田中秀和
(第 1 部 4 回生)

リヨン日記



Le 08/06/2002
 一応サッカー戦記として書いている日記だが、今日は書かないといけない。今日はフランスに来て以来最高の1日だった。この前の日記で、サッカーチームに入ったといったが、そのチームでこの土曜日、地元のサッカー大会に出た。チームは最初、12チームで、二つのリーグに分かれて総当り。僕らのLyon Inter De Vaiseはリーグ1のほうでスタート。小さな大会だが、グラウンドはもちろん芝生。ちゃんとロッカールームとシャワールームまである。これはもうやるしかない。試合形式は、7人制で、15分1本というもの。決勝までいくと8試合することになる。一日で終わる大会だから、次から次へと試合がある。まずはリーグ戦。1試合目は、さすがに緊張していたのと、最初に名声を上げようして点を取りにいってしまったのがいけなかった。結果は2−2のドロー。先制しながらも、追いつかれた。一応点にはからんだけど、途中で変えられてしまった。
 二試合目からは、試合前に「ヒデ、ハーフでディフェンスのことも考えるんだぞ。」と言われていたのを思い出し、しかもそれが俺の仕事だということも思い出した。ボランチである。7人制の試合なので、みんなが上がって攻撃するのはいいけど、もし前でとられた場合、当然、カウンターとなってしまう。それを防いでチームを安定させるためにも、ボランチとしての仕事が重要になってくる。真ん中で、ひたすらいいポジションを取るために動き、惜しみなくディフェンスする。まずはそこから始めようと考えた。そこからは、チームが一気に安定し、次々に大量得点で勝つことができた。もとから攻撃陣が充実していたんだ、と改めて感じた。FWのラムジはとてもキープ力があり、ポストプレーでためを作ってくれるし、ムレイは決定力とドリブルを兼ね備えている。この二人が点のほとんどを取っていた。そして両サイドにも足が速くてドリブルも出来るショクリともう一人その日はじめてあった、トルコ代表のハサン・サスを思わせるような名前わすれた。
 ディフェンスには背の高いマダニ。これで空中戦はバッチリ。そして、真ん中に俺がドーンと構える布陣。キーパーはとても勇敢なブン(あだ名?)。彼は、今怪我をしているらしい。ほんとうはテクニックがとてもある。
 そんなこんなで勝ち進んでいき、とうとう準々決勝。相手はブラジル代表みたいなやつら。とにかくドリブルが半端じゃない。かなりしつこくいかないと取れない。それでも抜かれる。足元の技術では完全にうらやましかった。でも、この日絶好調の俺は、一番上手いやつをいち早くみつけ、徹底的に取りにいった。相手は集中が切れて、シュートが枠にいかない。ディフェンスがザルだったので、結果は9−0で勝利。ここで初めて俺もゴールを決めることが出来た。とてもきれいなループシュート。本当に乗っていた。後でみんな見ている人が、「ナカタ、ナカタ、あのループ・・・」と言ってきた。日本人はもちろん俺一人。フランスでは、日本人をみると必ずナカタという。ナカタに感謝やね。
 準決勝では、この前日記に書いた、あのオリーブが相手チームで再び登場。今度は兄弟でどっちもうまい。これは雪辱だと思った俺はまたオリーブには絶対仕事はさせないぞと走りまくった。オリーブも驚いてただろうな。この前とは全然違う日本人に。かなり悔しがっていた。結果は、2−0で完封。でも、やっぱりオリーブはうまかった。危ない場面が何度もあったいい試合だった。
 そして、ついに決勝。相手はいかにもフィジカルが強そうなひとが集まったチームだった。そして、簡単にパスをまわし、ポストプレーもする。そして、ディフェンスが荒い。俺は連戦で疲れていた。始まって5分はとても気が抜けているのが自分でもわかった。案の定、早い時間に2点、ポンポーンと入れられた。それからだった。目が覚めたのは。とにかく最後まであきらめないで走った。残り3分というところで、ハサン・サスが豪快にミドルをゴール右隅に決めた。これで1−2。最後のチャンスが俺にきた。コーナーのこぼれ球を右足できれいにトラップ。その時点でシュートコースはないわけでもなかった。
 でもシュートは撃たなかった・・・今までの試合で、シュートシーンは何度もあって、その度にパスとか切り替えしとかをするので、「もっとシュートを撃たなきゃ、ヒデ」とみんなに言われていた。それがとっても頭によぎった。でも、自分のスタイルを最後まで出そう、と思った。そして右にまた切り替えした。一人それで抜けた。そしてゴールを見た。時間的な余裕が生まれていたからだ。ハサン・サスがいいポジションを取っているのが見えた。ヘディングをしようという格好だ。そこにセンタリングをあげればなんとかなると考えてボールを蹴った。カーブがかかったボールはハサンと相手キーパーが競り合っている上を越えてそのままゴールに吸い込まれた。2−2。この日2つ目のループを決勝の舞台で決めて追いついた格好に見えた。思わず興奮した。そしてOn va gagner !!!!! (勝つんだ)と叫んだ。みんなもそれに応えた。そして延長はvゴール。絶対勝たなければと、集中した状態だった。中盤でボールを読みで奪って、ムレイにパス。それを持ち込んだ彼が見事に決めた。
 逆転勝利。みんながムレイに駆け寄っていき、あの、テレビでもあるように山のようにみんなが彼に飛び乗っていく。
 ああ、優勝か。そんな感じだった。でもテレながらもその山に向かって走っていた。
 試合後、表彰式で、主催者のおばちゃんがトロフィーと賞品のユニホームを手渡すとき、なにやらみんなが俺を呼んでいる。「ヒデ、来い、おまえやぞ。」このときはさずがにうれしかった。みんなに認められたんだ、と思ったからだ。思えば、サッカーの選手としてほめられたりするのはこれが初めてのような気がする。主催者のおばちゃんとおっちゃんが「Bravo!」といってくれた。また来年も必ず来てプレーしなさい、と。それがとてもうれしかった。出来ないとはわかっていても。
 ロッカールームでもいつ帰るのか聞かれた。ずっといれば、とも言ってくれた。優勝もうれしかったが、何よりもチームに認められたのが嬉しかった。シャワーもみんなで浴びるのは初めてだった。なんか、とっても幸せな気分だった。ナカタや小野もこんな感じなのかな、と少し思った。 
 9月からは本格的にシーズンが始まる。その時までにしっかり体をつくらないとついていけないだろう。今回の大会で、とてもそれに弾みがついた。頑張ろう。
 
 その夜は、チームメイトのマダニ、ムレイ、ノルディンと一緒にムエタイの試合を見に行った。これまた格闘技を生で見るのははじめての体験である。K−1に似ていてとてもみんな盛り上がっていた。その日はノルディンに車で家まで送ってもらった。フランスで車に乗る機会が最近多い。結構スピードをみんな出す。最初はとても怖かった。日本とはちがって、みんなミッションだ。ガソリンは高いらしい。ディーゼルが多い。
 そういうわけでこの日は最高の一日だったというわけ。

 ワールドカップについても少しだけ書いておこう。こっちはやっぱりサッカーの国。テレビは常にワールドカップがながれている。サッカーファンにとってはありがたい。ドラマが見たくても、サッカーがついていたら誰も文句を言えないという感じ。日本だと、スカパーにはいらないとずべての試合はみれないけど、こっちでは、TF1(Télévision France 1)というチャンネルが、全試合生放送をやっている。ので、何の問題もなく試合を見ることが出来ている。でも、特筆しておかなければならないことが一つある。JVCがこの生放送に提供している一番の大手なのだが、最初のタイトル画面に出てくるキャラクターがなんと皮肉にも中村俊輔なのだ。日本ではこんなことにはなってないよね?もしかして、なってるの?いや、そんなわけはない。中村が見たらどうするんだ。日本では、中村を知らない人はいない。でも、フランスでは誰もしらない。ましてや、中村が代表から外れたなんていうことを知っている人なんかいないのだ。でも、ワールドカップを見るたびに中村のタイトル画面から始まる・・・
 こっちの時間では、朝の8時半から始まって、3時半くらいまでやっているという感じ。だから、午前中授業がない日はワールドカップを見てから学校へ行く。自分のサッカーの練習は夜の8時から。といってもナイターではない。フランスは夏時間を採用しているので、日がとても長いのだ。今だと、22時くらいまで明るい。だから、ついつい夜更かししてしまう結果にもなるけど・・・

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