本年度の講義科目紹介
わたしは明清時期の思想史研究を中心にして、中国民族に固有の知の特徴の解明に関心を抱いています。本年度、大学院で取り上げるのは清朝乾嘉期の都市型知識人の問題です。これは文学研究科のCOEプログラム「都市文化創造のための人文学的研究」の一貫として、私が華東師範大学人文学院と共同研究を続けている「中国における都市型知識人の意義と役割」の授業版です。南京・蘇州・揚州といった江南諸都市の経済的繁栄と人文的活況の中から胚胎した乾嘉の学術を、都市型知識人によって行われる文化的象徴の交換と消費、「権力の言説」獲得の文化的戦略、都市への移動策略といった総合的視点から清朝乾嘉期の文化の俯瞰図を描こうとしています。今春三月末に華東人文学院との共同研究の成果として刊行する『中国現代性与都市知識分子』(上海古籍出版社)は、都市型知識人研究の第一頁ともいうべきものです。お読みいただければ幸甚です。
学部の中国思想史の講義では、中国人がいかにテクストを読んできたか、すなわち中国人の読書の歴史を理解の準拠枠(思考のパラダイム)の歴史性という観点から論じるつもりです。昨年は、『論語』の注釈史を時代を追って辿ることにより、中国思想史の一端に触れることを目指しましたが、経書テクストだけでなく文学作品まで視野を広げて、歴代中国人はどのように書かれたテクストに意味を与えてきたのか、彼らはテクストを通していかに物事を考えたかを明らかにしたいと思います。この講義も、今後数年継続することになるでしょう。興味のある方は、どうぞ遠慮なく聴講してください。
また学部の中国思想演習では、清朝の思想家章学誠の文章の中から、歴史記述方法論に関する論文を選読する予定です。
思想史学とは何か
そもそも思想史学とは一体どのような学問なのでしょうか。思想史は哲学史ではありません。哲学史は高度な体系性を備えたいわゆる哲学的言説の歴史を扱いますが、思想史はより広く民族や共同体の知の歴史的あり方(intellectual history)に関心を払います。中国思想史に即して言えば、諸子百家や朱子や毛沢東の理論的言説のみならず、中国民族の心性(エートス)、知識人の生活態度、民衆の宗教意識や価値観といった学問的反省以前の諸観念もその考察範囲に入ります。
では、実際には中国思想史学はどのように研究されるのでしょうか。最近ではフィールドワークも行われているようですが、歴代膨大な文献群を書き残してきた中国文化にあっては、思想史の研究はやはり文献の読解が主要な方法になります。ところが、この一番大切なはずのテクストの読み方について、これまでほとんど方法論的な反省がなされてきませんでした。与えられたテクストを客観的に、つまりは虚心坦懐に読めば良い、この程度に理解された実証主義が中国思想史学では今もって幅を利かせているわけです。読みの理論について旺盛な問題意識を持った西欧の思想史研究と比べると、斯学はいまだまことに素朴な状態に留まっています。
手前味噌になりますが、わたしは中国思想史学を開かれた科学的研究のレベルにまで押し上げることを目論んで、目下『サイエンティカ・シニカ』なる著書を執筆中です。早ければ、今年中に上梓したいと考えています。
わたしの主張は至極単純なものです。テクストの意味はただ一つであるという学問的偏見を放棄して、テクスト解釈者の積極的な深読みを擁護しようとするものです。しかし、まるで糸の切れた凧のように勝手にテクストを読んでも良いと主張しているのではありません。ここが難しいところです。理解の歴史性を主張するH.G.ガダマーの見解と、テクストの意味の一義性をあくまで擁護するE.D.ハーシュの見解とのちょうど中間あたりの地点に理論的橋頭堡を築いて、わたし自身の議論を展開しております。
すでに発表した諸論文(「規範的解釈は妥当でないか―王力の訓詁学理論によせて」『中国学志訟号』平成4年、「シノロジーの解剖」一、二、三、四、五『人文研究』平成6,7,10,13,16年)を読んでいただければ、わたしの考え方のあらましの方向を理解いただけるのではないかと思います。
わたしの研究が進むにつれてこのページを随時更新する予定です。思想史学や解釈学あるいはテクスト理論、批評理論に造詣深い同学の士のご意見を頂戴できれば幸甚です。
個人のメールアドレスはyamaguch@lit.osaka-cu.ac.jpです。
