetry (1976)等でその批評的立場をあきらかにしています。
 
まず、オルソンの代表的詩論である「投射詩論」"Projective Verse" (1950)の中心的主張の一つ「自我としての個人の叙情的介入を排除すること」 ("the getting rid of the lyrical interference of the individual as ego": Selected Writings [New Directions, 1966], p. 24)とは、オルソンの提唱する「事物主義」(Objectism) の方法ですが、自然の被造物としての人間的「自己」と他の「事物」のあいだの関係を再構築するという投射詩の方法を説明することになります。これに対して「非投射詩」の範疇には、T・S・エリオットの詩が入っており、その理由は「彼の詩の根幹は精神のみであり、それも学者の精神であり、・・・彼の聴覚においては耳と精神の領域に留まり、繊細な耳から外部へと向かうものであり、私が言うような投射詩人のように、詩人自身の咽から息がやってくる、息が発生する、つまり、そこでドラマが生まれ、偶発によって全ての行為が躍り出るところに向かう、ということなどないのだ。」(p.26)とあります。エリオットの頭脳的な詩や彼の古典主義的文学観に端を発した新批評の批評家・詩人たちも当然「非投射詩」の範疇に入ります。つまり、オルソンは、そういった体制的な詩観に対して最も早い時期に反旗を翻したと言えます。しかしそれにしても、何故「自我としての個人の叙情的介入を排除する」のでしょうか。ロマン派的叙情の自己を歌う詩(オルソン自身はキーツ、ワーズワース、ミルトンの名前を挙げ、彼らの「独我論的崇高」Egotistical Sublimeを表す詩、あるいは同時代的な「公共の壁にもある私的魂」 "private-soul-at-any-public-wall"の詩[告白詩?]と言及しています)でさえも彼によれば、新批評的古典主義の時代に至っても(さらには「ウィリアムズやパウンドの功績にもかかわらず」)浸透している詩の形であるとされており、これらの詩こそ、まさに「個人的な」「叙情」というロマン派以降の近代詩の特質である個人の神話を提供してきたといいます。しかしながら、戦後アメリカの物質主義・大衆消費社会においてもはや、そのような個人的神話の彫琢では解決しない問題として、個人の大衆化・均質化があるわけです。(これに対してのオルソン自身の詩論は、R・W・エマソンの『自然論』 Nature (1836)で主張されたような立場、つまり、個人の自我はより大きな存在と結びついており、狭い個人を超越することにより、詩的真実が得られるという立場に依拠するわけです。)そこでオルソンに言わせれば、詩人は社会文化に媒介されない「投射的」な表現形態により世界の生成する「プロセス」の流れに身を任せることが可能になるという訳です。
 
このように "a poem"を "a made thing"とみなすのでなく、"a process"としてそのパフォーマティヴな面を強調することは、当時の画一化しつつあり、無個性化しつつある個人、特に冷戦時代にはより抑圧的に内面化した個人を大きな存在にむすびつけるヴィジョンを提示することにより救済しようとした経緯において考えることが可能です(もっとも、この詩学の成功如何は評価が分かれています)。なるほど、このような詩的方法は明らかに抽象表現主義がとった芸術的方向と軌を同じくします。つまり、ポロックが「アクション・ペインティング」において使った方法は、創作する芸術家の主体は創作フィールドの中に失われ、カンヴァスに描かれた作品世界という小宇宙の枠を壊すことでより大きな一体感が醸し出され、より大きな外部世界を逆照射するというような方法です。 オルソンも同様に「カワセミ」"The Kingfishers" (1950)と題された詩の以下の冒頭部分において作者主体を解消すべく言語の「投射」を試みています。この詩はDonald Allen編の画期的なアンソロジーThe New American Poetry (1960)の巻頭を飾っており、彼自身の投射詩論においても一部を解説しているので、いわゆる「ポストモダン」な詩の典型といえます。
 
   What does not change / is the will to change
 
   He woke, fully clothed, in his bed. He
   remembered only one thing, the birds, how
   when he came in, he had gone around the rooms
   and got them back in their cage, the green one first,
   she with the bad leg, and then with the blue,
   the one they had hoped was a male
                (Selected Writings, p.167)
 
変化しないのは / 変化への意志だ。
 
彼は十分に服を着て、ベットのなかで身を起こした。彼は
たった一つのことしか覚えていない、小鳥たちがいかにして、
そう、自分が部屋に入って徘徊し、
籠のなかに小鳥を返してやる、まずは緑のヤツ、
次に悪い脚のメス、それから青いヤツ、
みんながオスだと望んだヤツ、それぞれがどうだったのか。
 
これらの詩行を読んでおそらく読者が感じるのは、冒頭の行分けを真ん中に挟んだ終止符のない文のもつ声明文的断片と、以下に続く行のかたまりの中にみられる暗示的な「彼」と「小鳥たち」の物語のあいだで生まれる、この詩全体の象徴的・寓意的な性格ではないでしょうか。「彼」が唯一記憶する「小鳥たち」のエピソード(部屋を回っては一羽ずつカゴに戻してやる行為)とは語り手が先ほど見た夢の続きなのでしょうか。さらに続く次の詩行では「彼」の出奔が語られます。
 
Otherwise? Yes, Fernand, who had talked lispingly of Albers & Angkor Vat.
He had left the party without a word. How he got up, got into his coat,
I do not know. When I saw him, he was at the door, but it did not matter,
he was already sliding along the wall of the night, losing himself
in some crack of the ruins. That it should have been he who said, "The kingfishers!
who cares
for their feathers
now?"
 
他にどんな?そうだ、フェルナンド、あいつはアルバース・アンド・アンコールヴァットのことを舌足らずに喋ってやがった。
あいつは一言も言わずにパーティから立ち去った。いかにして起きあがり、コートを着込んだかは
俺は知る由もない。あいつを見かけたときは戸口のところにいたが、そんなことはどうでもいいんだ、
奴はすでに夜の壁を滑るように往き、とある遺跡の割れ目のなかに
消えていってしまったのだ。「カワセミよ!」と叫んだのは彼であったはずだ、
 
「一体誰が
今になって気にかけるのか
あの小鳥たちの羽根を」と言っても。
 
「アルバース・アンド・アンコールヴァット」([後にベトナム戦の舞台となるカンボジアの]遺跡?)のことを舌足らずに喋っていたフェルナンドが「彼」であり、その彼が「一言も言わずにパーティから立ち去った」のであり、「私」が彼を再び見たときには「夜の壁を滑るように往き、とある遺跡の割れ目のなかに消えていってしまった」とあります。しかし、これらの詩行にアジアの遺跡に魅せられた西洋男性の出奔というような一定の意味を見い出し、その意味をアメリカ50年代のある種の文化的傾向に結び付ける以上に、詩人がここで自己をどのように記入しているのかという点を考えることは重要でしょう。つまり、語り手の「私」がこのような物語の導入を果たす一方で、「一体誰が 今になって気にかけるのか あの小鳥たちの羽根を」という呟きは「彼」の台詞でありながら、行を跨いだ断片化によって語り手の声とも、読者(作者)のそれとも決定されえない曖昧化を醸し出します。ある評者も指摘するように(Paul Breslin, The Psycho-Political Muse: American Poetry since the Fifties [The University of Chicago Press, 1987], p. 199)、語り手と読者の一体化した作者の声に象徴されるプロセスの手法は、なるほど、新批評的な形式重視の難解な詩ではなく、より現実との一体感をもたらす新しい詩を意味すると思われます。
 
(ただし、理論的にはブラック・マウンティン派の詩や詩論におけるプロセス化した主体の問題は、告白詩人の半ば自伝的な感覚主体をも解体するものですが、個人という主体を超えるためには結果的により大きな神話的物語に依拠せねばならなかった点は考えてみる価値があります。つまり、オルソンはその後、パウンドの『キャントウズ』やウィリアムズの『パターソン』、あるいはクレインの『橋』やベリマンの『夢の歌』に似た、というべきか、アメリカ詩人にとっての最大の詩的影響の根源である、あのウォルト・ホイットマンの『草の葉』に匹敵しようとして、厖大なライフワークである『マクシマス詩篇』を書くのです。そしてそれはとりもなおさず極めて神話的な、グロスターの町の英雄的ペルソナ「マクシマス」の物語になっています[ダンカンも「ダンスの存在・音楽の解決」 "The Presence of the Dance / The Resolution of the Music"と題した秘教儀式のような長い散文詩を書いています]。そこでの手法はかつてエリオットやパウンドが用いた神話的手法に大枠として依存しながらも、モダニストたちの瞑想的「意識の流れ」のコラージュによらない、より直接的な語り[呼吸のパフォーマティヴな投射]をうみだすことを意味するのです。)
 
ここで少しだけ、ブラックマウンティン派の理論的主導者であったオルソンが最終的にどういった詩を書いたのかを垣間見て彼の詩については終わりにします。以下はその巨大な『マクシマス詩篇』 The Maximus Poems(1950-70)の冒頭です。引用は最初の『マクシマス詩篇』(1960)として知られるものからです。
 
I, Maximus of Gloucester, to You
 
Off-shore, by islands hidden in the blood
jewels & miracles, I, Maximus
a metal hot from boiling water, tell you
what is a lance, who obeys the figures of
the present dance
 
1
 
the thing you're after
may lie around the bend
of the nest (second, time slain, the bird! the bird!
 
And there! (strong) thrust, the mast! flight
(of the bird
o kylix, o
Antony of Padua
sweep low, o bless
 
   the roofs, the old ones, the gentle steep ones
on whose ridge-poles the gulls sit, from which they depart,
 
And the flake-racks
of my city!
 
わたし、グロスターのマクシマスは、あなたに対して
 
沖合で、孤島のそば、血の
宝石と奇跡に隠れて、わたし、マクシマスは
沸騰する水からえた熱き金属として、あなたに
                  なにが槍であり、だれが現在の舞踏の
姿に従うかを述べるのだ
 
   1
   あなたが求めるものは
   巣のくびれのあたりに横たわっている
   (二番目の、殺された時の、その鳥だ、その鳥だ。
   
   そしてそこに。(強力な)ひと突き、帆柱が。飛行
(鳥のだ、
 おお、キリックス、おお
 パドゥアのアントニアよ、
 低く飛行せよ、おお祝福せよ
 
   屋根が続き、古いのもあり、緩やかに斜面をなすのもあり、
その上の棟木にはカモメたちがとまり、またそこから彼らは旅立つのだ、
 
                          そしてわたしの町の
羽毛のような棚があるのだ。
 
2
love is form, and cannot be without
important substance (the weight
say, 58 carats each one of us, perforce
our goldsmith's scale
          
feather to feather added
(and what is mineral, what
is curling hair, the string
you carry in your nervous beak, these
 
make bulk, these, in the end, are
the sum
(o my lady of good voyage
in whose arm, whose left arm rests
   no boy but a carefully carved wood, a painted face, a schooner!
a delicate mast, as bow-sprit for
 
forwarding
 
   2
   愛は形だ、そして重要な中身なしでは
存在することは出来ない(例えば、
われわれの誰もが58カラットの重さで、必然的に
   われわれの金細工師の秤でだが
 
              羽根と羽根を重ね合わされ
(そして鉱石がなんであり、縮れ毛
がなんであろうと、きみの神経質な嘴に
運んでいる口輪とやらで、これらが
 
かさばり、これらが最後は、
総量となるのだ
(おお 幸先のよい旅のわが守護神よ
汝の腕のなか、汝の左腕は
少年を休めることなく、注意深く彫られた木、塗られた顔、帆船となるのだ。
華奢な帆柱、前進のための
               船首斜樟になる
 
  3
  the underpart is, though stemmed, uncertain
  is, as sex is, as moneys are, facts!
  facts, to be dealt with, as the sea is, the demand
  that they be played by, that they only can be, that they must
  be played by, said he, coldly, the
  ear!
 
  By ear, he sd.
  But that which matters, that which insists, that which will last,
  that! o my people, where shall you find it, how, where, where shall you listen
  when all is become billboards, when, all, even silence, is spray-gunned?
 
  when even our bird, my roofs,
  cannot be heard
 
  when even you, when sound itself is neoned in?
 
  when, on the hill, over the water
  when she who used to sing,
  when the water glowed,
  black, gold, the tide
  outward at evening
 
  when bells came like boats
  over the oil-slicks, milkweed
  hulls
 
  And a man slumped,
  attentionless,
  against pink shingles
 
  o sea city)           
 
下の部分は、茎となっているが、不確かであり
セックスや金銭がそうであるように、事実だ。
海がそうであるように、対処されるべき事実であって、
弄ばれる需要として、唯一弄ばれるのみで、
いや弄ばれねばならぬ、と冷たく彼はいう、つまり、
耳だと。
 
耳によって、彼曰く。
が、それは問題となり、主張し、永続するものだ。
それは。おお我が民よ、どこでそれを見つけられるか、いかにして、どこで
すべてが広告板となり、すべて沈黙さえも、スプレー式ペンキで塗られるときにどこでそれを見つけられるというのだ。
 
我らの鳥、我らの屋根の音が
聞こえて来ぬときに
 
君の声さえもそうだ、音自体がネオンのなかに入れられている時には。
 
丘の上で、海を見渡すところ
かつて歌を歌っていた彼女がいて、
海水が光り、
黒く、金色に、潮が流れ出て
夕方時に
 
油で光る海水の上を漕ぐボートのように鐘が聞こえ、トウワタの草のように
帆をふくらませ
 
そして一人の男が
注意を失って
ピンク色になった砂利石の上に崩れ落ちるのだ
 
おお 海よ 町よ)
 
4
one loves only form,
and form only comes
into existence when
the thing is born
born of yourself, born
of hay and cotton struts,
of street-pickings, wharves, weeds
you carry in, my bird
         
of a bone of a fish
of a straw, or will
of a color, of a bell
of yourself, torn
 
  4
ひとは形しか愛せない
そして形とは中のものが
生まれるときに
存在するのだ
それはあなた自身の中から生まれるし、
乾し草や綿の支柱棒からも、
道の拾いものからも、波止場や、君の運ぶ
雑草からも生まれるのだ、我が鳥よ
魚の骨からも
藁からも、一つの
色や鐘の音からも、
君自身からも生まれるだろう、引きちぎられて
 
5
love is not easy
but how shall you know,
New England, now
that pejorocracy is here, how
that street-cars, o Oregon, twitter
in the afternoon, offend
a black-gold loin?
 
how shall you strike,
o swordsman, the blue-red back
when, last night, your aim
was mu-sick, mu-sick, mu-sick
And not the cribbage game?
 
(o Gloucester-man,
weave
your birds and fingers
new, your roof-tops,
clean shit upon racks
sunned on
American)
braid
with others like you, such
extricable surface
as faun and oral,
satyr lesbos vase
 
o kill kill kill kill kill
those
who advertise you
out)
愛は容易ではない
が、どうやってそれがわかるのだろう、
ニューイングランドよ、悪態政権がある以上、
おおオレゴンよ、市電が午後には囀り、黒い黄金の
股を不快にさせるとは。
おお銛手よ、いかにして汝は
青く赤い背中を打ちのめすのか、
昨晩、君の目的はオンガク、オンガク、オンガクであり、
トランプのクリベッジ・ゲームではなかったのに。
              (おおグロスターの男よ
               汝の鳥たちと指を
絡め合わせよ、
あらたに、君の屋根の上で
棚の上にきれいな糞が
日の光で乾されている、
アメリカ的だ
君のような者と
より合わされ
ファウヌスや口腔のように
遊離できる表面となり、
サティロス、レスボス、瓶
 
おお殺せ 殺せ 殺せ 殺せ 殺せ
あれら
汝を外に
宣伝する輩を
 
6
in! in! the bow-sprit, bird, the beak
in, the bend is, in, goes in, the form
that which you make, what holds, which is
the law of object, strut after strut, what you are, what you must be, what
the force can throw up, can, right now hereinafter erect,
the mast, the mast, the tender
mast!
 
The nest, I say, to you, I Maximus, say
under the hand, as I see it, over the waters
from this place where I am, where I hear,
can still hear
 
from where I carry you a feather
as though, sharp, I picked up,
in the afternoon delivered you
a jewel,
it flashing more than a wing,
than any old romantic thing,
than memory, than place,
than anything other than that which you carry
 
than that which is,
call it a nest, around the head of, call it
the next second
 
than that which you
can do!
The Maximus Poems, ed. by G. F. Butterrick [Univ. of California Press, 1983], pp. 5-8 [I.1-I.4])
中へ、中へ、船首斜樟よ、鳥よ、嘴を
中へ、くびれは、中へ、入っていく、汝が
作った形が、持ちこたえるもの、それは
物体の法則、支柱ごとに、かくある汝、かくあるべき汝の、力が
投げあげるもの、そう、まさに今これから打ち立てるのだ、
帆柱を、帆柱を、華奢な
帆柱を。
 
       巣だ、とわたしはあなたに言う、わたしマクシマスは言うのだ、
片手の下、見えるかぎり、海上を
今いるこの地から、ここではわたしは聞くのだ、
いまだに聞こえるのだ、
 
わたしがあなたに一つの羽根を運んだところから
あたかも、鋭く、わたしは拾い上げる、
午後にあなたに持ち運んだ
宝石を、
それは翼よりも輝き、
どんなロマンティックなものよりも、
記憶よりも、場所よりも、
あなたが持ち運ぶもの以外の何よりも
 
つまり、それは
一つの巣(ネスト)と呼ぼうではないか、その頭のあたりを、二番目の(ネクスト)
次なるものと呼ぼうではないか
 
つまり、あなたができる
ことだ。
 
注釈(以下はGeorge F. Butterick, A Guide to The Maximus Poems of Charles Olson [Univ. of California Press, 1978], pp. 5-15を参照)
 
I. 1 "I, Maximus of Glouster, to You"
以下も手紙の形をとった作品となっている(I.1はワシントンで 1950年五月に書いたとされる Vincent Ferrini宛の書簡)。
I. 1 "Maximus"
この人物については「マクシマス、英雄、沸騰する水から生まれた金属で、1949-50年の冬に生まれる、38-39歳」と詩人は記す。C. G. ユングのいう「ホモ・マクシマス」という原型的人間であり、2世紀の古代ギリシアの折衷派哲学者タイアのマクシマスも念頭にあるという。
I. 2 "Glouster"
メルヴィルの研究者(主著Call Me Ishmael [1947])でもあった詩人(郵便配達夫を父親にもつユダヤ系アメリカ人として育ち、Wesleyan, Harvard等で学んだ成績優秀な学徒であるが、積極的な民主党員であり、連邦政府で勤め、奨学金をもらってマヤ文明研究も行った)の生まれ故郷。この町のルーツをめぐって後に英国まで調査も行っている。この詩においては特別な象徴性が担わされているのは明白。
I. 1. "Off-shore, by islands hidden in the blood. . . "
". . . Olson described Maximus as 'a person who speaks from further east than Glouceter to the city,' i. e., from Tyre [. . .]. Maximus then is also a projection (more so because the poet is living in Washington while addressing Glouster, the place of his youth). . ."
I. 1 "metal hot from boiling water. . ."
原稿に"a scalpel"(外科医用メス)という言葉があるらしい。次の行の "a lance"との関連か。
I. 1 "the figures of / the present dance"
". . . from the root out, from all over the place, the syllable comes, the figures of, the dance."という言葉が「投射詩論」にはある。
I. 1 "Antony of Padua"
フランシスコ派修道士(1195-1231)でグロスターの町(ポルトガル人地区)の守護聖人となっている。
I. 1 "58 carats"
. . . Used in the sense in which the poet writes elsewhere, 'the highest --40 hours a day -- price' ("Projective Verse," Human Universe, p. 54)"; "'WCW[William Carlos Williams] loses his pearl, the 400 grams, the finest pearl of modern times' ("On poets and Poetry," Human Universe, p. 64)"という表現を参照。
I. 2 "my lady of good voyage"
グロスターの町のポルトガル人地区にある Church of Our Lady of Good Voyageという教会には帆船を抱く聖母マリア像があり、これはT・S・エリオットの『四つの四重奏曲』("Dry Salvages": "Lady, whose shrine stands on the promontory, / Pray for all those who are in ships, those / Whose business has to do with fish, and / Those concerned with every lawful traffic / And those who conduct them.")にも出てくる。
I. 2 "said he, coldly, the / ear!"
詩論として、詩人の耳を言及する。"the ear, the ear which has collected, which has listened, the ear, which is so close to the mind that it is the mind's, that it has the mind's speed. . ." ("Projective Verse", 前掲書、p. 54)という表現を参照。Cf. "'to play it by ear' --urging, that is, the spontaneous conduction of life: 'MONEY, first -- SEX. They are the only things (things are so impossible) that anyone has their eye on. And they both get to be nothing when they are no longer played by ear' (letter to Robert Creeley, ca. February 1951)."
I. 2 "On the hill, over the water / where she who used to sing. . ."
. . . As a young man, in the summer of 1929, Olson would row across the harbor from the beach near his house above Stage Fourt Park, to work and study at the Gloucester School of the Little Theatre, which was located in a loft above Tarr's Railway. . . .
I. 3 "pejocracy"
"Literally, 'worse-rule' (Latin pejor, and -ocracy, as in democracy, from the Greek krateia), a worsening form of government. Borrowed from Pound, Canto LXXIX of The Pisan Cantos; first used by Olson in 'The Kingfishers.'"
I. 3 "street-cars, o Oregon, twitter / in the afternoon"
"See Olson's letter to Cid Corman, 28 May 1951. . . : 'Oregon, I think, if you know oregon like I know oregon, you'd, I think, think that it is still (the coast!) strangely frontier, where, a streetcar is as it was when it was NEW . . . instead of something . . . with a radio in every car . . . ' Streetcars in Washington, D. C., when Olson was living there in the late 1940's, and perhaps at the time this poem was composed, had recorded music piped in to 'ease' the travellers."
I. 3 "how shall you strike, / o swordsman"
"A 'striker,' to the Gloucester fishermen, is the swordfish harpooner."
I. 4 "mu-sick"
"See also 'ABCs(3-for Rimbaud),' written ca. June 1950: 'musick, mu-sick--music / worse than war, worse / than peace, & they both dead . . . ,' followed by 'Who pleas for the heart, for the return of, into the work of, / say, the running of / a street-car?' -- where music or 'mu-sick' and streetcars are again closely related. . . "
I. 4 "faun and oral, / satyre lesbos vase"
"Suggestive of the classical Greek condition (an oral, i. e. Homeric, pre-literate culture, and Lesbos, the island in the Aegean, home of Sappho), though also classic psycho-sexual distortions. Cf. Olson's remarks in a letter to Creeley, 19 February 1952: '. . . it works out, doesn't it, that if you hide, or otherwise duck THE ORAL as profoundly phallic --if you try to ignore the piles of bones . . . you leave out the true animal bearing of the species and in the end -- (to come back to my own beginning)--you pay for it by sex, and sex alone, becoming the only ORAL, and thus, the very inversion of the whole PHALLIC base --you get the present ultimate DELINQUENCE (example, Hitler, who, was a copralagnist [sic]).'"
I. 4 "o kill kill kill kill kill . . ."
"Conceivably an echo of King Lear IV. vi. 191. Olson writes to Creeley, 29 November 1951: 'Lear constantly repeats nouns and verbs, usually five or six times, the same word, as tho[ugh] it was returning from the concave walls of a stiff, steel space: . . . Howl, how, . . . is picked up by Kill, kill, . . . god, these words, RETURNING. . . .'"
 
以上、どうですか。もう、何が何だか、さっぱり分からないといったあきらめにも似た声が聞こえてきそうですが、このようにオルソンの考える投射詩とはまず、何よりも読者に対して「開かれている」のです。つまり、如何様にも意味を構築できそうで(拙訳はあくまでも暫定的・便宜的なものです)、読者にとって手掛かりは若干の多分に作者に特有な神話表象と荒い息づかいくらいです。でも、まさに「息」を通じて、言葉が身体性を取り戻し、まるでポロックの抽象画のように絵の具の一滴が独特な表情をもって語りかけてくる、そして、その長い物語の背後には何か深遠な哲学がある、と感じさせるに十分な詩になっていませんか。もちろん、あまりに「抽象的」過ぎてなんのことかさっぱり分からないと言う人は多いと思います。ですから、この「詩学の成功の是非は評価が分かれる」と述べましたが、なるほど、バタリックという学者の『案内』を頼りにその厖大な長篇詩を読破するにはかなりの勇気と根気が要りそうです*。
*オルソンの詩をもっと冷静に考えようとするには、Andrew Ross, The Failure of Modernism: the symptoms of American poetry [Columbia Univ. Press, 1986]のなかのオルソン論が参考となります。いかに彼が「ポストモダン」ではなく、エリオットなどのモダニズムの枠組みで作詩しているかが伝記的に論じられています。
 
ここでこの流派に属した他の詩人たちの作品も簡単に観ておきたいと思います。まずはオルソンに一番近かったダンカンの詩です。上にも触れた「ダンスの存在・音楽の解決」 "The Presence of the Dance / The Resolution of the Music"という長詩の題名に似た「ダンス」という詩をここでは読んでみましょう。
 
THE DANCE
 
from its dancers circulates among the other
dancers. This
would-have-been-feverish cool excess of
movement makes
each man hit the pitch co-
ordinate.
 
Lovely their feet pound the green solid meadow,
the dancers
mimic flowers ?root, stem, stamen and petal
our words are
our articulations, our
measures.
 
It is the joy that exceeds pleasure.
You have passed the count, she said
or I understood from her eyes. Now
old Friedl has grown so lovely in my years,
I remember only the truth.
I swear by my yearning.
You have conquerd the yearning, she said
the numbers have entered your feet . . .
 
Turn,  turn,  turn
when you're real gone, boy,  sweet boy . . .
Where have I gone, Beloved?
into the Waltz, Dancer.
 
Lovely our circulations sweeten the meadow.
In Ruben's riotous scene the May dancers teach us our
 learning seeks abandon!
 
Maximus called us to dance the Man.
We called him to call
  season  out of season-
d mind?
 
    Lovely
join we to dance green to the meadow.
 
Whitman was right. Our names are left
  like leaves of grass,
likeness and liking, the human greenness
 
tough as grass that survives cruelest seasons.
 
   I see now a radiance.
The dancers are gone.
They lie in heaps exhausted,
dead tired we say.
 
They'll sleep until noon.
 
But I returned early
for the silence,
for the lovely pang that is
 
a flower
 
returened to the silent dance-ground.
 
That was my job that summer. I'd dance until three, then
up to get the hall swept before nine ?beer bottles,
cigarette butts, paper mementos of the night before.
Writing it down now, it is the aftermath, the silence I
remember. Part of the dance too, an articulation of the
time of dancing. Like the almost dead sleeping, I've
got it in a poem, about Friedl, moaning in the depths of.
But that was another room. Part of my description. What
I see is a meadow . . .
 
   I'll slip away before they're up
and see the dew shining.
(1956, published in Measure; Allen, ed. The New American Poetry, pp. 46-47)
 
そのダンス
 
それを演ずるダンサーたちから他のダンサーのあいだで
めぐり回る。この
熱っぽくもある冷たい動きの
過剰さが
おのおの男に 調子を 調
律させる。
 
愛らしく彼らの脚は緑の生い茂る草原を叩き、
ダンサーたちは
花を真似る、その根、茎、雄しべと花弁を、
だってわれわれの言葉は
われわれの調音、 われわれの
韻律だから。
 
それは快楽に勝る悦びだ。
あなた、韻律の数え方やり過ごしたわよ、と彼女が言った、
いや彼女の目がそういっているように理解した。今や
馴染みのフリードルはかくも愛らしく成長し、
わたしは真実しか覚えていない。
誓って言うが、それは憧れなのだ。
あなたって憧れは克服したはずじゃないの、と彼女が言う、
だって数があなたの脚韻に入ってるから・・・
 
切り返せ、 切り返せ、 切り返せ
坊っちゃん、あなたが本当にいなくなる時によ、 甘えん坊さん・・・
一体どこにおれが行くというんだい。
ワルツ、ダンサーの中へよ
 
愛らしくわたしたちのめぐり回りは草原を甘くする。
ルーベンスの描いた暴動場面で五月のダンサーたちはわれわれに
学識とは放擲を求めるものと教えているのだ。
 
マクシマスはわれわれに人間のダンスをするよう呼びかけた。
われわれは彼に 季節を
季節で 味付けされたこころ
から呼び込むように呼びかけたのだ。
 
愛らしく
われわれは草原に緑のダンスを加えるのである。
 
ホイットマンは正しかった。われわれの名前は
草の葉のように残っているのだから、
相関性と相愛性の点でだが、 人間の青々しさが
 
もっとも残酷な季節を生き残る草のように丈夫であるためだ。
 
わたしはいま輝きをみる。
ダンサーたちは消えてしまった。
彼らは束で疲れ果て横たわっている、
つまり、死んだように疲れていた。
 
彼らは正午まで眠るだろう。
 
しかしわたしは早くに戻り、
あの沈黙、
あの愛らしい痛みを求めるのだ
 
それは
 
あの静かなダンスの地面に帰る花のものだ。
 
以上がその夏の私の課題だった。私は三時までダンスして、それから
九時にまでにそのダンスホールを片づけるのだった、ビール瓶や
煙草の吸い差しや昨晩の紙の残りなどを。今その時のことを書いてみると、
私が思い出すのは、その余韻や沈黙である。ダンスも部分的に思い出す、
ダンスの調律なども。ほとんどの死んだような眠りに似て、フリードルに
ついてもその深みに呻きながら、詩の形で得たのだ。でもそれは別の可能性だ。
私の記述法の一部になっているから。わたしが見ているのは草原なのだから・・・
 
私は彼らが起きる前に忍び出て
朝露が輝いているのをみるつもりなのだ
 
 
以上、かなり恣意的な訳を試みましたが、いかがですか。なにやら冒頭ではタイトルが主語となって詩行にそのまま入っていきますが、微妙にもどかしく、それでいてピンと張りつめたようなダンサーたちの表情を捉えようと詩の言語は走ります。そしてダンスにおけるリズムの(それは血液の循環から循環的肉体運動までの)調律が同時に韻律という言葉のリズム、さらにはダンサーが踏みしめる大地という自然界のリズムとなっていく過程を通じて、もう「憧れ」などという静的な心の動きではなく、数の拍子のリズムが身体に入り込む意味で、心身の同一化現象が語られます。特に「切り返せ、 切り返せ、 切り返せ」という言葉がダンスと作詩の両場面を彷彿とさせるわけですが、おぼろげながらに昔観たルーベンスの肉感的な絵画に描かれた身体表現に西欧の知の一つの結末をみ、さらには師匠オルソンのマクシマスの踊りやホイットマンの大地に根ざした詩的イメージが想い起こされると、突如、啓示的瞬間が訪れます。「わたしはいま輝きをみる。/ ダンサーたちは消えてしまった。」というたったの二行でこの詩的啓示のヴィジョンが言及されます。具体的になんであったかというよりも、もうすでに「沈黙」や余韻としての肉体的「痛み」しか残っていない。そこで以上のような体験を回想する散文を介して、そのような体験が追憶としてしか残響を残さない現状の説明、最後に体験を取り戻そうとする決意のような身振りの導入で詩が終わっています。
 
このダンカンの短詩ではいかにオルソンの大上段な虚構の身振りとは異なった、もっと知性的に繊細で音楽的な性格が垣間見れたと思います。身体的体験の再現をこのように自由な形で表現することは確かに抽象表現派の芸術に結びつくと思われますが、詩形がマンネリ化するにつれ、その実験的なきな臭さが少々鼻につくと感じるのは私だけでしょうか*。
*ダンカンの詩の理想主義的な面を肯定的に解釈し、いやもっと全般的に、ブラックマウンティン派に端を発したこのような実験的前衛詩を肯定的に捉えて今日の詩の流れを考えようとするのであれば(これはわたし自身の課題でもありますが)、そのような前提で作成された詩のアンソロジー、Douglous Messerli, ed. with intro., From the Other Side of the Century: A New American Poetry 1960-1990 [Sun & Moon Press, 1994]を買われることを勧めます。このアンソロジーは 1960年のアレンのアンソロジーをその精神を生かしつつ、90年代の詩までに拡大して収録したものなので、あとの講義で扱う予定のビート、ニューヨーク派、言語詩といった実験的な前衛詩人を流れが分かるように一冊に収録したリーダブルな詩集となっています。また、付言すれば、このような詩集でないと個別に詩人の詩集を収集せねばならないほど、アカデミックなアンソロジーでは実験的で反アカデミズム的な前衛詩が排除される傾向にあることは事実です。現代詩全般については定評のあった The Norton Anthology of Modern Poetry, ed. by Richard Ellman & Robert O'Clair [Norton, 1973]はもうすでに古くなっており(もっとも1988年に2版がでました)、アメリカ詩研究の権威であった Helen Vendlerによるアンソロジー The Harvard Book of Contemporary American Poetry [Harvard Univ. Press, 1985](The Faber Book of Contemporary American Poetry [Faber, 1985])はあまりにアカデミックで実験詩では代表的詩人さえも入っていません。もっと近年出版された Anthology of Modern American Poetry, ed. Cary Nelson [Oxford Univ. Press, 2000]は多文化主義の今日の詩観を反映はしていても代表的詩人の代表的アンソロジーにはなっていない憾みがあります。日本ではたびたび訳文の引用に使わせて貰っている『現代詩集U』(鍵谷幸信編、新潮社)ではロウエル止まりですし、『アメリカ名詩選』(亀井俊介・川本皓嗣編、岩波文庫)や『アメリカの詩を読む』(川本皓嗣、岩波セミナーブックス)ではアメリカ詩の全体像はある程度分かっても最近の詩人は分かりません。またより近年の『アメリカ現代詩101人集』(D・W・ライト編、沢崎順之介他訳、思潮社)では網羅的であっても編集の意図があまり分からないように評者には思えます。
 
この派に属したもう二人の詩人の作品を簡単にみておきたいと思います。最初はデニーズ・レヴァトフです。彼女は英国生まれでアメリカ人の夫と出会ってからも 1948年にニューヨークに定住するまでヨーロッパの大都市を転々としたユダヤ人女性であり、ブラックマウンティン大学で学んだというわけでないのですが、ダンカンやクリーリィと親交があってアレンのアンソロジーで一緒にされました。本人もW・C・ウィリアムズに一番影響を受けたと語っており、本来はもっと別の評価がなされるべき詩人ですが、以下のような詩においては、確かにブラックマウンティン派が壊そうとしたアカデミックな修辞を排する形で、60年代以降に顕著となる口語自由詩のリズムが現れていると思われます。
 
  MERRITT PARKWAY
 
    As if it were
  forever that they move, that we
    keep moving ?
 
      Under a wan sky where
      as the lights went on a star
        pierced the haze and now
      follows steadily
             a constant
      above our six lanes
      the dreamlike continuum . . .
 
   And the people ?ourselves!
    the humans from inside the
    cars, apparent
    only at gasoline stops
             unsure,
     eyeing each other
       drink coffee hastily at the
      slot machines and hurry
     back to the cars
      vanish
      into them forever, to
      keep moving ?
 
  Houses now and then beyond the
  sealed road, the trees / trees, bushes
  passing by, passing
    the cars that
      keep moving ahead of
    us, past us, pressing behind us
                 and
         over left, those that come
      toward us shining too brightly
  moving relentlessly
 
     in sex lanes, gliding
    north and south, speeding with
    a slurred sound ?
     (from Overland to the Islands [1958]: The New American Poetry, pp. 61-62)
 
  マーリット・パークウェイ
 
    あたかも永遠に
  それらが動いているかのように、つまり、
    わたしたちが動き続けているのだがー
 
        微かに光る夜空には
        ヘッドライトが照らすなか、星が
          薄もやを突き刺し、いま
しっかりとついてくる
わたしたちの走る
六車線のうえを一定に
夢のような連続体となって・・・
 
  そして人間と言えば、わたしたちだけだ。
     それもクルマのなかから
     ガソリン所でだけ
     みえるが
         心もとなく
     互いをながめるのだ
        自動販売機でそそくさと
      コーヒーを飲み、また
     いそいでクルマに戻り
       永遠に消えてしまう
       動き続けるためにー
 
  密封した道路のむこうに家が
  ちらほらみえる、森が 森や茂みが
  通りすぎる、わたしたちの前をまっすぐに
    動きつつある
       クルマを通りすぎる
私たちを越えて、うしろへと押しやる
そして
         左のほうから、われわれに
向かってくるものはあまりに眩しく
容赦なく動いてくるのだ
六車線で、北や南へと
  滑るように、不明瞭な音をだして
疾走するのだー
 
どうですか。アメリカの道路を夜間疾走することを書いただけのなんの変哲もない詩ですが、よく注意してその行の切り方や間(ま)の取り方などをみると、オルソンの言った、まさに呼吸だけで詩を形作るなかで、実に忠実に疾走する車窓から眺める夜空とか、休憩のために立ち寄ったガソリン所の雰囲気、風景などが描かれています。おそらく英語より先にイディッシュ語を使っていた詩人がアメリカ英語のリズムをこのように自然に表現するにはかなり意識的な作業が必要だったと思われますが、ウィリアムズの場合と同じく、アメリカ人になろうとした外国詩人の言語の使い方はその意味でも特徴的だと思われます*。
*移民の国であるアメリカの言語的現実は実に多文化的ですが、いわゆる中西部の英語を基本としたアメリカニズム(アメリカ語法)はサンドバーグやエミィ・ロウエルの詩に典型的に見出すことが出来ます。レヴァトフの詩もジャマイカ生まれの詩人シンプソン(Louis Simpson, 1923-)と並んで今日の大衆的な口語自由詩の基本として評価されているようです。cf. Hank Lazer, ed. What Is A Poet? (Univ. of Alabama Press, 1994)
 
最後にあつかうクリーリィの経歴はむしろレヴァトフと逆のパタンです。彼はマサチューセッツ生まれでハーバード大学に行っていましたが、在学中にインドやビルマ(ミャンマー)に行ったり、結婚してからもフランスのプロヴァンスやスペイン等で暮らしています。オルソンの招きでブラックマウンティン大学で教えることになりましたが、ガテマラに暮らしたり、日本に来てもいます。そのような国際的な詩人がおそらくアメリカ詩的言語についてどう変革しようとしたのかを考えるのは重要でしょう。
 
THE INNOCENCE
 
Looking to the sea, it is a line
of unbroken mountains.
 
It is the sky.
It is the ground. There
we live, on it.
 
It is a mist
now tangent to another
quiet. Here the leaves
come, there
is the rock in evidence
 
or evidence.
What I come to do
is partial, partially kept.
(from Le Fou [1952]: The New American Poetry, p.77)
 
無垢
 
海に向かって眺めると、それは
途切れることのない山の稜線であった。
 
それは空だ。
それは大地だ。そこに
われわれは住んでいる、その上に。
 
それはもう一つの静寂に
直角に接する
霧だ。ここに木の葉が
集い、そこに
目立った岩、
 
つまり証しがある。
わたしがやろうとすることは
部分的で、一部が隠されている。
 
IF YOU
 
If you were going to get a pet
what kind of animal would you get.
 
A soft-bodied dog, a hen ?
feathers and fur to begin it again.
 
When the sun goes down and it gets dark
I saw an animal in a park.
 
Bring it home, to get it to you.
I have seen animals break in two.
 
You were hoping for something soft
and loyal and clean and wondrously careful ?
 
a form of otherwise vicious habit
can have long ears and be called a rabbit.
 
Dead. Died. Will die. Want.
Morning, midnight. I asked you,
 
if you were going to get a pet
what kind of animal would you get.
(from A Form of Women [1959]: The New American Poetry, pp. 81-82)
 
  もしあなたが
 
  もしあなたがペットを飼うつもりなら
  どんな種類の動物がいいですか。
 
  柔らかい体つきのイヌ、ニワトリー
  もう一度やり直すための羽根や毛皮です。
 
  陽が落ちて暗くなると
  わたしは公園にイヌをみかけます。
 
  あなたに差しあげるために家に連れてかえります。
  わたしは動物がまっぷたつに割れるのをみました。
 
  あなたはなにか柔らかいものを望んでました
  忠実で清潔ですばらしく注意深いものをー
 
  そうでなければ、悪い習慣をもつかたちが
  長い耳をもってウサギと呼ばれます。
 
  死んでます。死んだんです。死ぬでしょう。死んでほしい。
  朝がきて、夜がくる。わたしはあなたに尋ねます、
 
もしあなたがペットを手に入れるつもりなら
  どんな種類の動物がいいですか。
 
どうです。いずれも内容からすると、まるで小学生が書いた作文のように実に素朴、でも、意外な感性や仕掛けがあるという感じ。そうです。大学で難解で修辞を極めた詩を勉強した詩人がこのような平明な詩を書くのです。強いて技巧と言えば、行分け(line break)や音の連関ぐらいですが、俳句や短歌のような凝縮もあり、それでいてのびのびしています。もう詳しくそのような技巧を調べることはしませんが、最後にもう一つ、クリーリィの伝統的なバラッド形式を踏まえたと言うか、パロディにしている詩を読んで、駆け足でしたがブラックマウンティン派の詩人たちの講義を終わります。
 
  BALLAD OF THE DESPAIRING HUSBAND
 
  My wife and I lived all alone,
  contention was our only bone.
  I fought with her, she fought with me,
  and things went on right merrily.
 
  But now I live here by myself
  with hardly a damn thing on the shelf,
  and pass my days with little cheer
  since I have parted from my dear.
 
  Oh come home soon, I write to her.
  Go fuch yourself, is her answer.
  Now what is that, for Chritian word,
  I hope she feeds on dried goose turd.
 
  But still I love her, yes I do.
  I love her and the children too.
  I only think it fit that she
  should quickly come right back to me.
 
  Ah no, she says, and she is tough
  and smacks me down with her rebuff.
  Ah no, she says, I will not come
  after the bloody things you've done.
 
  Oh wife, oh wife ?
  I never loved no one but you.
  I never will, it cannot be
  another woman is for me.
 
  That may be right, she will say then,
  but as for me, there's other men.
  And I will tell you I propose
  to catch them firmly by the nose.
 
  And I will wear what dresses I choose!
  And I will dance, and what's to lose!
  I'm free of you, you little prick,
  and I'm the one can make it stick.
 
  Was this the darling I did love?
  Was this that mercy from above
  did open violets in the spring ?
  and made my own worn self to sing?
 
  She was. I know. And she is still,
  and if I love her? then so I will.
  And I will tell her, and tell her right . . .
 
  Oh lovely lady, morning or evening or afternoon.
  Oh lovely lady, eating with or without a spoon.
  Oh most lovely lady, whether dressed or undressed or partly.
  Oh most lovely lady, getting up or going to bed or sitting only.
  Oh loveliest of ladies, than whom none is more fair, more gracious, more beautiful.
  Oh loveliest of ladies, whether you are just or unjust, merciful, indifferent, or cruel.
  Oh most loveliest of ladies, doing whatever, seeing whatever, being whatever.
  Oh most loveliest of ladies, in rain, in shine, in any weather ?
  Oh lady, grant me time,
  please, to finish my rhyme.
      (from A Form of Women: Ibid., pp. 80-81)
 
  絶望しかけている夫の唄
 
  奥さんとおれは二人で暮らしていたんだ、
  諍いこそがおれたち二人の暮らしだったんだ。
  おれはあいつとやり合えば、あいつはおれとやりやがる、
  これはどっこい楽しかったんだ。
 
  でも今じゃ、おれはここで一人暮らし
  戸棚にほとんどなにひとつなくなって、
  すでにあいつと別れてからは
  楽しみおさらばの生活よ。
 
おい もういい加減に帰っておくれ、と書いたんだ。
くたばっちまえ、ていうのがあいつの返事。
言葉遣いに気をつけやがれ、
乾いたガチョウの糞を食べるといいと言ってやった。
 
でもおれはあいつのことは愛してる、本当なんだ。
あいつと子供のことは愛してるんだ。
ただおとなしくおれの許に
帰ってくれるといいんだがね。
 
いやよ、と言った。なんともタフに
ぴしゃりとおれを撥ねつけやがった。
いやよ、と言った。わたし
あんなことされたら戻らないわ。
 
おい おい 聞いておくれ、
今までおまえ以外にだれも愛しなかったんだ。
今後もそうだし、ほかの女なんて
あるはずがないんだ。
 
そりゃ結構ね、とあいつが言うんだ。
でもわたしには、ほかの男がいるのよ。
言ってやるわ、わたしぜったい
しっかりとものにしてやるわ。
 
そして好きな服を着るのよ。
そして踊るわ。失うものなんかあるもんですか。
わたしはあなたから自由なの、とんまさん。
あんたのほうこそ我慢するのよ。
 
これがおれの愛した女か。
これが春にスミレを咲かせ
古びた自分を歌わせた
天の報いなのか。
 
以前はそうだった。分かってる。おれが愛せば
いまでもそうだ。それならそうしよう。
あいつに言ってやるんだ、きちんと言ってやるんだ・・・
 
おお うるわしきおまえ、朝でも夜でも昼でも。
おお うるわしきおまえ、スプーンを使って食べようが食べまいが。
おお かくもうるわしきおまえ、服を着ていようが、脱いでいようが、脱ぎかけでも。
おお かくもうるわしきおまえ、起きようとしていようが、寝ようとしていようが、坐っていようが。
おお もっともうるわしきおまえ、だれもおまえほど色白で、優雅で、美人ではない。
おお もっともうるわしきおまえ、汝が正しかろうが、なかろうが、やさしかろうが、冷たかろうが、厳しかろうが。
おお かくももっともうるわしきおまえ、なにをしようが、みようが、どうであれ。
おお かくももっともうるわしきおまえ、雨の中でも、陽の中でも、どんな天気でも。
おお おまえ、おれに時間をくれ、
お願いだから、この唄を終えるまで。