第1回 T・S・エリオット
 
「はじめに」の言葉を発してから、すでにこの講座を受講している人が最低10名はいることがわかりました!!メール・リストでの皆さんのそれぞれに個性ある発言を踏まえて今回から、もっと本格的な授業に入りましょう。
 
憶えてますか?先回の「深夜の独り言」では早朝に風呂に入って床につくというところで終わっていたのを!でもこれは短い春休みだから出来たのです(大学教師には、一般社会の勤労者と違って、たしかに貴族的な時間の余裕が残っています──休み期間中はいわゆる在宅勤務なので、自分の自由がききます)。でも、もう4月、学校が始まりました。最近はセメスター制とかで、昔の通年授業と違って、前期・後期の集中2学期制なので、4月の開始も小学校並みなのです。ああ、四月はなんとも残酷な月!
 
April is the cruellest month. . .
 
そう、エリオット(Thomas Sterns Eliot, 1888-1965)という詩人も言っています。かの有名な『荒地』(The Waste Land, 1922)第1節「死者の埋葬」"The Burial of the Dead" の冒頭は次のように始まります。
 
 April is the cruellest month, breeding
Lilacs out of the dead land, mixing
Memory and desire, stirring
Dull roots with spring rain.
 
     四月は最も残酷な月、
  死んだ土地からライラックの木を生み出し、
  記憶と欲望を混ぜ合わせ、
  春雨で活気ない根っこを掻き乱す。
 
以上は私の試訳ですが、西脇順三郎(1894-1982)という昭和の詩人・英文学者は次のように訳しています。
 
  四月は残酷極まる月だ
  リラの花を死んだ土から生み出し
  追憶に欲情をかきまぜたり
春の雨で鈍重な草根をふるい起こすのだ。
(新潮社『世界詩人全集 T・S・エリオット』より)
 
詳細に較べてみると、やはり『旅人かへらず』(昭和22年[1947])や『あむばるわりあ』(同年)などを書いた詩人の感性は微妙に異彩を放っています*。
*エリオットに深く影響を受けた西脇の詩についてもっと知りたい人は、『西脇順三郎詩集』や新倉俊一『西脇順三郎全詩引喩集成』という本が参考となるはずです。
 
日本でも第2次世界大戦、いわゆる太平洋戦争後に「荒地」というグループが出来、鮎川信夫、田村隆一、中桐雅夫、加島祥三といった詩人たちが同人誌の月刊『荒地』(1947)や年刊『荒地詩集』(1951-58)を発刊していますが、それらの命名は戦後の殺伐とした風景がエリオットの『荒地』が舞台とした第1次世界大戦後の風景と重なるためだったのでしょう。中心的役割と果たした田村隆一には以下のような詩があります。
 
      秋
 
   包帯をして雨は曲っていった 不眠の都会をめぐって
 その秋 僕は小さな音楽会へ出かけていった 乾いたドアに閉ざされた演奏室 固い椅子に腰かける冷酷なピアニスト そこでは眠りから拒絶された黒い夢がだまって諸君に一切の武器を引き渡す 武装がゆるされた 人よ 愛せ 強く生を愛せ
 
 ドアの外で 新しいガアゼを匂わせて雨は再び街角を曲り 港へ 薄明の港から暗黒の海へ 星かげなき幻影の世界へ
 唇は濡れた やがて僕の手は乾いた さよなら 女は僕とすれちがって出ていった ドアの外へ ひとりの背の高い男が雨に濡れながら僕を待っている 生きるためにか死ぬためにか ドアを隔てて僕らは弾丸を装填する 祝福せよ 孤独な僕らにも敵が現れた 鏡の中で僕の面貌は一変する 鳥肌たつ生のフィクション! ドアの外へ 不眠都市とその衛星都市 七つの海と巨大な砂漠 夏のペテルスブルグから冬のパリへ 女は激烈に唄った まだ愛してる まだ愛してる そして東京 秋!世界は僕の手で組み立てられ アンテナの下で夢みている この時 ソナタ形式による覚醒の一瞬間を 諸君自らに問うがいい……あたしは願う 死ぬことの自由を 拍手が起こりはじめた 僕は椅子から立ち上る 母さん! 
                (『四千の日と夜』1956所収)
 
敗戦後の日本には、なるほど「包帯をした雨」のように、至る所に復員兵の姿があったと思いますが、このような斬新な隠喩(メタファー)を使った、前衛的な「モダニズム」の詩のイメージにはエリオットなど欧米の詩人の手法を真似たものがあります。田村自身、自伝的に以下のように述べています。
 
・・・三商(現、東京都立第三商業高校)入学と同時に、二・二六事件、そして日支事変勃発、卒業にいたるまで拡大しつづけて、戦火は全中国におよび、ヨーロッパでは第二次世界大戦に突入。昭和十五年、原文で、はじめて、T・S・エリオットの『荒地』を読む。(ちょうど研究社から北村常夫の注釈本が出版されたばかりだった)ぼくが、『荒地』の第一部を、「生硬な」日本語ではじめて読んだのは、『新領土』の昭和十三年八月号、上田保氏の訳によるものだった。
夏は驟雨(にわかあめ)をともなって
スタルンベルガァ湖の上にやって来て
我々を驚かした。       (上田保氏初訳稿)
そして、原文によって、「我々」を驚かしたものが、「夏」そのものであることに気づいたとき、日本語では経験できない、語の使用法を僕は知った。
Summer surprised us, coming over Starnbergersee
With a shower of rain.
(『田村隆一詩集』[現代詩文庫・思潮社] 87頁)
 
例によって横道に逸れましたが、エリオットの最初の引用は以下のように続きます。
 
Winter kept us warm, covering
Earth in forgetful snow, feeding
A little life with dried tubers.
Summer surprised us, coming over the Starnbergersee
With a shower of rain; we stopped in the colonade,
And went on in sunlight, into the Hofgarten,
And drank coffee, and talked for an hour.
Bin gar keine Russin, stamm'aus Litauen, echt deutsch.
And when we were children, staying at the arch-duke's,
My cousin's, he took me out on a sled,
And I was frightened. He said, Marie,
Marie, hold on tight. And down we went,
In the mountains, there you feel free.
I read, much of the night, and go south in the winter.
(T. S. Eliot, The Complete Poems and Plays, p.61)

冬はわたしたちの体温を保ってくれた
忘れっぽい雪で大地を被い
小さい生命(いのち)をひからびた球根(ね)で養いながら。
夏はシュタルンベルガーの湖上をわたって
わたしたちを驚かした。わたしたちは柱廊に立って雨やどりし、
それから陽(ひ)のさすなかを通ってホーフ・ガルテンに入り、
それからコーヒ飲んだ、それから一時間ばかりお喋りした。
あたしロシア人だなんてとんでもない、これでもリトゥアニア生まれよ、生粋のドイツ種よ。
それで子供の頃あたしの従兄(いとこ)の太公のうちに泊まっていたら
その従兄(いとこ)が橇にのっけてくれたの。
あたし怖かったわ。その従兄(いとこ)がいうのよ、マリちゃん、
マリちゃん、しっかりつかまっておいでって。それからどっとすべり降りたの。
あの山の中にいると、あそこはとってものんびりするのね。
夜はたいてい本を読み、冬が来ると南へ行くんです。
             (深瀬基寛訳。『T・S・エリオット』[筑摩書房]より)
 
この『荒地』という詩は、引用した第一部「死者の埋葬」、第二部「チェス・ゲーム」、第三部「火の説教」、第四部「水死」、第五部「雷が言ったこと」という風に、全部で433行もある長篇詩です。また詩人自身の注にあるように、旧約聖書、ケルト伝説の物語詩『トリスタンとイゾルデ』、タロット占い、ボードレール、ダンテ、シェイクスピア、ミルトン、古代ウパニシャドなどなど、といった具合に目も眩むような引用がちりばめられ、難解な現代詩として研究者を熱狂させた一方、同じアメリカ詩人のウィリアムズをして「エリオットは私たちを教室へと連れ戻した」と非難させたものです。
 
でも様々な西欧文学古典や文化人類学者ウェストンやフレーザーの本に書かれた様々な神話を知らなければ、この詩が分からないかと言えば、そんなことはありません。むしろその逆です。詩人自身、「自注」をつけたのは失敗だったと述べたことがありますが、いずれにせよ、そのような研究者が喜ぶような学問的関心で詩を読む必要はありません。
 
そこでもう一度、上の引用に戻ります。むしろこの部分の解釈で大事なことは、ここで描かれる物語内容が実際、詩人エリオットの経験したことだ、ということです。『愛しすぎてー詩人の妻』(原題 Tom & Viv)(1994)という映画にもなったエリオットと彼の妻ヴィヴィアンの暮らしが下敷きになっていることは明白なのです。というのは、ヴィヴィアンは精神錯乱を伴う病気をもっていたらしく、夫エリオットはそのことで日々悩み、彼自身も精神崩壊の危機にあったと伝記にはあります。事実、1920年暮れには、彼はロイド銀行に勤めるかたわら、その年に出した処女評論集『聖なる森』The Sacred Wood の受けが良くなかったにもかかわらず、さらにスウィーニーという人物を主人公とした劇の構想、文芸評論誌『クライテリオン』(1922-)創刊準備、そして新詩集『彼は異なる声で警察新聞を読む』He Do the Police in Different Voicesの構想をし(これが『荒地』の原型です)、超多忙な日々を送っています。そういったなか、彼自身も心労が重なって三ヶ月間休職し、最初はロンドン近郊の海辺の保養地マーゲイトへ行き、次いで今度は妻の治療のため、スイス・ローザンヌでかの有名な精神科医フロイトのもと、冬を過ごしたのです。彼自身は精神分裂病的な無意志症候群と診断されたらしいですが、『荒地』には、そんな夫婦の会話とおぼしき部分があります。
 
'My nerves are bad to-night. Yes, bad. Stay with me.
Speak to me. Why do you never speak. Speak.
 What are you thinking of? What thinking? What?
I never know what you are thinking. Think.'
 
I think we are in rats' alley.
Where the dead men lost their bones.
 
'What is that noise?'
The wind under the door.
What is that noise now? What is the wind doing?'
Nothing again nothing.
'Do
'You know nothing? Do you see nothing? Do you remember
Nothing?'
 
I remember
Those are pearls that were his eyes.
'Are you alive, or not? Is there nothing in your head?
But
O O O O that Shakespeherian Rag
It's so elegant
So intelligent
'What shall I do now? What shall I do?
I shall rush out as I am, and walk the street
With my hair down, so. What shall we do tomorrow?
What shall we ever do?'
The hot water at ten.
And if it rains, a closed car at four.
And we shall play a game of chess,
Pressing lidless eyes and waiting for a knock upon the door.
("II. A Game of Chess" 111-138)
 
「あたしこんやはなんだかへんなの。そうなのよ。いっしょにいてよ。
なんとかあたしにいってよ。あんたなんにもしゃべらないのね。なんとかいってよ。
なにかんがえてるの? なにかんがえて? なァに?
あんたがなにをかんがえてるのかちっともわかりァしない。考えるのよ。」
 
わたしはかんがえる、わたしたちはネズミどもの路地にいて
死んだやつらの骨までが行方不明になるそうな。
 
「あのものおとはなんでしょう?」
ドァの下洩る風だろう。
「それ、あのおとはなんでしょう? かぜはなにをしているの?」
無為 また 無為
「あんた
なんにもしらないの? あんたなんにもみえないの? おもいださないの
なんにも?」
     わたしは憶い出す、
かのひとの、在りし日の眼、いまは真珠。
「あんたいきてるの、しんでるの?あんたのあたまからっぽなの?」
だがね――
おお おお おお おお、シェクスピヒーアまがいのあのぼろっ切れ――
なんと嫻雅(かんが)の措詞だろう
なんと聡明の理達だろう
「あたし、これからどうするの?どうするの?
あたし、きのままとびだすの、まちなかをのさばるの、
さんばらがみの、このざまで。あたしたち、あしたはどうするの?
あたしたち、これからいったいどうするの?」
                  十時にお風呂。
で、もし雨でも降ろうなら、四時にセダンの車としよう。
で、チェスの遊びを一席いかがでしょう
(ふた)なしの両眼に手をあてながらドァのノックを待ちましょう。
                     (深瀬訳)
 
以上の他にも「『マーゲイトの浜辺。私は何も連想できなかった。汚れた両手の割れた爪。私の家人(ひと)、控えめな家人は何も期待しないの。』あーあ。」"'On Margate Sands. / I can connect / Nothing with nothing. / The broken fingernails of dirty hands. / My people humble people who expect / Notrhing.' / la la" ("III. The Fire Sermon" 300-6)というセリフや、「燃える 燃える 燃える 燃える おお神よ 汝は我を摘み賜うた おお神よ 汝は摘み賜うた 燃える」"Burning burning burning burning / O Lord Thou pluckest me out / O Lord Thou pluckest // burning"(308-10)という祈りとも叫びともつかない言葉があったりして、いかにこの時期エリオット夫妻が悩める日々を送っていたか想像できます。
 
そんなエリオットはローザンヌに行く途中、パリに立ち寄り、エズラ・パウンドという先輩詩人に会い、それまでの原稿を見せ、また帰りにも彼に会って今度はこの詩全体の最終原稿を渡しています。今日、私たち一般の読者が目にする『荒地』は実はこのパウンドによる大幅な修正・削除の後のものです。しかし、1971年に『荒地・草稿版』 が出版され、研究者たちは一様にいかにエリオットの草稿が詩人の赤裸々な私生活を映し出しているかに驚き、その評価も当初の難解な学識にみちた理知的な詩から、個人の悩める感情を吐露した詩という風に変化しました。
 
そうなのです。やはり、詩(文学)は、頭脳だけで作れるものではありません。人生体験というものが必要なのです、作る側も受け取る側も。人を愛したり、失ったり、結婚して親となったり、会社に勤めて社会人となったり、旅をしたり、病気になったり、事故にあったり、その他もろもろの喜怒哀楽を伴う人生体験を経て、人は体験を書きとめ、慰めとすることを憶えます。だけど、実際の人生体験がないと文学が分からないかといえば、そんなことはありません。人は想像するという能力を持ち合わせていて、実際に知らない事柄でも想像し、共感することで経験できます。実際に経験を積む中で、むしろ日常的に新鮮さを失い、麻痺していく意味では、逆に文学のような虚構体験の方が純粋に経験できるとも言えます。ただし、ある程度、人生を豊かに生きて、体験に対する感性を磨いていなければならないと思います。
 
またまた脱線ですが、なぜこんな青臭いことを書いたのか。それは、詩で書かれた体験内容やイメージが、実際の詩人の生活そのものなのか、という問題があるからです。正確に言って、「実際の生活そのものを描く」というような告白的な私小説にしても、いや、ルポルタージュという報道的な記録文にしても、ありのままに現実を再現することは不可能です。どこかに体験した者の視点や感情が入ってくる。つまり、それは再現されたときにはすでに虚構なのです。これは当然のことのように思えますが、このことに気づかず、ただただ文人たちの伝記を読み、それを文学体験に置き換える人は多いのです。あるいはこのような置き換えは伝記的な研究の陥りやすい欠点でもあります。(今まで詩の背景や伝記的説明で何となく、詩が分かった気になってきた私たちもその誹りは免れえません。)
 
エリオットに戻りますが、『荒地』では詩人は何を言いたかったのでしょう*。
*これはレポート課題です。『荒地』全体でなくとも、少なくとも上に引用した箇所だけでも結構です。
 
この時点でエリオットの詩的世界について、皆さんは若干なりとも感想をもったと思いますが、実はこれは出発点にすぎないのです。実にエリオットは『荒地』(1922)までに『プルフロックおよび他の詩』Prufrock and Other Poems (1917)、『詩集』Poems (1920)と出版していますが、さらにその後、『虚ろな人々』The Hollow Men (1925)、『聖灰水曜日』Ash-Wednesday (1930)、『四つの四重奏』 Four Quartets("Burnt Norton," 1935; "East Coker," 1940; The Dry Salvages," 1941; "Little Gidding," 1942)といった詩集、さらに『大聖堂の殺人』Murder in the Cathedral (1935)、『一族再会』The Family Reunion (1939)、『カクテル・パーティ』The Cocktail Party (1950)、『秘書』The Confidential Clerk (1954)、『長老政治家』The Elder Statesman (1958)といった詩劇、ミュージカル『キャッツ』の脚本となった『実際的な猫についての老ふくろネズミの本』Old Possum's Book of Practical Cats (1939)という面白い本などを出しています。
 
ここで、通常の90分授業なら、そろそろ学生のあいだに眠気が襲ってくる時間ですので、このインターネット講義の受講生の皆さんは、コーヒーを飲むなり、音楽を聴いて息抜きをして後半の講義につき合ってください。
 
では、もう一つだけ彼の詩を読んでみることにしましょう。以下の引用は『四つの四重奏』の第一部「バーント・ノートン」冒頭からです。
 
Time present and time past
Are both perhaps present in time future
And time future contained in time past.
If all time is eternally present
All time is unredeemable.
What might have been is an abstraction
Remaining a perpetual possibility
Only in a world of speculation.
What might have been and what has been
Point to one end, which is always present.
Footfalls echo in the memory
Down the passage which we did not take
Towards the door we never opened
Into the rose-garden. My words echo
Thus, in your mind.
But to what purpose
Disturbing the dust on a bowl of rose-leaves
I do not know.
Other echoes
Inhabit the garden. Shall we follow?
Quick, said the bird, find them, find them,
Round the corner. Through the first gate,
Into our first world, shall we follow
The deception of the thrush? Into our first world.
There they were, dignified, invisible,
Moving without pressure, over the dead leaves,
In the autumn heat, through the vibrant air,
And the bird called, in response to
The unheard music hidden in the shrubbery,
And the unseen eyebeam crossed, for the roses
Had the look of flowers that are looked at.
There they were as our guests, accepted and accepting.
So we moved, and they, in a formal pattern,
Along the empty alley, into the box circle,
To look down into the drained pool.
Dry the pool, dry concrete, brown edged,
And the pool was filled with water out of sunlight,
And the lotos rose, quietly, quietly,
The surface glittered out of heart of light,
And they were behind us, reflected in the pool.
Then a cloud passed, and the pool was empty.
Go, said the bird, for the leaves were full of children,
Hidden excitedly, containing laughter.
Go, go, go, said the bird: human kind
Cannot bear very much reality.
Time past and time future
What might have been and what has been
Point to one end, which is always present.
(Complete Poems and Plays, pp.171-72)
 
現在の時も過去の時も
たぶん未来の時の中にあり、
また未来の時は過去の時に含まれる。しかし
もしもあらゆる時が常にそこにあるなら
あらゆる時が贖えなくなる。
「そうなっていたかもしれない」ことは
臆測の世界でのみいつも可能な
抽象にすぎない。しかし
「そうなっていたかもしれない」ことも「そうなっている」ことも
所詮(しょせん)は同じことで、いつもそこにある。
足音が記憶の中にこだまを響かせながら
まだ通ったことのない狭い路地を辿って
まだ開けたことのない扉に向かい
バラ園に入って行く。ぼくの言葉も
そんなふうにきみの心にこだまする。
                しかし水鉢のバラの
花びらに積もったほこりを煽(あお)って、何になるのか
ぼくにはわからない。
まだほかにもこだまたちが
バラ園にいる。追いかけてみようか。
「早く」小鳥が言った、「見つけて、見つけて。
あの角を曲がった所さ。」最初の門を通って
はじめての世界へと、ひとつ
ツグミに欺されたつもりで行ってみようか。はじめての世界に。
いた、こだまたちが、目に見えないが、堂々たる風格で、
秋の熱気、ふるえる空気の中を、
枯葉を見おろしながらふわふわと飛びまわっていた。
茂みの中にひそむ音のない音楽に
応(こた)えて小鳥が声高く囀(さえず)った。
すると、目に見えない視線が交錯した。バラたちが
見てもらう花の眼差(まなざし)をしていたから。
そこではバラはぼくらのお客さん――互いに敬意を表(ひょう)しあった。
それでぼくらは、こだまたちも連れだって型どおりに並び、
だれもいない小径(こみち)を通り、特別席におさまって
乾いた水溜(みずため)のなかを見おろした。
水溜は乾き、コンクリートは乾き、縁(ふち)は茶色。
やがて水溜に日光の水が漲り、
蓮がしずかに伸びて来た。
水面が光の真芯からきらめいて現れた。
こだまたちは、ぼくらのうしろで水溜はからになった。
そのとき一片の雲が通過し、水溜はからになった。
「行ってごらん」小鳥の声がした、「葉の陰に子供たちがいっぱい
隠れてわくわくし、笑いをこらえていたのよ。」
「さあ、もう行きなさい」小鳥が言った、「真実も
度を超すと人間には耐えられないから。」
過去の時も未来の時も、
「そうなっていたかもしれない」ことも「そうなっている」ことも
所詮は同じことで、いつもそこにある。
             (森山泰夫訳。思潮社『四つの四重奏』より)
 
どうです?少し長めの詩行を、少しずつ分けて、(以前ぼくが言ったように)何度も吟ずるのです。まずは(精密なスキャンション[音韻分析]ではありませんが、詩行の上の 'x' は軽いアクセント、'/' は強いアクセントを示します)[html画面ではタグの具合で多少ずれているかもしれません]、
 
/   x x  x  / x
Time present and time past
x  /  x x  / x  x x  / x
Are both perhaps present in time future
x  /  / x  x / x x /  /
And time future contained in time past.
 
続いて(以下も基本的にゆったりとした弱弱強(アナペスト)のリズムで)
 
If all time is eternally present
All time is unredeemable.
 
さらに
 
What might have been is an abstraction
Remaining a perpetual possibility
Only in a world of speculation.
 
さらに続けて
 
What might have been and what has been
Point to one end, which is always present.
 
ここで一息入れます。そして急に転調して
 
Footfalls echo in the memory
Down the passage which we did not take
Towards the door we never opened
Into the rose-garden. My words echo
Thus, in your mind.
 
ここまでで一区切りです。これを少なくとも三回やると、自然と頭の中に、詩人の瞑想するようなゆっくりとした、でも、はっきりと響く声が聞こえるはずです。特に転調して導入する「記憶の足音」はそのリズムと共に駆け出すように聞こえます。日本語の訳でも
 
足音が記憶の中にこだまを響かせながら
まだ通ったことのない狭い路地を辿って
まだ開けたことのない扉に向かい
バラ園に入って行く。ぼくの言葉も
そんなふうにきみの心にこだまする。
 
となっていますが、やはり、原文の味わいは絶妙です。まず、"Footfalls echo. . ."というフレーズには特に [f]音の軽やかな響きが足どりとなって読者のこころに反響し、実際に "Down the passage. . ."と路地裏へと想像の足で踏み込み、"Toward the door. . ."と目に見えぬ扉を開け、"Into the rose-garden"でようやく、バラの香りのむせる花園へと入っていく。だから、詩人も「このようにわたしの言葉も、あなたたちのこころに響くのですよ」と言っているわけです。しかし次に
 
x x  /  / x
But to what purpose
x / x  x /  x x /  x /  / x
Disturbing the dust on a bowl of rose-leaves
x / x  /
I do not know.
 
      しかし水鉢のバラの
花びらに積もったほこりを煽(あお)って、何になるのか
ぼくにはわからない。
 
とあるのは実は自身のつぶやきでありながら、暗に読者への問いかけ、謎かけです。なぜなら、これは意味の上でもリズムの上でもそれまでの詩行に逆行する流れであるからです(特に "what purpose"という語はリズムの上でも破格用法でしょう)。また引用の日本語訳は一つの解釈にすぎません。"bowl"が「水鉢」でなければならぬ必要はなく、おそらくガラス鉢に集めたバラの花びら(アロマテラピーで使う香料用のバラの花びらを想像しても結構です)に積もった埃を人間が掻き乱すとされる行為は、ひょっとして庭で植木鉢に落ちて積もったバラの花びらが風に舞っている風景からもしれないのです。シェリーの「西風に寄せる詩」のようではなくとも、わたしたちの記憶の足音によって舞い上がった一陣の「風」が、時の経過によって、現在では知りようもない過去の真実に吹きつけているかもしれない。さらに「失われた時を求めて」の旅は続きます
 
Other echoes
Inhabit the garden. Shall we follow?
Quick, said the bird, find them, find them,
Round the corner. Through the first gate,
Into our first world, shall we follow
The deception of the thrush? Into our first world.
 
まだほかにもこだまたちが
バラ園にいる。追いかけてみようか。
「早く」小鳥が言った、「見つけて、見つけて。
あの角を曲がった所さ。」最初の門を通って
はじめての世界へと、ひとつ
ツグミに欺されたつもりで行ってみようか。はじめての世界に。
 
この「バーント・ノートン」という題はイギリスの実際の荘園屋敷の名で、そこにエリオットが訪れたことがこの詩の契機です。あるところで詩人はこういったイメージが実際の屋敷の風景ではなく、『不思議の国のアリス』という寓話から採ったと言っているそうです(アリスが地下室でウサギの頭ほどのドアを開けると、そこにウサギ穴ほどの細い通路があり、覗いてみると幻想的な美しい庭園がみえるという描写があります。)まあ、そのようなおとぎ話的な非現実の感覚こそ、過去の追憶につきまとうものだ、ということなのでしょう。でも、「わたしたちの最初の世界」"our first world" とは一体何なのでしょう*。
     *これはまたまた、レポート課題です。なぜ、"first"となっているのか、各自自分自身の意見を述べてください。
わたし自身は、ここに描かれつつある「バラ園」とは一種の想像の「楽園」である、しかもそれは個人の青春や幼少期の楽園的ヴィジョンというよりは、もっと普遍的な人類の歴史における楽園幻想、例えば、「エデンの園」といった宗教的神話における意味合いが深く関わると思います。ただ、その理由はエリオットが宗教的詩人なのでそのように解釈するというのでなく、むしろ、彼が宗教に救いを求めても、詩人としては結局、癒されることはなく、彼の詩はそのようなこころの渇きを歌ったものだと考えるからです*。
*このあたりは今なお、学問的勢力を有している、例えば「日本T・S・エリオット協会」の高名な学者たちの意見のみならず、世界中の大半のエリオット学者、つまり、エリオットの宗教的ヴィジョンに心酔した人たちと大いに意見を異にするわけです。
つまり、宗教的な天国的な楽園幻想ではなく、人類の諸悪の根元でもあり同時に現実世界でもある世俗的な快楽世界、そう、ダンテも『神曲』の冒頭で描く「深き森」という快楽と絶望の入り交じった世俗の世界を歌わざるをえなかったと思うのです。
 
おいおい、ちょっといきなり話が飛躍しすぎているんちゃうか!?という声も聞こえそうですが、その通りです。舐めるようにテクストを読んでいたかと思えば、急に詩人の宗教観や人類の楽園幻想とかの話は困る、と苦言。そもそも、そんな主張がどういう根拠で出来るのかというお叱りも。そこでテクストに戻ります。
 
There they were, dignified, invisible,
Moving without pressure, over the dead leaves,
In the autumn heat, through the vibrant air,
And the bird called, in response to
The unheard music hidden in the shrubbery,
And the unseen eyebeam crossed, for the roses
Had the look of flowers that are looked at.
 
いた、こだまたちが、目に見えないが、堂々たる風格で、
秋の熱気、ふるえる空気の中を、
枯葉を見おろしながらふわふわと飛びまわっていた。
茂みの中にひそむ音のない音楽に
応(こた)えて小鳥が声高く囀(さえず)った。
すると、目に見えない視線が交錯した。バラたちが
見てもらう花の眼差(まなざし)をしていたから。
 
これはなんとも幻想的な光景ではありませんか。もっとも訳では "they"が、直接の文法的な代名詞内容「こだま」となっています。これでもかまいませんが、エコーのような妖精に化身した過去の自分(たち)の姿で捉えることも出来ます。また、「ほら!」と呼び声がします
 
There they were as our guests, accepted and accepting.
So we moved, and they, in a formal pattern,
Along the empty alley, into the box circle,
To look down into the drained pool.
 
そこではバラはぼくらのお客さん――互いに敬意を表(ひょう)しあった。
それでぼくらは、こだまたちも連れだって型どおりに並び、
だれもいない小径(こみち)を通り、特別席におさまって
乾いた水溜(みずため)のなかを見おろした。
 
いつしか幻想的な記憶のバラ園も初秋の現実のバラ園に移行し("they"は訳のように、自然界の他者的な「彼ら」であるバラととるべきなのでしょう)、過去と現在が交錯し、失われた時はふと現実に出没し、あるいはあっという間に消えてなくなってしまう。( "we"とは詩人と読者でも、過去の「ふたり」でも、自身と幻想のこだまでも、いずれでもあります)
 
Dry the pool, dry concrete, brown edged,
And the pool was filled with water out of sunlight,
And the lotos rose, quietly, quietly,
The surface glittered out of heart of light,
And they were behind us, reflected in the pool.
 
水溜は乾き、コンクリートは乾き、縁(ふち)は茶色。
やがて水溜に日光の水が漲り、
蓮がしずかに伸びて来た。
水面が光の真芯からきらめいて現れた。
こだまたちは、ぼくらのうしろで水溜はからになった。
 
なぜ、水溜は干上がっているのか。単に朽ちた屋敷のイメージだけなのか、夏の終わりで干上がってしまい、秋には枯葉しか舞っていない干からびたイメージは何を示すのか。このような問いはリズム的にも打ちつけるように繰り返される "dry"の [d]音の意味するところです。
 
Then a cloud passed, and the pool was empty.
Go, said the bird, for the leaves were full of children,
Hidden excitedly, containing laughter.
Go, go, go, said the bird: human kind
Cannot bear very much reality.
 
そのとき一片の雲が通過し、水溜はからになった。
「行ってごらん」小鳥の声がした、「葉の陰に子供たちがいっぱい
隠れてわくわくし、笑いをこらえていたのよ。」
「さあ、もう行きなさい」小鳥が言った、「真実も
度を超すと人間には耐えられないから。」
 
さあ、もう日も陰ってきました。風も吹いてきて、急に落ち葉が舞い、こだまたちの動きも慌ただしくなってくる。わたしたちをこの秘密の花園へと導いたツグミの声は「もう行きなさい」という。ロマン派詩人、なかでもジョン・キーツJohn Keats(1795-1821)という詩人の「ナイチンゲールに寄せる頌詩」"Ode to a Nightingale"(1819)は夜に鳥の声と一体になる幻想でしたが、ここでは鳥が不可視の世界への導師であったわけです。それにして、 "human kind cannot bear very much reality"とは何故なのか。こんな風に反問しているうちに、あっという間に過去の幻想世界は幕を閉じてしまう。
 
Time past and time future
What might have been and what has been
Point to one end, which is always present.
 
以上が「バーント・ノートン」第一部でした。もっともっと詳しい注釈が必要な人は訳を抜粋した森山氏の『四つの四重奏』を読んでほしいですが、だいぶエリオットの世界が分かった(分かりかけた)人が多いことを期待します。
 
ああ、もう気がつくと講義時間の終了です。窓を大きく開け放つと新緑の風が入ってきます。これから近くの公園か植物園のバラ園に皆さんも一緒に散歩に行きませんか。ではまた。