ある時代に特定の題材をもとに歴史叙述が行われるとき、そこには当該社会の歴史意識、社会意識、価値観等が色濃く反映されていたと考えられる。そこである特定の時代にある特定の題材が歴史叙述の題材として選ばれたのかを分析することで歴史叙述のもつ客観的な事実だけでなく、その歴史叙述が行われるにいたった当時の歴史的背景にまで迫りたい。
明清、江南都市における各種の水利事業についての分析を行っています。
明末以降、江南地方においては商品生産の拡大に伴って、市鎮と呼ばれる中小の新興都市が多数出現し、また蘇州や南京といった旧来からの大都市もその市域を拡大していきました。実は,これらは全て商業交通路としての水路の上に形成されたものです。また、都市の内部においては生活、工業用水として、あるいは人々が集い、憩う場としてなど、様々な形で水が都市生活と密接に結びついており、水は都市を形成する重要なファクターの一つでした。
このような水に関わる事業に関して、地方志や残存する工事記録などを用いて分析を加える事によって、都市の諸機能を明らかにする事を目指しています
唐朝では、一年を通して様々な祭祀が実施されていました。その祭祀の詳細な儀式過程や参加者、使用する祭器等は、『大唐開元禮』に記述されています。そこで、『開元禮』の記述から、唐朝の祭祀を空間的・視覚的に捉えることを目指しています。また、祭祀が持つ機能の多面性に着目し、それぞれの祭祀の集合体としての唐朝像を考えていきたいと思います。
現在、北京大学歴史系へ留学中。
唐政府は外国使節をどのような地域の機関や組織でどういうふうに受け入れるのか、どんな政策をとっているのか。そして、それに応じて、日本はどのよう遣唐使を派遣したか。また、日本の留学僧、留学生はどんな環境で勉強するか、長安と地方にいる遣唐使は、それぞれどういうふうに生活するかなどについて、詳細な分析を加え、古代の日本と唐のいっそう具体的な交流内容を研究する。
2008年度より休学中
権力の一形態である王権は、モンゴルの場合「ハーン(可汗)権」に相当しうるものであるので、「ハーン(可汗)権」と呼ぶのがより適切だろう。ハーン権は、モンゴルが「北方諸民族」から継承した文化の一現象であり、その根源は北方民族のシャーマニズムのテンゲリ(天)崇拝、トーテム崇拝、祖先崇拝の観念と深く関わっていた。ハーン権は、また中国の「天子」や「皇帝」や「王」と相当するものとして、どのような存在であったのか。これも興味深いところである。
モンゴルにおけるハーン権は、モンゴル人が築いた大モンゴルウルス(国)、元朝、北元朝(明朝時代のモンゴルをいう)に存在した権力現象であり、チンギス・ハーンとその継承者のオゴタイ・ハーンやフビライ・ハーンの時代にその絶頂期を迎えたのはいうまでもない。そのため、モンゴル社会におけるハーン権の形成、発展、消失、変容の歩みはチンギス・ハーンの一族の「黄金家族」と固く結ばれてきたことが分かる。長きにわたって、モンゴル社会にチンギス・ハーンの「黄金家族」こそが、モンゴルのハーンを握るべき正統性を持つという歴史認識が形成されてきたのである。よって、チンギス・ハーンの「黄金家族」の系譜は、モンゴルのハーン権のあり方を検討していくうえでの一つの手掛かりになると考えている。
また、中国に元朝を立てたモンゴルのハーン権であるが、その性格が中国の皇帝制と異なる点が多いのは確かである。そのため、その相違について、その実態に迫り、考査する必要もあるだろう。このようにして、モンゴルにおけるハーン権の根源、各時代のあり方、構造などを歴史的に考察して行きたいと考えている。
八世紀後半から十二世紀までの間は、中国の歴史において大きな変革期とされている。この時代に勃興した北方諸民族は、前代までのように漢民族の文化に同化されることなく、自らの王朝を樹立し、独自のものを生み出していった。一方、朝鮮半島の高麗は常に隣接する諸国の影響を受け、国内の政治体制にも大きな変化がもたらされていた。その複雑な国際情勢の中で、高麗と宋との外交関係はどのような形で展開していたのか。両国の使節往来の分析を中心に、民間商人の具体的な活動についても着目しながら、研究を進めていきたいと思う。
宋眞宗期に皇帝権力の象徴として、
なかでも各部門の總序を記した楊億等六名の中には、当時、
そこで『冊府元亀』成立に関する一考察として、西崑体詩人と『
後漢〜魏晋における異民族統治官について取り扱う
中国前近代の国家と財政の関わりから、国家存亡の危機に際した折、どのような制度政策をもって国家はその危難を乗り越えていくのか。またそのような制度政策は当時の経済にどのような影響を与えていたのか。そのような事から見えてくる当時の社会状況とはいかなるものであったのか。その様なことを研究していきたいと考えている。