田中秀和
(第 1 部 4 回生)

リヨン日記



Le 23 mai 2003
オリンピック・リヨネ優勝
 地元のサッカーチームで、フランスプロリーグ一部所属のオリンピック・リヨネ (Olympique Lyonnais) が、去年の初優勝に続く2連覇を達成した。今年は主力選手がほぼすべて残っており、特にフォワード、ソニー・アンデルソン (ブラジル) の活躍がチームを栄冠の2連覇に導いた。彼は今年でチームを離れるということが濃厚になっている。それもリヨンで結果を出し続けたおかげだ。リヨンはマルセイユの影にかくれてそんなに大きなチームではなかったけど、今はとても大きなクラブに成長した。それにはリヨンの人びとの熱狂的なサッカー好きが大きく貢献しているように思う。僕はスタジアムに10回ほどは足を運んだけど、ほとんどの日が満員。サッカーがその町で発展するためには、人がどれだけスタジアムに足を運ぶかということがとても重要だ。それをリヨンは満たしている。そのほかにもいろいろなグッズを売り出したり、ユニフォームを着ている人が町中にいたりするのは、やっぱりその販売力を意味している。面白いのは、年期が入っているファンのユニフォームは古いということ。だいたい、サッカーチームのユニフォームというのは、1年ごとにデザインもスポンサーも変わる。だから、『おお、あの人まだあの時代のユニフォーム着てるぜ』という具合に、スタジアムでも街中でも楽しめるのがリヨンなのである。
 それにしても、2年連続で、自分のいる町のチームがチャンピオンになるというのはなかなか無い経験。ちなみに大阪だと、セレッソ大阪か、ガンバ大阪が2連覇するようなモンなのである。これが静岡あたりだとあり得るのは、静岡がやっぱり日本サッカーの中心地であるということを意味している。でも、今回は、フランスで、パリでもマルセイユでもオーセールでもモナコでもなく、リヨンでそれは実現した。てな具合にリヨンはそうとうに盛り上がった。町の中心の Hôtel de Ville(市役所本部) では優勝当夜の深夜1時くらいからパーティーが周囲の住民の睡眠妨げなんのそので行われ、Hôtel de Ville 前の Place des Terreaux にはファンが溢れかえる始末。通りにはクラクションを高々と鳴らし走る車多数あり。これがフランスのサッカー熱といったところか、と最初は感心もしたが、もう慣れてしまった。とにかく、リヨン市がフランス全土に誇れるもの、それは Olympique Lyonnais!!!

Le 28 juin 2003
Jazz à Vienne 初日
 今日は、リヨンから電車で20分の位置にある Vienne(ヴィエンヌ) という町で行われる、フランス最大のジャズ・フェスティバルの初日。なんと、あの坂本龍一 (Ryuichi SAKAMOTO) がこの初日のゲストの中の一人である。これは彼の二回目の参加だとか聞いたが、何はともあれ、チケットは前々からおさえておいたのだった。しかし、当日になって行ってみると、コンサートの開演が少々遅れ気味であることに気がついた。結構ギリギリであったので、ホッしながら中に入ると、なにやら雰囲気が違う。そう、今フランスではほとんどのスペクタクル (コンサート、オペラ、ダンス、など) の前に、アーティスト、特に興行被雇用者と呼ばれる人たちによるデモやストライキが各地でおこなわれている最中なのだ。当然、この日もコンサートの前に、ずらっとこの日の舞台をセッティングした裏方や技術者の人たちが舞台に上がってきて、声明文を読み上げた。観客たちもこれに対して拍手で応答。声明文の内容は、今度の失業保険制度の改革に反対するもの。これが採用されてしまうと、上に書いた範囲に属するアーティストたち、つまり確固としたポストについていず、仕事をいろいろな場所で請けながら、転々としている人たちに対する減給が発生するのである。当然のことながら、フランスといえば芸術の国。フランスの経済を潤している観光事業の中にこの芸術というものが大きいものを占めていることは否定できない事実だ。それらを支えている劇場やオペラ座などでのスペクタクルを行うためには、今説明したようなたくさんのアーティストや技術者たちの活躍が欠かせなくなっている。そういう意味で、観客たちも理解し、この一連のデモに対し、拍手を送り続けているというわけ。
 ところが、今回のデモは、我々の想像を絶した。それは、コンサートの開演と同時に始まり、そして休憩時間にのみしっかりとおさまり、そのあと終わりまで続いたのであった。どういう形で続いたのかというと、これまたものすごくフランスらしいと言えばいえるのだが、会場の横に集まったデモ隊の人々がマイクや笛 (サッカーの応援のとき使うやつ) と合唱で、『音』を邪魔し続けたのである。当然のことながら、さっき拍手を送ったばかりのわれわれ観客は、お金を払って、足を運んで見に来ているコンサートの大半を聞き取りにくい状態で過ごすことを余儀なくされた。ものすごい数の警察がいるにもかかわらず、彼らの行為が軽減されることはなかった。そう、彼らはデモをする権利を得ているのである。一番気の毒に思えたのは、自分たちの造った音を観客に理想的な環境のもとで伝えることができなかったゲストのアーティストたちであった。坂本さんは、それに少しだけ抵抗する形で、コンサートの終わりが近づいたところで音響さんに音量をあげるような仕種を、ピアノを弾きながらしたのだった。この状態のなか、僕はそのシーンと、坂本さんのバンドの後に出演した高齢のブラジル人ボサノバ歌手が泣きながら曲の途中で、たまらず観客に、コンサートを断念する旨を伝えたシーンだけに感動した。それまで疑問さえ感じるくらい耐えて一生懸命耳を傾けていた観客たちも、一部でデモに対する抗議のブーイングを始めてしまったころであった。まるで、ああ、戦争とはこういう風に起こるんだなと思わされる光景のなかに僕らは居合せた。僕も、コンサートが不本意にも終わってしまった後に、空に向かってまるでとなりのトトロが叫ぶように大声を出した。もちろん、他の観客たちの憤りに紛れてそれは Viennne のアンティーク・テアトル (丘の上にローマ時代に立てられ、今も毎年観客たちを魅了し続けている) から見えるとても綺麗な夜景に消えていった。誰に向けられるともなく。
 もちろん、デモをするアーティスト側にも言い分があるのだが、彼らの行動は、他の国からわざわざ来ているアーティストたちに対して大変失礼であった。デモの効果そのものとしては絶大であったが・・。
 リヨンの『Les nuits de Fourvière』の枠内で行われたリヨン・オペラ座によるダンス公演の際に見たデモは、公演直前に位置しており、少々開演時刻が遅れただけで後の演目には影響は無かっただけに、今回のことが非常に残念でもあった。しかも、こちらのほうが規模も権威も大きいフェスティバルだけに余計に理解できないところがあった。それだけ使われているスタッフも多いからなのだろうか、事情はよくわからない。ちなみにこのデモにはアーティストのみならず、大道具や照明など、ありとあらゆる芸術関係者が参加しているとのことだった。

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